第二章
セントラルでの誘拐事件はロイの担当ではなかったが、ロイは独自に情報を集めていた。といっても表にある情報はヒューズの方が詳しいから、ロイが収集していたのはもっぱら表には出ない裏の噂話が中心だった。
誘拐事件の事は裏の世界でも噂が拡がって色々な憶測が飛んでいたが、どれとして犯人を浮き彫りにするような明確な情報は出なかった。ちらほら模倣犯も出てきて情報は複雑化したが、ほとんど曖昧で核たるものはなかった。
イーストシティに戻ったロイは多忙だった。
セントラルに栄転する事が正式に決まり、引き継ぎと引っ越しの雑務のと同時に仕事もこなさねばならず、帰宅は毎日深夜になった。
その上誘拐事件の調査などできるわけもない。情報屋から情報を買うのがせいぜいだ。
ロイは馴染みの情報屋に金を渡し、定期的に連絡を入れさせていた。
休憩と称したサボリでロイは喫茶店に来ていた。
ふらりと店に入り周りをチラと眺め、隅の席に座る。
「カフェオレ」
「はい」
店員が下がると、ロイの背後……背中合わせに座っていた男が新聞を広げながらボソボソと独り言を呟いた。
ロイはごく自然な姿で文庫本を開いた。自然な姿で口元を隠す。
「……何か分ったか?」
「一件だけそれらしいのが」
「詳しく話せ」
「初めの誘拐事件で奪われたイエローダイヤモンドが裏のオークションに流れたらしい。次のオークションに出品される予定だ」
「らしいとは? 確証がないのか?」
「ダイヤの色が違うらしい。まだ軍も裏の人間も気付いてないようだが、オークションの鑑定人がそうじゃないかと洩らしていたという」
「ほう? その鑑定人の目は確かなのか? 色が違うならモノも違うだろうに」
「鑑定人の実力は確かだ。もともとセントラル美術館の鑑定人で事情があって裏に転向したが、真偽眼は落ちちゃいない。鑑定人は本物を見た事があるから気が付いたらしい。オークションの主催者に言ったが裏に集まるものは元々どれもいわくつきの物ばかりだ。誘拐事件の証拠品だろうと関係ない」
「……臭いな」
「真偽はフィフティーフィフティーだろう」
「なぜ半分しか確証がないんだ?」
「オークションを盛り上げる為に主催者側が流したガセかもしれない。そのくらいは平気でやる」
「強気だな。そんな真似をして平気なのか?」
「マフィアと軍の上層部は一部繋がっている。噂が表に流れなきゃ問題ない」
「世も末だ」
「全くだ」
カフェオレが運ばれてきて会話が中断する。
二人が会話していた事など気付かずに店員はカップを置いて去った。
ロイはカフェオレのカップに手をつける事なく話を再開する。
「……で、そのオークションはいつ開かれる?」
「五日後の夜中だ。場所はとある貴族の屋敷だ。詳細はメモしてある」
「鑑定人もそこにいるのか?」
「普段は自宅だ。独り身で家族はいない」
「オークションの招待状は手に入るか?」
「……一通だけなら。ガサ入れするつもりなら止めた方がいい」
「そのつもりはない。ダイヤが本物か知りたいだけだ。誘拐犯に奪われた物ならどこから流れてきたか知りたい。……調べられるか?」
「やってみるが難しいだろうな。裏の商品が何処から流れたかルートが分ってしまえばあちらも危ないから、皆口が固い。こっちも知ってしまった事がバレたら消されるかもしれない」
「無理か?」
「……しばらく待て」
そう言うと男はふらりと立ち上がり店から出て行った。
地味で誰の注意も引かない風体で情報屋としての能力は高い。
ロイは丁度良い温度になったカフェオレを啜ると、聞いた事を整理する。
(誘拐犯に捕られたダイヤが裏に流れた? 誘拐犯が流したのだろうか? 色が違うというのはどういう事なのだろう? 違う物なのか? だが鑑定人は本物だと評価したという。情報屋の言うとおりオークションを盛り上げる為のガセなのか?)
ロイは嘆息する。とうとう情報らしきものが出てきた。今まで影も見せなかった誘拐犯の尻尾の先の毛を掴んだ気がする。頼りない手掛かりだが、ないよりはマシという程度か。こんな情報ではヒューズには渡せない。
ロイ自身が調べたいが果たして時間がとれるだろうか。
ロイは副官の整った厳しい顔を思い出して胃が痛くなる。
副官は時間をくれるだろうか? ……無理な気がする。
ロイがセントラルに行くまでの時間は少ない。中央に移動してしまえば以前のような自由な活動ができなくなるかもしれない。となると、動くのはやはり東部にいる間か。普段ならこんな場合鋼の錬金術師の手を借りたりするのだが、エドワードを誘拐犯だと疑っている状況で当人を使う事はできない。
しかしエドワードが誘拐犯だとするとフに落ちない。
用意周到な誘拐犯が、捕ったばかりのダイヤを早々に処分するだろうか? もう少し間を空けてから捌くものではないだろうか?
それとも緊急に金が入り用になったのだろうか?
エドワードの銀行預金にはそれなりの金額が貯まっているから、エドワードが犯人だとすると理屈に合わなくなる。
ロイは自分が何をやっているのだろうと思った。誘拐事件はロイの担当ではないし、遠いセントラルの出来事だ。下手に手を出してバレたら周りの不興を買うだろう。
ヒューズを手伝ってやりたいという心は本当だが、それだけではない。
エドワードだ。鋼の錬金術師の事が半分を占めている。
エドワードが誘拐犯として捕まった時に困るのは後見人のハクロ少将だけだ。
親しくしていたとはいえロイは上官と部下の関係だと言い切れば済むだけの話だし、ヒューズは可愛がっていた子供に裏切られた被害者だ。まさか共犯を疑われるような事はないだろう。
何も困らないからといってロイはエドワードを捕まえたいわけではない。
むしろ事実を隠蔽したいくらいだ。あの不思議な子供が犯罪者として堕ちるくらいなら、逃げてくれた方がマシだと思う。
甘いといえば甘いが、ロイはそれなりにエドワードを気に入っている。ロイ以外の人間がエドワードの怪しさに気付いてしまう前に真実が知りたかった。
もしエドワードに犯罪を犯すそれなりの理由があるなら、ロイはエドワードを許しはしなくても、逃げるのを見逃すくらいはしようと思っていた。
情報屋が残したメモをポケットに忍ばせ、ロイは立ち上がった。
仕事場に戻ればホークアイ中尉の冷たい視線と嫌味に晒されるだろう。
副官の叱咤の顔が浮かび、うんざりした気分でロイは東方司令部に戻った。
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