モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第二章

#13



 何故この男はギャリソンがその所在を知っていると思ったのだろう。
 ……まさか裏にそんなガセネタが流れているのだろうか? だとしたらギャリソンの身が危ない。
 ちゃんと調べればギャリソンは無関係だと分かるだろうが、無罪の確証が得られるまでにどんな目に合わされるか分からない………いや、想像したくない。
 表の世界と違い、裏の人間達にとって他人の命は軽い。一介の鑑定士の命など吹けば消える蝋燭の炎と同じだ。
「お、俺が『夕日の中の故郷』の行方を知ってるという情報を誰に聞いた? 誰に聞いたか知らないが、それは全くのデタラメだ! お前はガセネタを掴まされたんだ。……まさか、そんな噂を知ってるのはアンタらだけだよな? まことしやかに流れてないよな?」
 ギャリソンは不安だった。疑わしきは罰せよがマフィアの流儀だ。ギャリソンの弁明を聞くより、面倒だから拷問に掛けて真実を聞き出した方が早い……などと考える愚か者が出てくるかもしれない。
「ギャリソン」
「な、なんだ? 何故俺が絵画の事を知ってると思ったんだ? そのガセネタをアンタに売ったのはどの情報屋だ? 俺は本当に絵画の事など何も知らない!」
「別に絵の場所を知っていると聞いたわけではない」
「え?」
「『太陽の欠片』……今日落札されたな?」
「あ……アンタも……あの会場にいたのか? オークションの客なのか?」
「聞いた事にのみ答えろ。質問は許さない」
 相手の抵抗を奪うような絶対的な響きにギャリソンは頷く。
「ダイヤ…『太陽の欠片』は今日のオークションで落札された。か、価格は……」
「値段はいい。…お前は『太陽の欠片』……イエローダイヤモンドを鑑定したな?」
「ああ、した」
「本物だったか?」
「本物だった」
「なぜそう確信できる? 色が違うのに」
「俺が『太陽の欠片』を見たのは三年前だ。あれだけ大きなダイヤは滅多にないし3Kも最高だ。鑑定人なら忘れない。色が違ってもカットやクラリティーは同じだった。……俺の勘があれは本物だと判断した。どうやって色を変えたかは分からないが、あのダイヤは『太陽の欠片』だ」
 ギャリソンの断言にロイは「そうか」と言った。
「あのダイヤは何処から来た物だ?」
「………………」
「沈黙は返答とは認めない。自分の身が大事なら素直に答えるべきだな。……私は強制はしない」
 強制しないと言いつつ、だったら拉致監禁はどうなるのだろう?
「へ、返事を拒んだらどうなる? 殺すのか?」
「そんな野蛮な事はしない。……そうだな、こういうのはどうだろう? 君を幼児連続誘拐犯に繋がる者として中央の軍人に引き渡す……とかは? なかなか洒落てるだろう?」
「軍に売るというのか! そんな事をしたらアンタだって…」
「私はどうにでもなる。しかし君はどうかな? どうなるか、賢いギャリソン君なら分かるだろう?」
 男の抑揚のない声にギャリソンは想像を膨らませ……真っ青になって怯えた。
「止めてくれっ! そんな事をされたら……」
「軍に捕まったら君は知っている事のあらいざらいを吐かされる。連続誘拐事件で翻弄され、軍は殺気立っている。犯人にコケにされ続けた捜査員達のストレスは頂点だ。そんな時にマフィアの人間が情報を握ってると疑われて捕まったら……どうなるか。何をされると思う? 一般人なら……酷い目に合わされても一応加減される。だがマフィアの人間相手に手加減する軍人はいない。……違うか?」
 男の優しい歌うような声音にギャリソンは震える。
「子供を攫った誘拐犯と繋がっているかもしれないマフィアの人間がどんな目にあっても……例え拷問に掛けられ死に至っても世論は気にしない。やりすぎだという声も上がるだろうが、お前は一般市民ではなく裏街道の人間だ。同情の声もすぐに尻窄みになる。そしてその事を軍も分っている。……軍の取り調べはきついぞ?」
「頼む……止めてくれ」
「お前は軍の取り調べに耐え切れず、ある事ない事の全てを吐き出すだろうな。情状酌量される為にあらゆる情報を軍に渡し楽になろうと縋る。……しかしそんな事をしたらどうなる?」
「……………………」
「お前の主人のグレゴリーは身内を助けると思うか? それより余計な事を喋られる前に自分達でなんとかしようと思うだろうな。彼らは用心深く勤勉家だ。鑑定士一人と組織を量ったらどちらが重いか分からないほど、計算能力がないわけではない。むしろ保身には人一倍長けている。組織はお前を庇うどころか殺し屋を送るか、自殺を薦める。身内を盾に取られたら首を括るしかないぞ? 軍とマフィアの両方から狙われたいか?」
「お、俺は……そんな……」
 ギャリソンは恐怖で死にそうだった。
 男の言う通りだ。
 冤罪でも、今軍に捕まったら真実が分かるまで責められ続ける。善良な市民ならともかく、マフィアを紳士的に扱う軍人などいない。普通に拷問まがいの尋問を受け、知る限りの事を喋らされるだろう。攫われたのは軍高官の子供と聞く。追求は過酷を極める。何もかも男の言う通りになる。
 ギャリソンは選択肢のない恐怖に震え上がった。
「俺は! 何も知らないんだっ! 本当だ! 信じてくれっ!」
「誘拐事件の事は知らなくても、奪われたイエローダイヤモンドが何処から来たかは知っている」
「あ……」
「イエローダイヤを裏市場に流したのは誘拐犯だ。お前は確かに誘拐犯の情報を握っている」
「も……持ってきたのはボスだ! 『太陽の欠片』を持ってきたのは俺のボスだ!」
「グレゴリーが持っていたのか? では誘拐犯はグレゴリーなのか?」
「違うっ! ボスは関係ない! アレを持ってきたのは別の人間だ!」
「だが貴様はダイアを持ってきたのはボスだと言った。嘘を言ったのか?」
「いや……ある女がボスに預けたんだ。換金したいと言って」
「誰だ?」
「……………………」
「素直に言った方がいい。私が欲しいのは『夕日の中の故郷』だ。お前が情報を吐かないというなら、腹いせに軍に引き渡すかもしれない」
 ギャリソンは逡巡しながらも答えた。
「ボスの……姪だ」
「グレゴリーの姪か?」
「身内だが組織の人間じゃない。腹違いの弟の子供だ。弟は南部にいて組織とは関わりがない」
「堅気だというのか?」
「いや……堅気じゃないが、マフィアでもない。酒場を経営している表の人間だが、それなりに裏とも取り引きしている」
「その娘がダイヤを持ってきたのか?」
「父親にバレないように換金して欲しいとボスに言ってきた。娘は詳しくは言わなかったが、誰かに貰ったらしい」
「誰かとは誰だ?」
「知らない。俺は姪の事には詳しく無い。俺が知るのはオークションにかける商品の事だけだ」
「姪の名前と住んでいる場所を言え」
「名前はキャサリン・グレゴリーだ。今はダブリスに住んでる」
「嘘じゃないな?」
「う、嘘じゃねえ、本当だ!」
 ギャリソンの叫びに男は沈黙した。
 しばらく男は口を開かなかった。
 ギャリソンは男が何を考えているか知りたかった。
 どうして絵画を追っているのか。あの絵に執着しているのだろうか?
 男の冷静さは好事家とは違った空気がある。この男は芸術などに重きをおかないと分かる、危険なリアルさが感じられた。
 自分は一体どうなってしまうのだろう? このまま殺されるのだろうか? それとも軍に引き渡されるのか?
 前者と後者を考えるとどちらがいいか分からない。
 前者ならたぶん苦しまない。隣の男からはプロの臭いがする。プロならば、それこそ痛みを感じるまもなく一発でギャリソンを殺害するだろう。
 だが後者は生きてはいられるが、ずっと恐怖の世界で生き続けなければならない。マフィアと軍の両方から追われる生活なんて死んだ方がマシかもしれない。そんな事は勘弁して欲しかった。
「あの……」
「ギャリソン」
「は、はい」
「姪が持ってきたダイヤについてグレゴリーは何か言っていたか?」
「いえ……俺はダイヤの鑑定を任されただけなので特には何も……」
「しかしグレゴリーが気にしない筈がない。誘拐犯から流れてきた品だぞ? 危険だがチャンスでもある。誘拐犯を探し出そうとするかもしれない。そういう事は聞いていないか?」
「聞いていません」
「本当に? どこかに電話を掛けたとか、人を南に送ったとか、弟を呼び出したとか、聞かなかったか?」
「そ、そういえば幹部の一人が今ダブリスに行ってます。何をしに行ったかは聞いてません」
「グレゴリーもやはり動き出したか。それは厄介だな」
「や、厄介って?」
「質問は許さないと言ったはずだ。……私は絵画を追っている。グレゴリーに先を越されると困る。あれは必要な物なのだ」
「そ、そうですか」
 男の関心が絵にしかないとギャリソンは思い込んで、少し安堵した。謎の男の目的はあくまで絵画にあるらしい。誘拐犯にもダイヤにも組織にも関心はないらしい。
 ギャリソンはこの上男から更に何を要求されるかと緊張した。
 車が停まった。
「ギャリソン」
「はい……」
「助かりたいか?」
「はい」
「沈黙は金という言葉を知っているか?」
「はい」
「私と会った事を忘れ、聞いた事の全てを忘れろ。それがお前の為だ」
「はい」
「ではここまでだ。降りたら百数えるまで目隠しを取るなよ?」
「は……」
 ガチャリと前の座席のドアが空く音がして、次いでギャリソンの側のドアが開いた。
「……出ろ」
 ギャリソンは見えないので手探りで車から降りた。
「百数えろ。……軍と組織が恐ければ今体験した事は夢だと思え」
 扉が閉まり、車が発進する音がした。ギャリソンは怯えながら必死に口の中で数を数えた。百まで数えた後、恐る恐る目隠しを外す。
 車は影も形も見えなかった。外灯の光りでギャリソンは自分が何処にいるか知った。
 ボスの屋敷からそう遠くない自分のアパートの前だ。
 ギャリソンは周囲を見回し誰もいないのを確認すると大急ぎで自分の部屋に入った。
 玄関の鍵を掛けてヘタリ込む。
 今頃震えが止まらなくなった。
 今のは何だったのだろうか?
 分からないが、この事を知られてはいけないのは分っていた。
 男に脅されていらない事を喋ってしまったのが分かればボスは許してくれないだろうし、第一にあの男はギャリソンの家を知っていた。ギャリソンの事を調べあげているという事だ。
 ギャリソンが約束を破って男の事を喋れば何をされるか分からない。言われた通り、なかった事にするのが得策だ。
 ギャリソンは普段はあまり飲まない酒を棚から出すと、一気に飲み干した。酒に喉を灼かれながら、酔って忘れてしまおうと決意した。