モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第一章

#06



 頃合を見計らってエドワードは立ち上がった。
「オレはそろそろ帰るわ。……ごちそうさま」
「なんだ、もう帰るのか」とロイ。
「毎日来てるから。……じゃあな中佐」
「おお。明日も来いよ。……いっそうちに泊まればいいのに。うちはいつでも大歓迎だぞ」
「そこまで迷惑掛けられないって。……昼間は結構あちこち出掛けているし。……オヤスミ」
「送らなくていいのか?」
「女の子じゃないんだし平気だ。じゃあ、大佐もまたな」
 一足先にホテルに戻るエドワードを見送り、大人二人は酒盛りの続きをする。
 子供がいなくなると空気が変わる。互いにしか見せない顔になる。
「ロイはいつ帰るんだ?」
「私は明後日の午前中だ。もっといたいが仕事が溜まっているからゆっくりはしてられない。帰りが遅れたら中尉に怒られる」
「焔のマスタングも副官には弱いか……。お前はあちらでやりたい事がやれて良かったな。東部にとばされたのは正解だ」
「こちらに来たら色々窮屈になるだろう。……だが中央で人脈を広げるのは大事な事だ。私の戦いはこれからだ」
「ああ」
 ロイは濃い酒を舌先で舐める。
 エドワードの事を言うべきか迷った。発言の責任をロイはとれない。
「ところでヒューズ。先程の話の続きだが」
「なんだ? 情報でもあるのか? エドには言えない事か?」
「いや私の方にはないが……」
「……が? お前以外に誰か何か知ってるのか?」
「私は鋼のが何か知っているんじゃないかと思っている」
「エドが? アイツが何か知ってたら俺に言ってくるだろうが?」
 ヒューズは軽く聞き流したが、ロイは言葉を続ける。責任をとれなくても一緒に考えて欲しかった。
「もしかしたら……」
「なんだ?」
「荒唐無稽な想像だがな」
「なんだよ、勿体つけて。早く言え」
「これは私の勘で証拠も何もない。真面目に言うから笑うなよ」
「んな深刻な時に笑ったりするかよ。早く言え」
 ロイはヒューズをジッと見た。複雑な胸の内を察してくれとばかりに。
「ロイ?」
「私は鋼のが今回の連続児童誘拐及び身代金強奪犯ではないかと疑っている」
「あ……?」
「鋼のは否定したが、これが私の考えだ」
「アハハハハッ……ロイ、お前もう酒がまわったのか? 冗談にしちゃあんまり楽しくないぞ。もっと気の効いたジョークを言え。エドが聞いたら怒るぞ?」
「笑うなと言っただろ。私は冗談など全く言っていない」
 ロイの顔に揶揄が全くないのを見て、ヒューズの顔も真剣になる。
「……ロイ。お前何考えてんだよ。エドが誘拐犯だって? ありえないだろそれは。なんでンな事を言うんだよ? 確証でもあるのか? 何かエドに怪しい点でも出てきたのか?」
「いや全く。鋼のはアリバイもあるし動機もない。見た目は全くのシロだ」
「じゃあ……」
「だが私の勘が、鋼のが誘拐犯だというんだ」
「……お前の勘が忙しさに誤作動したんじゃねえのか? エドが誘拐犯? ……ないない、あるわけない」
 ヒューズは全く信じておらず手を顔の横で振った。
 ヒューズはロイに「飲み過ぎだ。疲れてるから酒が回ったんだろう」と言って、酒の上の冗談だと本気にしない。
「お前は信じないだろうし鋼のは絶対に認めないが、私はそう思う。……証拠はこれから探す。これはヒューズの胸の内にだけ留めておいてくれ」
「おい、ロイ?」
「そうでないといいのだがな……」
 ロイは苦い顔だ。
「お前……本気で言ってるのか?」
 ヒューズが信じられないと顔を引き攣らせる。
「真面目に発言すると言っただろ。……本気だ」
「……なんでそんな想像をした? エドに怪しい点は何もないんだろ?」
「あるとしたら一点だけだが……それは証拠にはならない」
「一点てなんだ?」
「鋼のはセントラルに来る前に、私に言った。『スカーが現れてアンタに接触した後何かが起こるかもしれないが、イーストシティから出ないでくれ。私情では動くな』…と」
「それが?」
「スカーと私が接触した後すぐにエリシア誘拐の連絡が入った。……鋼のはこれが言いたかったんじゃないのか?」
「…………まさか。単なる偶然だろ?」
「偶然を信じるほどめでたい思考はしていない。考えた末に出した結論だ」
 ヒューズは考え込む。
「……ちょっと待てよ? ………エドがセントラルに来る前? それはいつの事だ?」
「ヒューズがイーストシティに来る三日前だ。私にこっそり告げた。その晩、鋼のはイーストシティを出た」
「……そりゃ何かの間違いじゃないか? 俺がイーストシティに行く三日前……〈傷の男〉の姿はまだ視認されていない。国家錬金術師殺害犯の顔に傷がある事も、奴がイーストシティに来る事も知らないはずだ。何故なら〈傷の男〉がセントラルで確認されたのは俺がイーストシティに来る二日前だ。三日前にはまだスカーという通称すらついてなかった。どこかで記憶が食い違ってるぞ」
「その疑問は私も持った。ヒューズが来た時に『二日前に姿が確認できた』と聞いた時から謎だった。だが鋼のはたしかに三日前にはスカーの事を知っていた」
「ちょっと待て、まさかオレがイーストシティに行ってお前に会った時には、すでにスカーの情報を得ていたって言うんじゃねえよな?」
「言う」
「おい、どういう事だよ?」
「それは私が聞きたいくらいだ。それに……」
「それに?」
「鋼のはスカーがイシュヴァール人だという事も錬金術師だという事も知っていた」
「まさか…ありえない」
「そう、ありえない事だ。だが事実だ。鋼のはイーストシティを出る前に私に忠告した。スカーが現れる事も、奴がイシュヴァール人の復讐鬼である事も錬金術師である事も、全部喋った。……事前に聞いていたから、私はあの男の目を見ても動揺せずに済んだ。鋼のに聞いていなければ私は……奴の顔を見た時に動揺して隙を作っていただろう。あの男はその隙を見逃さない。鋼のは私を殺させない為に密かに忠告したんだ。……誰にも言うなと言われたが………ヒューズには教えておく。誰にも言うなよ」
 ヒューズは信じられないという顔だ。
「だって……そんな……。じゃあエドは何もかも知っていたっていうのか? 俺達がスカーを追い詰め奴のサングラスを外すまで、誰も奴がイシュヴァール人だという事を知らなかったんだぞ。何故エドが知ってたっていうんだ? ……まさかエドとスカーは知り合いなのか?」
「それはないと鋼のは言っていた。スカーにとって全ての国家錬金術師が殺害対象だ。鋼のはスカーに見つかれば殺されると言っている。スカーと繋がっているという事は無さそうだ」
「じゃあ何でエドはスカーの特徴をこうも詳しく知ってたんだ? エドはイーストシティにいてセントラルで起きた殺人事件の詳細すら手に入らなかったっていうのに。軍が血眼になって探していた殺人犯の特徴をなぜ遠く離れたエドが前もって知ってたんだ? おかしいぞ」
 訳が分からないという顔のヒューズに対しロイは冷静だ。
「ああ、おかしい。だがいつもの事だ」
「いつもの事?」
「鋼のは誰も知らない事を知っている事がある。予言……というほどのものではないが、たまに知るはずの事を知っている。私はいつもその謎を知りたいと思っていた」
「エドは未来が分かるっていうのかよ?」
「全てが分かるわけではないらしい。全部を予測できたなら殺人や事故を防いでいるだろうからな」
「ならなぜスカーの事を知っていた?」
「さあな。鋼のは……謎だ。六年前に出会った時から私はあの子が分からない。ただの天才児ではない。あの子にはとんでもない秘密が隠されているような気がする。だから気が抜けない」
「とんでもない秘密? ……本気で言ってるのか?」
「ヒューズは今まで何も知らなかったから鋼のをただの子供扱いしてきたが、知った今はどうだ? 鋼のがスカーの情報を事前に握っていた事を聞いてどう思った? 奇異に思っただろう? それにエリシア誘拐の件だ」
「それもエドは知ってたって言うのか?」
 エドワードを疑いたくないヒューズはそっちは違うだろうと言う。
「鋼のは詳しくは言わなかったが、多忙な私が私情で動きたくなるような事はそう多くはない。タイミングが良すぎる」
「疑っているなら、なぜエドを問いつめない? 怪しいと思ったら探るのがお前だろう?」
「聞いたさ。そしたら鋼のは……二ヶ月後に話すと言った。あの子は頑固だから自分の言葉を曲げない。今は何を聞いても知らないの一点張りだ。我々は待つしかない」
「エドが……まさか」
 信じたくないとヒューズは顔を歪める。
「知っていたならなぜエドは誘拐を事前に止めなかったんだ? 誰にも言えなくても俺にこっそり言ってくれれば何とかしたのに」
「鋼のはエリシアが無事に戻る事を知っていたんだろう。エリシアが行方不明になっていたのは数時間だ。半日もない。エリシア自身誘拐されたのを知らないのだから、大した事にはならないと知っていたんだろうな。もしくは誘拐犯と何らかの繋がりがあるか」
「大した事じゃない? エリシアは誘拐され身代金を要求されたんだぞ?」
「だが結果はどうだ? エリシアは誘拐の自覚なく傷一つつけられてない。身代金の取り引きは失敗し何も捕られなかった。結果として傷ついたのは軍の威信とヒューズ夫妻の心だけだ」
「……だけ? グレイシアがどんなに心を痛めたか分ってて言ってるのか? あれからよく眠れないし心配でエリシアから片時も目を離せない。自分を責めて苦しんでいるんだぞ!」
 ヒューズの怒りにロイは落ち着けと宥める。
「気持ちは分かるが冷静になれ。……私が言った事は全て推論だ。証拠はない」
「だがエドはエリシアが誘拐される事を知っていたんだろ?」
「そうではないかと思っただけだ。はっきりそうだとは言っていない」
「ロイはエドが知ってたって確信してるのか?」
「ああ」