モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第三章

#19
◇ロイとグリード◇



 ウィンリィは「あ、いっけない。もう汽車が出ちゃう。…ごちそうさまでした。色々お話聞けて楽しかったです。エドによろしく言っといて下さい」とバタバタと慌ただしく去って行った。
 ロイはウィンリィを可愛い娘だと思った。明るい健全な娘。
 エドワードはどうして彼女を選ばなかったのだろう。
「さて、少し時間を喰ってしまったがまだ余裕はある。ホテルに行こうか」
 やる事が沢山あり忙しい筈なのにロイの顔は不思議と余裕があった。
「随分楽しんでらっしゃいましたね」
「まあな」
 ロイの素直な返事に、ホークアイはいつもと違うと思った。
 
普段のロイなら少し格好つけて「レディとの会話はいつでも楽しいものだよ」とキザに流しただろうに。気軽な返事に本音を感じた。
「何処がそんなに楽しかったんですか? エドワード君の事を聞けたからですか?」
「鋭いね、リンダは」
「エドワード君のお友達の事を気にしてらしたようですから」
「ああ、かなり有力な情報だ」
「何が有力なんですか?」
「それは秘密だ」
 ニヤニヤと笑うロイは子供が面白い玩具を見つけたような顔だったので、ホークアイはこの人ロクな事考えてないわと溜息を吐いた。
 エドワードに恋人がいる事を知っていた事といい、ロイとエドワードの間には友情に似た交流があるようだ。
 ロイはやや屈折した眼差しでエドワードを見ているようにホークアイには感じられたのだが。
「エドワード君でストレス解消するのは可哀想ですよ。エドワード君と遊ぶのは良いですが、エドワード君で遊ぶのは大人げないです」
「リンダは私の事をそんな風に思っていたのか?」
「違うんですか?」
「……違わないが」
 疲れているはずなのにロイはスイスイ人ごみを避けて進んで行く。何があったのか分からないがロイの機嫌が良いのは良いことだ。
 ホークアイの荷物もロイが持っている。上官を荷物持ちにするなどとんでもないが、今は仮の夫婦だ。
「それにしても」
「リンダ、何か言ったか?」
「エドワード君に恋人がいたなんて驚きました。顔も頭も良い子ですが、そういう感情とは遠い所で生きてると思ってましたから」
「おいおい。鋼のだって年頃の男の子だよ。ふいに恋が訪れる事だってあるさ」
 自分だってエドワードと恋愛が千キロくらい離れていると思っていたくせに、ロイはとりすまして言う。
「……大佐とエドワード君がそんな話をするくらい親しくなっていたなんて知りませんでした」
「あの子はあまりで友達を作ろうとしないからな。会話はどうしても軍部の人間に限られる。舐められるのが嫌いな子だから部下には私事を話さないし、私が丁度良いはけ口なんだろう。子供の相手は苦手だが、鋼のは頭が難解で会話は皮肉に彩られ楽しい」
「エドワード君の恋人って……どんな女の子なんでしょうね。聡明な美人だなんてエドワード君もやりますね」
「…………そうだな」
「何処で知り合ったか聞いてませんか?」
「何処とは聞いてないが……長い付き合いだというのは聞いてる」
「長い付き合い? というとイーストシティに来る前からでしょうか? セントラルで知り合ったのかしら。……確かに長いですね。その頃エドワード君は十二歳くらいですよね。友達から恋人になったのかしら?」
 他人のプライベートには踏み込まないホークアイには珍しく饒舌だ。それだけエドワードの恋愛が予想外だったのだろう。
「たぶんリンダの想像している可愛い恋愛とは遠い所にあると思うぞ」
「あらそうですか? じゃあエドワード君の恋愛ってどんな感じなんですか?」
「私の見た所………余裕がない」
「エドワード君の方が追い掛けてる片想いって事ですか?」
「両想いらしいが……前途多難だ」
「まあどうしてですか?」
「相手の子が問題だ。鋼のの方も問題だが」
「相手の子に何かあるんですか? 犯罪者の娘……とか、逆にお嬢様で婚約者がいるとかですか?」
「娘ではない」
「はい?」
「鋼のの恋人は……とてもウィンリィ嬢には言えなかったが、というか誰にも言えないが…」
「もったいつけますね。言いたくないのなら言わなくても……」
「鋼のの恋人は娘ではない」
「は?」
「男だ」
「……男?」
「一つ年下の少年で肉体関係もあるそうだ」
「……嘘ですよね?」
「本当だ」
 ホークアイは思わずロイの顔を凝視し、足元の階段を踏み外した。






「申し訳ありません」
 ホテルにチェックインした後で情報屋に会う約束になっていたのだが、ホークアイは足を捻挫しホテルから出られなくなってしまった。
「仕方がない。悪化させたら大変だ。幸い捻っただけだから休めば大丈夫だろう。帰りに杖でも買ってくる」
「しかし護衛無しでは危険です」
「その足では護衛になるまい。一緒に来るのは逆に危険だ」
 そう言われてしまえばホークアイは恐縮するしかない。本当に何かあったら、走れないホークアイは足手まといになるだけだ。
「申し訳ありません。これでは何の為についてきたのか……」
 らしくない不注意だった。坂の多いダブリスでは道に高低差がある。階段を降下中にロイの発言に気を取られ注意散漫になり、ホークアイは足を踏み外した。幸い三段下が平らだったから大した怪我にはならなかったが、痛みが酷く歩くには支障がある。包帯で足を固定したのでなんとか歩けるが、やはりいざという時俊敏には動けない。
 ロイの足手纏いになるわけにはいかないので、ホークアイは渋々ホテルで待つ事にした。
「そんなに心配する事はない。情報屋と会うだけだ。その後も動くが、細心の注意を払う。今までだって一人で動く事はあったんだ。調べ物をするだけだ。適当な所で切り上げてくる」
「はい……お気を付けて」
「中尉は無理をせずに大人しくしている事だ。足に負担が掛からない程度ならホテルの周りを散策してればいいさ。観光地だから見るものはあるだろう」
「遊びに来たわけではありません」
「しかし仕事でもない。これは私の私事であり自己満足だ」
「例えプライベートの時でも貴方を守るのが私の仕事です」
「発火布も持っていく。ここでは私の顔を知る者もいないし危険は少ない。そう案じるな」
「案じます。大佐は大事な方ですから」
「まるで口説かれてるみたいな言い方だな」
「つまらない冗談言ってると撃ちますよ」
「……はは、冗談だ、冗談……」
「調査が終わったら真直ぐ帰ってきて下さいね」
「長引いたら夕飯は食べてくるかもしれない。私に気兼ねなく自由にしてなさい」
「遊ぶのはいいけれど程々になさって下さい」
「これだから中尉と来ると……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何も……」
 ロイはモゴモゴと口の中で誤魔化し、部屋を出た。
 ロイが道を歩いていく背中を窓から見下ろして、ホークアイは腫れた足を恨めしく見た。
 とんだ失態だった。こんな凡ミス普段なら絶対にやらないのだが、話に気をとられ注意を怠った。
 あの時、ロイの言葉をスッと信じたのはロイの声に冗談の色がなかったからだ。
 ロイが語ったエドワードの恋人の事。……少年相手だというのはおそらく本当だろう。冗談には聞こえなかった。
 突然そんな事を聞かされ吃驚した。同性愛というのもそうだし、肉体関係云々というのもだ。いっぺんに大容量の情報が頭に入ってフリーズし、足元のバランスを崩した
。緊急時でなくて良かったと思う。
 それにしても。エドワードの恋人が男の子というのはどういう事だろう。
 ロイはエドワードから相談でも受けていたのだろうか?
 しかし、だとしたらホークアイに気軽に喋らないはずだ。
 軍部内にも同性愛者はいるが普通は隠している。迫害されるからだ。世間から見ても一般的ではないのだ。
 だから。エドワードはきっと細心の注意を払い、ひた隠しにしてきたはずだ。そうやって誰にも気付かせず怪しまれず小生意気な天才の仮面を被って自分を守った。
 ああ、だからエドワードは故郷に帰らなかったのだろうか。都会でも奇異の目で見られるのに狭い田舎ではひとたび噂になれば致命的だ。エドワードは後ろめたさから家に帰れなかったのだろうか。
 エドワードの恋人。……確かに誰にも言えない。
 ウィンリィのような可愛くて性格も良い子に慕われているのに、幼なじみ以上の感情が湧かないのは、そういう事なのか。
 しかしさっき以上に興味が湧いて困った。
 エドワードの彼氏……というのはどんな男の子なのか。エドワード並の美少年なのか。それとももっと華奢な感じだとか。逆にガッシリしたハボックタイプの子なのか。興味は尽きない。
「下世話だわ」
 考えないようにしたが、部屋でジッとしていると余計な事ばかり考える。
 エドワードの事は置いておいて今はロイの事だ。
 ここに来た目的はあくまで情報の収集だ。ロイは仕事ではなく、私事だと言っていたが放っておくわけにはいかない。土地勘のない場所なのだし、何が起こるか分からないのだから勝手に動かれては困る。
 ロイが調べようとしているのは誘拐事件の事だけではないらしい。
 何故ロイは隠すような真似をするのだろう?
 自分だけの内に秘めるロイに不満がある。
 信じると決めた上官の秘密主義に、ホークアイは後で絶対に聞き出してやろうと心に決めた。