モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第一章

#07



 ヒューズは理解したくないとばかりに苦悩を浮かべて顔を手で覆った。
 ロイとエドワードのどちらを信じていいのか分からないのだ。
 さっきまで一緒にいたエドワードに怪しい点は何処にもなかった。疑う以前の問題だ。
「エドが……まさか……信じたくない」
 エリシアの事を本当に心配していたエドワード。
 毎日ヒューズ家に顔を出し笑顔を見せるエドワードの優しさを、全部嘘だと思いたくないヒューズだ。
「ロイの考え過ぎだ。確かにエドは秘密主義で胡散臭い所があるが、中身は良い奴だぞ」
「私は鋼ののひととなりを貶しているのではない。鋼のは捻ているが性格は悪くない。あの子に対し好意もある」
「ならなんでそんな疑いを持つんだ? 根拠としてはあまりにお粗末だぞ」
「勘だと言っただろう。……鋼のは謎の塊だ。六年付き合ってきたが私は未だにあの子が分からない。ヒューズの目に写るあの子は家族想いの不器用な優しい子だろ? だが私の目に写っているのは、家族を愛しながらも家族との接触を避ける不可解な子だ。師もいないのになんでも知っていて、年齢にそぐわない立ち振る舞いを身に付けた奇妙なガキだ。家族でさえ鋼のがあれほどの天才児だとは知らなかった。家族に全く知られず技量が研けるほど錬金術は甘くない。鋼のをとりまく状況は明らかにおかしいんだ。……外見と中身にギャップがある異邦人、それが私の鋼のの印象だ。私は鋼のが気持ち悪い」
「おい、言い過ぎだぞ」
「あの子は私達に好意を抱いている。それは何故だ? ヒューズは分かる。お前はエルリック家の人間に優しい。好意を抱かれる理由はある。……だが私は? 初めて出会った時……あの子は私に笑顔を見せた。明るい青空のような笑顔だ。愛情と懐かしさを浮かべる顔を見た時に私は混乱した。そんな目で見られる意味が分からなかったからだ。その屈託ない笑顔をもう見る事はできないが、忘れられない。なぜ鋼のは私に構う? なぜ私に手を貸す? なぜ会ってもいない時から私を名指しで呼んだ? なぜあの子は私が抱えるイシュヴァールでの傷を知っている? ……私はあの子が分からない。鋼の錬金術師は……気味が悪い」
 ロイの吐き出した本音にヒューズは更に混乱する。
「エドがお前の事を事前に知っていた? イシュヴァールでの事も知っている? どういう事だ?」
「忘れたのかヒューズ。六年前にエドワード・エルリックからレポートが送られてきた時に言っただろ。面識のない人間からジャンル違いの医学のレポートが送られてきたと。あの子は沢山の人間に同じ物を送りつけたから、片っ端から適当に送ったんだろうと皆思ったが、そうじゃない。あれは私個人をターゲットに送られたものだったんだ。鋼のはどうしてか私の事を知っていて、私と接触する為にああいう形で関係を持とうとした」
「考えすぎじゃないのか? エドはあの時母親を助ける為に必死だった。お前の名前はイシュヴァール戦争で広く知られていたからな。同じ錬金術師だし、少しでも希望がありそうな所に送っただけだと思うぜ」
「私も始めはそう思ったんだが、初めてあの子と会った時の事を思い出すと……違う気がする。鋼のはあの時、沢山の乗客の命を救った。力つきて倒れたあの子は私の姿を確認すると笑ったんだ。やっと会いたい人間に会えたという顔で。……あの子の顔には安心があった。私はずっとその意味が分からなかった。だから鋼のを理解できないでいた」
「ロイ。……じゃあもしエドがエリシアが攫われる事を知っていて、黙っていたとしたら……それは何故だ? エドは誘拐犯と繋がっているというのか?」
「もしくは誘拐犯の事をよく知っているか。誘拐犯がエドワードの知り合いで、どうしてもそうしなければならない理由があって、絶対に子供を傷付けない事を知っていたとしたら、沈黙する意味は分かる」
「おい……」
「いずれにせよ鋼のは何か知っている。それは絶対だ」
「エドを……問い詰めるのか?」
「聞いたが答えなかった。締め上げても正直に吐く鋼のではない。鋼のは話をするのは二ヶ月後と言った。……あと一ヶ月ちょっとだ。なぜ急にそんな事を言い出したのか分からないが、私にエリシアの誘拐を匂わせた事といい、鋼のの中で隠す必要が無くなってきているという事だ。あの子は何かを企んでいる。私はあの子の抱える秘密が知りたい。だから待っている。あの子が自分から話すその時を」
「俺にも待てというのか?」
「力づくで問い詰めた所で鋼のは何も喋らない。軍に連行して尋問しても、知らないの一点張りで終わると思うぞ。鋼のは私にしか話してないから『そんな事言ってない。マスタング大佐がでたらめを言っている』と言い逃れるだろうな。誘拐事件に関してはアリバイがあり、動機もない。スカーの事だってシラをきればそれまでだ。鋼のは国家錬金術師だ。自分も殺害対象になっているのだから、スカーと繋がっているわけないし、動機も利益もないのだから鋼のが国家錬金術師の殺害を見逃すわけもない。鋼のは外から見れば全くのシロであり、あの子を尋問すれば我々が良識を疑われ、結果何も出て来ないと、ただの失態として終わるという事だ。鋼のはそれをよく分っている。我々は力づくでは動けない」
「おいおい……。それも考えすぎじゃないのか?」
「ヒューズだって私の言葉を聞いて疑っただろ? 鋼のは犯罪者でなくても……絶対に何か知っている。私があの子を追い詰めないのは、鋼が時が来れば告白するつもりだという事と、鋼のが私に向ける好意が本物だという二点だ。あの子は私を信じ何かを伝えようとしている。だから私はその時が来るのを待っているんだ」
「ロイ……。俺はもう何が何だか分からねえよ……」
 呻くようにヒューズは言った。
 ロイは酒を継ぎ足して言った。
「鋼のは少し先の未来が見えると言った。全てではないが、見えるものあるからそれに従って動いていると言った。あの子の不思議発言はまだある。……あの子は私がセントラルに栄転する事を、私がスカーに会うより前に知っていたぞ」
「嘘だろ。……だってそん時はまだお前の移動の事なんて話にも出てなかったぞ」
「中央の国家錬金術師が殺されて穴が空いたから、いずれ中央に召喚されると鋼のは断定した。……全くあの子は千里眼だ。こうも当たると恐ろしい」
「エドは……何者なんだ?」
「それを私はずっと前から言ってるだろ。鋼のは得体の知れない化物だって。……化物の正体も……じきに分かる。あと一ヶ月……焦れったいが待つしかない」
「ンな事聞いて、明日からエドとどう接すりゃいいんだよ?」
 ヒューズが悲鳴のように言う。
「普通にするしかないだろうな。何も知らないフリをしていろ」
「できるかっ!」
「疑ってもキリがない。あの子を探るのはいいが果たして何か出て来るやら。鋼のだって疑われないように用心している。下手に突けば巣穴から出てこなくなるぞ」
「勘弁してくれ。ガキを疑えって言うのかよ…」
 情けない顔で親友に相談するヒューズに、ロイはただ待てと言った。
 ヒューズの気持ちも分かる。
 エドワードを信じきっていたのに突然足元をすくわれたのだ。
 裏切りは日常茶飯事だが、それは仕事での話だ。
 エドワードの事は無条件で信じていたのだ。何をどうしていいのか分からない。
「エドを……エリシアに近付けて大丈夫なのか?」
「大丈夫だろうな。鋼のにだって弱点はある。母親と弟がいるんだ。いざとなったらあの二人を使え」
「使うってどうしろって?」
「それは自分で考えろ。だが今の所こちらと敵対する意志はないようだ。こっちを陥れるつもりならもっとうまくやるだろう。こんな杜撰なやり方でボロを出すとは思えない」
「エドにどんな顔すりゃいい? 平気な顔をする自信がねえぞ」
「鋼のは聡いからヒューズの変調を悟るかもしれないな」
「まったく…………とんでもない事を聞かせてくれたもんだ」
「ふん、私はずっとこんな気持ちだったんだぞ。私の気持ちが少しでも分ったか」
「ああ分った。でもなんでロイはエドが得体が知れなくても平気なんだ?」
「あの子の中身は不気味だが……それでも鋼のは家族を愛している。あの子は家族の為なら何だってするだろう。……それが分かるから一概に嫌えない。あの子の心の柔らかい所にはまだ純粋な愛情が存在している。ヒューズが家族を愛するように鋼のも家族を愛し、家族の前ではエドワードはただの子供になる。その顔を知ってるからな。鋼のはとても強いが……同時にとても弱い。弱点がハッキリしている。家族を愛し、東方司令部の部下と親しく接し、ヒューズ家の人間を愛し……そういう面は嘘じゃない。だから嫌いきる事ができない」
「エドワードのこっちに向ける信頼と愛情は嘘じゃないっていうのか?」
「ああ。裏で何か動いていても、それだけは嘘じゃないだろう。だからヒューズもそのつもりで接しろ」
「難しい……な」
 ヒューズは頭を抱え考え込んだ。
 ヒューズは混乱しながら酒杯を重ね、ロイも酒に浸りながら『私は言ってしまったぞ、これからどうする、鋼の?』と挑戦的に思った。
 ロイだけが悩むのは不公平というものだ。悩みは共有してこそ解決の糸口が見付かる。……と自分に言い訳してロイは酩酊した。