モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第二章

#18



「いつ頃鋼のはリゼンブールに戻ると言った?」
「いつとは言いませんでしたけど、今やってる仕事が終わったら、
と言ってました」
「今やってる仕事……か」
(まさか誘拐の事ではないだろうな?)
 エドワードには仕事という仕事はない。個人的な研究はしているが、そのスケジュールは自分でコントロールできる。
「私、錬金術って何も分からないんですが、そんなに楽しいものなんですか? マックスさんも錬金術師ですよね?」
「ああ……研究者は皆そうだよ。解けない謎を解き真理を証す事こそが最上の喜びとなる。私もかつてはそうだった」
「今は違うんですか?」
「今は仕事が一番だ」
「やっぱり男の人って仕事が大事なんですね。まあ、私も人の事は言えないけど」
 無邪気なウィンリィの視線にロイは適当に言葉を濁した。
 ロイは錬金術を戦争で使った。その時からロイにとって錬金術はただの道具に成り下がり、研究の喜びは薄れ苦い後味の悪さだけが残った。
 エドワードはロイの抱える痛みを始めから知っていた。何故だかは知らないが、エドワードはロイについてかなり詳しい。焔の錬金術師の名前は広く知られているので、賢いエドワードなら過去から推察してロイの心情を量ろうと思えばできるだろうが、こうだと確証を持ってロイの事を言い切るのはおかしい。そんなにエドワードはロイの事をこと細かく調べたのだろうのか。
「鋼のは友人については何か言ってなかったか? 何処知り合ったとか二人でどんな研究をしているとか」
「セントラルの図書館で知り合ったって言ってましたよ。ふふ、本人が秘密主義だから人づてで話を聞かなければ何も分からないなんておかしいですね。エドってマックスさんには何も話さないんですか?」
「プライベートな事もたまには話す」
「へえ、例えばどんな事を?」
「例えば…………れ、恋愛について……とか」
「恋愛? エドと? ……あ、そっか。マックスさんはモテモテだって聞きますからね。話す事いっぱいありそうですね」
「鋼のには不誠実だと白い目で見られるよ。あの子は一途だから」
「というか子供なんですよね。恋愛なんてした事ないんじゃないですか?」
 クスクス笑うウィンリィにロイは爆弾を落としてみた。
「いや……鋼のは現在恋愛中だ……本人から聞いた」
「うっ…そ……まさか」
「本当だ。鋼のには恋人がいるらしい。たまに惚気られて困る」
 ウィンリィは完全に固まっているし、隣で傍聴していたホークアイも食事の手が止まっている。
「それ……本当なんですか?」
「嘘を言っているようには聞こえなかったな。鋼のは切ない目をして恋を語っていた。他人の惚気ほど聞いてて痒いものはないが、恋愛のれの字も伺わせない鋼のが言うと妙に説得力があって生々しい。青少年の恋は純粋で、大人の私には少々眩しく感じるよ」
「エドに恋人がいたなんて……アイツ、前に会った時にはそんな事全然言ってなかったのに……」
 ウィンリィが悔しそうな顔になったので、ロイはおやと思った。
 もしかしてウィンリィはエドワードが好きなのだろうか? だとしたらいらない事を言ってしまった。
「大佐……それ本当の事なんですか?」
 ホークアイがこそりと聞くのでロイは頷いた。
「つい喋ってしまったが、ここだけの話にしておいて欲しい。口止めはされてないが自分から喋るまでは知らない振りでいてくれ。複雑な恋愛しているから悩み苦しんでいる面もあるし、他人に気軽に聞かれたくはないだろう。例え身内でも心の内面は探って欲しくないものだ。信頼関係があればいつかエドワードの口から聞けるだろう。私が喋った事も聞かなかった事にして欲しい」
「聞いちゃ駄目なんですか? だってエドはマックスさんには喋ったじゃないですか」
「私が誰にも喋らないと思ったからだろう。私もあの子のプライベートをベラベラ喋ろうとは思わない。今日、ウィンリィ嬢に会わなかったら、きっと誰にも言わずに胸の中にしまっておいただろう」
「マックスさん……」
 ロイの視線にはこの事を誰にも話すなという圧力があって、ウィンリィは怯み悔しくなる。
 エドワードのプライベートを知っているのが、何故ウィンリィやアルフォンスではなくロイなのか。
 アルフォンスなら分かる。弟なのだから。
 だがエドワードとロイの関係は上官と部下でしかない。私的な交流などないと思っていたのに、エドワードがそこまで気を許していたなんてちっとも知らなかった。
「マックスさんはエドと親しいんですね。エドがそんな事まで話すんだから、よっぽど気を許しているんだわ…」
「そんな事はないよ」
「あります」
「いや……鋼のは……」
「エドは家族にも幼なじみの私にも何一つ話をしないのに、マックスさんにはそういう事を話すんですから。エドが恋愛中だなんて……ちっとも知らなかった」
 寂しそうなウィンリィの瞳にロイは困る。
「心の内は家族だからこそ知って欲しくないと思うものだ。特に子供は学校の友達には何でも話すけれど家族には何も話さない、というのは普通の事だ。ウィンリィ嬢も子供だったから分かるだろう?」
「私は家族に秘密を持った事なんてありません」
「そ、そうかね?」
「そうです」
 竹のような真直ぐな気性の少女にエドワードの複雑さを分ってもらうのは難しそうだ。
「ウィンリィちゃん、マックスを責めないであげて」
 ホークアイが助け舟を出す。
「リンダさん……」
「ウィンリィちゃんは女の子だから男の子の気持ちが分からないでしょう? エドワード君は男の子だから女の子にはそういう事を話し難いのよ。マックスはこういう人だから聞いても胸の内にしまって聞かなかったフリもできるし、他人だからこそ話せる事って結構あるのよね。エドワード君がウィンリィちゃん達に何も言わなくても、それは気を許してないからじゃないわ。逆に許しているから知られたくないのよ。それを分ってあげるのが好い女ってものよ」
「私、好い女じゃありません。ものわかりが悪い嫉妬深い女です」
「本当に嫉妬深い女は自分からは言わないわ。ウィンリィちゃんはエドワード君を気遣ってあげてるじゃない。エドワード君だってウィンリィちゃんのそういう優しさは分ってるわよ。あの子は賢い子だから。……でもそういう賢さって時には辛くなるのよね。そういう子だからこそ、本音や愚痴をゴミ箱に吐き出したい時があるの。大人だったら酒を飲んで愚痴零して発散するところだけど、エドワード君は子供だし近くに本音を話せる友達もいない。大佐はちょうどいいはけ口なの」
「私ははけ口かね?」
「マックスは黙っていて下さい」
 ピシャリと言われロイは黙る。
「リンダさん。私だってエドが何も言わないのは信頼してないからじゃないっていうのは分ってます。でも寂しいんです。どうして幼なじみの事を他の人から聞かなければならないんでしょう?」
「エドワード君は特別な子だから。あの子は私でも量れない時があるわ。男の隠しておきたい事を知ろうとしちゃ駄目よ。いくら愛していても踏み込んではいけない場所があるの」
「そんなの……分かりません」
「ウィンリィちゃんだって踏み込まれたくない心の場所があるでしょ? 個人の領域に踏み込むには手順が必要なの。焦らないで」
「私……自分が我侭言ってるの分ってます。けど割り切れなくて……」
「ウィンリィちゃんのは我侭じゃないわ。ただエドワード君との距離感が分からなくなっているだけだわ」
「エドとの距離感?」
「エドワード君は昔から何でもウィンリィちゃんに話をしていたの?」
「ええ、エドは明け透けというか嘘がつけない奴だったから」
「でもあんなに天才だとは知らなかった。母親の病気の事も悟らせずにさっさと決めて行動した」
「……はい」
「男って肝心な事を話さないのよね。どうでもいい事はペラペラ喋る癖に。そういうものだと思ってなさい。男の本音が分からないからって落ち込む事はないわ。女は成長すれば男の本音が透けて見えるようになるから」
 自信たっぷりなホークアイにウィンリィはそういうものかしら? と半信半疑だ。
 そしてロイは、だからホークアイは恐いのだと思った。
「ウィンリィちゃん、マックスの言う通りよ。何も聞かなかった事にしておきなさい。そしてエドワード君が何を考えているのか見極めなさい。知っていても黙っているのが賢い女ってものよ。自分が持ってる手札は晒さないの」
「そういう駆け引きはできません」
「でも知らないフリはできるでしょう?」
「はい」
「ならエドワード君を観察なさいな。エドワード君はあれで結構抜けてる所があるから、色々見えてくるわよ」
「リンダさんは大人ですね。私は真似できそうもありません」
 ウィンリィの深々とした溜息にホークアイはニコリと笑う。
「ウィンリィちゃんは絶対好い女になるわ。保証する。もっと自信を持っていいのよ」
「エドワードの事で自信なんかありません。端から相手にされてないんだもの」
「男の子は前しか見ないわ。支えてくれる女の子の事に気付くのはもっと大人になってからよ」
「私……支えてなんかいません」
「遠くにいて気遣ってくれているだけで支えになるの。女の優しさに男は無意識に甘えているわ」
「リンダ、リンダ。あまりそういう煽るような事は言わない方が……」
「あら何故ですマックス?」
「三角関係にでもなったら面倒な事になる。気軽に背を押すな」
「私、エドの事なんか好きじゃありません!」
「それならいいが、鋼のは相手に本気だからな。ウィンリィ嬢は美人で好い女だが鋼のの好みとは違うし」
「エドの好みってどんなんですか?」
「鋼のの好みは……普段は明るく温厚誠実、時に嫉妬深く独占欲があって努力家で聡明なハ……美人だ」
「そんな人がエドの恋人なんですか?」
「会った事はないが鋼のの言ではそういう事になる。誇大広告かもしれないがどうかな」
「温厚誠実……努力家で聡明美人……エドの奴、理想が高すぎだわ…」
「私も聞いた時びっくりした。あんまり鋼のとイメージが合わなくて」
 ロイのナチュラル無礼な言葉に女二人もうんうんと頷いた。
「エドってもっと活発な相手を選ぶと思ったのに…。嫉妬深い? 独占欲? ありえない…」
「喧嘩友達になれそうな明るさを持った子が好みだと思ったに…。聡明美人がエドワード君の好みなのね」
「君達こそ鋼のをこうだと決めつけて枠にはめ込んでいるな。そんな事では相手の本当の素顔は見えないぞ」
 シュンとなるウィンリィ。
「マックスはいいですね。エドワード君の本音を聞けて」
 ホークアイの嫌味にロイはフッと黄昏れた。
 誰が同性愛のカミングアウトを聞きたいものか。いみじくもホークアイが語ったようにゴミ箱代わりにされただけだ。
 エドワードの愚痴を聞いてやっただけで、どうして非難されるような目で睨まれなければならないのか。
 エドワードの恋人が男だと言いたくてうずうずしたが、心の中で『王様の耳はロバの耳』と叫んで我慢する。
 ロイは遠い場所にいるエドワードに中指を立てた。