モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第一章

#05



 夕食の後、ヒューズ、ロイ、エドワードはリビングで酒を楽しんだ。エドワードはジュースだが。グレイシアはエリシアを寝かしつけに行っている。
 ロイが冗談で酒を勧めるとエドワードは「ガキに酒勧めんな」と丁重に断った。
「鋼のは真面目だな」
「身体に悪い事はなるべくしないようにしている。社会人として自己管理は最低限かつ必須事項だぞ」
 エドワードの冷たい視線にロイは「キミは真面目すぎる。冗談でかわす事も覚えたまえ」と言った。
「大丈夫だぞ、エド。ロイは若い頃はエドの数倍も不真面目だったが、なんとかまともな大人になれた。若さ故の過ちで許される事もある。優等生でいるのもいいが色々な事を経験して、失敗を繰り返しておけ。ガキでいる事は限られた間の特権だぞ。色々な免罪符になる」
 ヒューズの年長者らしい助言にエドワードは「そうだな」と苦く笑った。
 子供の免罪符? エドワードにそんなものはない。
 エドワードは子供だったが天才故の傲慢で取り返しのつかない間違いを犯した。
 いっそ天才でさえなければエドワードは幸福だったろう。
 母親が死んだ事も時が過ぎれば自分の中で消化できたはずだ。ウィンリィがそうしたように。
 エドワードは諦めるという事を知らず、無茶を実行できるだけの頭脳と忍耐力があった。それが不幸の始まりだった。
「大佐はいっぱい失敗談がありそうだな。……中佐、何か面白い話知ってる?」
「お、そうだな。ロイとは学校の寮で同じ部屋だったんだがこいつは……」
「おいヒューズ、そんな話は後にしろ。私は忙しいのだ。軍では聞けない話をしに来たんだぞ。事件の事は機密扱いになってるからな。くだらない話をしている暇はない」
「…んなの分ってるさ、ロイ。……冗談で場を和ませてから話をしようと思ったんだよ。お前は都合が悪くなるとすぐそれだ」
「私のプライベートなどどうでもいい。もう充分和んでいる。……今日までの成果はどうだ?」
 ロイは強引に仕事の話に切り替えた。
「かんばしくない」
 ヒューズも真面目な顔つきになる。
「関わった人間を全て洗っているが、今の所これといってハッキリした証拠は出てこない。借金がある者、軍に恨みを抱いている者はいるが、アリバイがあったりして該当しそうな人間はまだ見付かっていない。手掛かりといえばやはり軍内部犯という説か。犯人達はこちらの動きを全て把握している。セントラルにいる軍人でなければ分からないだろう。内部調査室が動いている」
「内部犯か……。仲間を疑うのは嫌なものだが、確かにそれが一番しっくりきそうだな。犯人の目星はついているのか?」
「ない事もない。金に困っている者、仕事に不満を持っている者はいる。だがそれとはまた違う気がするんだ」
「どんな風に?」
「そりゃまだ分からんが、誘拐事件の内容が異様だからな。単純な理由と犯人像ではない気がするんだ」
「そうか。……私もそう考える。犯人達はただの金目的や怨恨ではないと思う。もっと複雑な何か…。その何かがまだ分からないが。……鋼のはどう思う?」
「オレは……愉快犯じゃないかと思う。事件そのものを楽しんで遊んでいるような気がする。子供達を傷付けないのも解明できない方法で身の代金を奪うのも、全てをゲーム感覚でやってるからじゃないか? 人質だけじゃなく軍人すら攻撃されていない。軍に恨みがあったらもっと人死にが出てるはずだ。金額的に被害は大きいけれど被害者という点では軍そのものという感じだ。……恨みとは違う気がする」
「言われてみればそうか。事件性の大きさに比べて確かに具体的な被害は金だけだ。捕られた金額はデカくても殺人や重大な傷害は起きてない。こりゃどういう事だ?」
 ヒューズは考え込んだ。
「まるで子供のイタズラだな」とロイ。
 エドワードは頷く。
「確かにね。……今の所成功してるけど、内容だけ見るとまるで子供の『誘拐ごっこ』だ。被害者が幼すぎるから疑われてないが、攫われたのがもう少し大人だったら自演自作を疑われかねない。被害者側が全く危険に晒されてない」
「全くって……そりゃ言い過ぎじゃねえか? 実際攫われた子供の親は死ぬ思いをしたんだぞ」
 ヒューズは反発する。その時味わった恐怖は当事者でなければ分からない。
「でも子供は恐怖感を感じてない。子供達はちょっと変わった一日があった……くらいにしか感じてねえよ。時間が経てば全てを忘れてしまうと思う。被害者が自分を被害者だと思ってない」
 エドワードの言う通りなので大人二人は否定できずに黙る。
 ヒューズがロイに資料の写しを見せる。
「心理学者がプロファイリングした犯人像だが…『幼い精神のまま大人になったアダルトチルドレン、もしくは子供。優秀な子供が計画した遊び』…だ。あまり重要視されなかったが考えてみると当たっているな」
「そんなプロファイリングが出てるのか? 何故会議で取り上げられてないんだ?」
「プライドの問題だろ。ガキの精神持った奴にコケにされ続けてるなんて思いたくないのさ」
「馬鹿な。犯人達が優秀で残忍な集団の方がいいと? 自分達のプライドが傷つかないから? ……上層部の人間こそ中身は子供じゃないか」
「全くだ。上に口を出されると捜査方針が余計な方向に曲がっていっちまう。捜査の責任者がコロコロ代わるのも問題だ。下は落着かないし捜査に芯が入らねえ。上層部は本気で犯人を捕まえる気があるのか本気で疑うぞ」
 珍しくやってられないと零すヒューズを見て、ロイはエドワードに聞く。
「犯人の視点が子供だとしたら。……子供の君の意見が聞きたい。……鋼のならこの誘拐を成功させられるか? アメストリス中の子供で君より頭が切れる子はいない」
 ロイの挑戦的な視線にエドワードは平然と返す。
「無理だ。条件が悪すぎる。誘拐犯が使った自動人形のカラクリの仕掛けが分からないからな。ある程度なら精巧なカラクリの人形は作れるだろう。でも『ある程度』だ。会話して誘導して誰にも見付からないように動ける人形、となると分からない。てんでお手上げだ。オレはそっちの細工系には詳しくない。そんな精密な人形細工があるものなのか? 軍ではその辺は詳しく調べてるはずだろ?」
「アメストリス一と言われる人形師に聞いたが、そんなカラクリ人形は見た事がないそうだ。お茶を持ってきたりする人形はあるがそれほど距離は歩けないし、ゼンマイを巻かないと止まってしまう。人形師の話では精密なカラクリ細工を作るのは時計製作者や機械鎧技師の方がより精密に作れるだろうという事だ。そりゃそうだな。機械鎧技師の方が技術者としては上だ。今機械鎧の技師を当たってる」
「機械鎧技師か……」
 確かにそちらの方が考えやすいよなとエドワードは思った。
 軍は馬鹿ではない。……見当違いだが。
「そんな自動的に動く人形が本当にあったとしたらコトだな。犯罪の成功率が増えてしまうではないか」
 ロイが危ぶむ。
「確かに。このまま迷宮入りにさせてたまるか。何としても事件を解き犯人達を捕まえてやる」
 ロイはいきごむヒューズと冷静なエドワードを見比べて、分からなくなってきた。
 こうして見るとエドワードが犯人と繋がっているとはとても思えない。罪悪感も後ろめたさも作為も悪意も感じられない。いつものエドワードだ。
 エドワードの行動にはいつも何らかの意味がある。
 なんでそんな風に動くのか分からなくても、後で「ああそういう事だったのか」と納得できる事がある。
 エドワードの言葉通りなら、犯人側は軍を舞台に遊んでいるのだろうか? 何の為に?
 軍をこき下ろす為? それとも他の理由で? 巨大なリスクを抱えて?
 考えても分からない。ロイが持っている情報はヒューズから渡された物だけだから、知らない事が沢山ある。
 このままセントラルに留まりエドワードを監視していたいが、無理だ。ロイはイーストシティに戻り、エドワードはセントラルに居続ける。
 ロイがいなくなってエドワードは次にどう動くつもりなのか。
 自在に動く自動人形。……エドワードはそのカラクリを知っているのだろうか?
 エドワードの新しい錬金術……とか?
 そんなモノが創りだせるのだろうか?
 だがエドワードは天才だ。凡才には思い付かない事を実行できるから天才というのだ。
 ロイの思考はいつも途中で止まる。
 全ては『かもしれない』だ。推測の域を出ない。
 今まで自分の勘を信じてやってきた。エドワードに対しての勘も間違ってないと思いたい。
 ……いや待て。その考え方だとエドワードが犯人であって欲しいと言わんばかりじゃないか。
 エドワードが犯人であって……欲しくない。それは困る。
 エドワードが誘拐犯として捕まったらどうなるか?
 東方司令部の人間は驚くしヒューズ一家は嘆くだろう。軍の権威も失墜する。
 それにロイも一人茶飲み友達を無くす。エドワードが犯人では困るのだ。
 それにしても、何故エドワードはロイに気付かせるような言葉を言ったのだろう?
 エドワードの良心? それともロイに対する挑戦なのか?
 必然性が見当たらない。
 試しにロイは聞いてみた。
「……鋼の。もし君が犯人だとしたら次はどの子供を狙う? 参考までに聞かせてくれ」
「オレだったら? ……アンタだったら誰を狙うんだよ?」
「質問に質問で返すのは美しくないな。まずは君から答えたまえ」
「オレねえ……。うーん。セントラルの軍人は詳しくないからなあ。さらにその家族構成となると…。ええと、アームストロング少佐は独身だし……妹がいたっけ? ハクロ将軍の家族はニューオプティンだし。……急に聞かれても分からない。大佐はどう予想してんだ?」
「私もセントラル勤務の者の家族構成までは知らないからな。……ただ今はみんな誘拐を用心して護衛をつけているから、案外予想外の所から攫われるかもしれない。二番目に誘拐されたのは南方司令部勤務者の家族だ。それを考えるとセントラルだけ用心していればいいというものではない」
「確かにな」
「予測不可能か……」
 ヒューズもそちらの面から推測するのは難しいと言った。