第一章
エドワードは沢山の謎かけをロイに与えるから、ロイはエドワードの事を考えずにはいられない。
ロイを見る迷いのない目となんとなく分かる友好的態度に、ロイも一概にはエドワードを疑いきれないでいる。
本当ならとっくに締め上げて知っている情報を吐かせるのだが、エドワードは軍の誇る最年少国家錬金術師で功績は華々しく犯罪とは無関係で、表向きキズ一つない。証拠もないのにエドワードを締め上げたら、困るのはロイだ。エドワードの後見人はロイではなくハクロ将軍なのだ。
ロイの探るような視線にも動じる事なく、エドワードは悠然としている。内心で焦燥を感じていたとしてもそれを表に出さないのは大したものだと思う。
いや、本当に後ろ暗い面がないとしたら。
エドワードはヒューズ家とは親しくしているし、間違ってもエリシアを傷つけるような事はしないだろう。エドワードは真直ぐな子供だ。謎は多いが性格は一本気で間違った事を嫌う。幼児誘拐なんて非道は絶対にしないと思う。スレている面はあるが内面は純粋なのだ。
しかしこの落着かない気分はなんだ? どうしてもエドワードに対する疑いが晴れない。
証拠もないのに疑ってどうすると思うが、長年培ってきた勘が囁くのだ。
『エドワード・エルリックを疑え』……と。
ロイは直球で聞いた。
「君はエリシア・ヒューズの誘拐に加担したのか?」
エドワードは目を見開いた。しばし言葉を失った後に「なに言ってんだ、大佐?」と呆れた声で言った。
「聞こえなかったか?」
「聞こえたけど。……なんでオレがエリシアを? ……つか、今冗談を言ったのか? そうなのか? だとしたら全然面白くなかったぞ」
「冗談ではない。そう思ったから聞いただけだ。……どうなんだ?」
「ンな訳ねえだろ。なんでそんな結論に行き着いたんだ? 訳分かんねえ。忙しすぎて頭のネジがぶっ跳んだか?」
エドワードの声と顔には疑う要素は見られなく、しかしロイは真面目に言った。
「私は君を疑っているのだが、君の言い分を聞きたい」
「は……? それマジで言ってんの? ……なんで? オレ疑われるような事した?」
「言うなれば……勘だ」
「……勘?」
「そうだ、勘だ。証拠は何も無い。だが私の勘が君が無関係ではないと囁くのだ」
堂々と疑われてエドワードは口をだらしなく開けた。
「……あのなあ。……どういう勘働いたらオレが犯人だって結論になるんだ? 証拠はない? 勘が囁く? テメエはシックスセンスの持ち主か? ンな事上層部に聞かれたら折角の中央移動がパーになるぞ。ロイ・マスタング大佐は多忙のあまり妄想癖が出て神経に異常をきたしましたって」
「分ってる。私は荒唐無稽な事を言っている。だがこれが私の偽らざる本音だ。……鋼のの弁明は?」
「弁明って……疑われる事自体驚きで返事なんか一つしかないんだけど。……んなの知るか!」
相手にしていられないとエドワードはソファーの上でだらしなくのけ反った。
しかしロイの顔はしごく真面目なままだった。
「君の言い分はそれか?」
「そうだよ。…てぇか当たり前だろ? オレが幼児誘拐犯? いくらオレが性格が悪いからってそりゃはねえだろ? なんでオレがエリシアを攫わねきゃならねえんだ?」
「理由は鋼のにしか分からない。だが君は君の理念に従ってそうしたのだと思う」
「どんな理念だ? ヒューズ中佐に聞かれたらマジ殺されるぜ」
「キミはヒューズの怒りを買いグレイシアに恐怖を与えてまでエリシアを攫わねばならない理由があった。……違うか?」
「違う」
アンタ頭大丈夫か? というエドワードの視線。演技かどうかロイには分からない。
「……なんでンな事思ったんだ? あんまりにもありえないぞ」
「ああ。ありえない。だが君ならありえると思ったのだ。……何故かな」
「オレが知るか」
エドワードはヘッと鼻で嘲った。
エドワードの態度は無礼だがロイの発言も充分無礼なので相殺だ。酒の席の冗談ならともかくロイは本気で聞いた。
エドワードは怒るよりも呆れて弁明する気にもなれないという態度を通している。態度は非礼だが、掛けられた嫌疑が嫌疑だからその態度も仕方がない。親しくしている一家を恐怖に陥れた誘拐犯だと疑われて怒らない人間はいない。エドワードが犯人でないとするとただの侮辱だ。
「……本当に君ではないのか?」
「だからそう言ってるだろ? なんで根拠もなしにンな事言い出したんだ?」
「いや。……君は誘拐事件が起きた時からずっとイーストシティにいてアリバイもある。それに鋼のには動機がない。金には困っていないし関係者に恨みもない。愉快犯にしては内容が笑えない。メリットが全くなく関係者の接点はヒューズだけだ。疑う方がどうかしている」
「……だよな? それが分っていて何故?」
「理論上でいうと君は誘拐犯とは全く関係がない。だが理論を越えた所で考えると君かもしれないと思うのだ」
「理論を越えた所って何処だよ? 全ては状況から判断するんだろうが。何か新事実でも出てきたっていうのか?」
「いや。今のところ大きな情報は何も入ってきていない。全て私の独断と偏見だ」
「独断と偏見……。理論を越えた所ってそこかいっ!」
真面目に聞いて損したというエドワードにロイはしれっと「キミが犯人だと考えるのが一番理想的なんだがな」と言った。
「どんな理想だ、よ?」
「不可解な取り引き方法。そして子供達の証言と開放されるまでの過程。……誘拐犯は始めから子供達に危害を加える気も捕まえておく気もなかったように思える」
「なんでそう思うんだ? 今まで子供に怪我はなかったけど、それは子供達が大人しくしてたからだろ? 下手に抵抗したら危なかったんじゃないのか? 子供達が無事なのは運が良かっただけかもしれないぜ?」
「確かにそうかもしれない。……子供の証言を読ませてもらった。子供達は自分から帰りたいとあまり強く希望しなかったようだな。その場で遊ぶのに夢中になっていたと言っている。帰りたいというと『じゃあおやつを食べたら帰ろうか』と言われて菓子を与えられ食べてそのまま眠ってしまったという事だ。起きたら家に帰されていて、誘拐されたと思っている子供はほとんどいない。強制された事は何もないから、子供の視点では誘拐なんかなかった事になっている。周りの大人ばかりが振り回されている形だ」
「ああ……オレも調書の写しを読んだから知っている。確かにそうだ。子供達は無理に閉じ込められてたわけじゃない。遊んでいて家に帰れなくなっただけだと思っている。対応した大柄な男は優しく、無理な事は何もしなかったらしい。……で、それが何でオレの仕業って事になるわけ?」
「いやあ……子供同士なら警戒心なく付き合えたのかあな…って……」
「イーストシティにいたオレがどうやってセントラルで攫われた子供と遊べたのか具体的な説明をしろよ」
「……それはまあ、鋼のだから……」
「オレだからどうしたって?」
「いつもの不思議ワザで何とかした……とか?」
「どんな不思議ワザを使えばンな事ができんだオラ! その具体性の無さと理論破綻は錬金術師としてどうかと思うぞ」
「世界には理屈では解明できない事が沢山ある」
「もっともらしく言うな! テメエはどこぞのイカレた学者崩れかよ! 軍人ならもちっとそれらしい事を言いやがれ!」
当然の台詞にロイはワザとらしく横を向く。
「鋼の。ちょっとした冗談じゃないか。……そんなに怒るな、カルシウムが減って更に身長が伸びなくなるぞ」
「誰が怒らしてんだよっ!」
カーッと牙を向くエドワードにロイは笑って誤魔化した。
「いつもキミの謎掛けに翻弄されているんだ。たまには私が翻弄したっていいとは思わないか?」
「思わない」
「即答するなよ。可愛くないな」
「アンタに可愛いなんて思われたくないぜ」
「サイズ的には可愛いと思ってるぞ」
「誰が掌サイズのチビかっ!」
「……対身長の幻聴は相変わらずか。一度カウンセリングを受けたらどうだ?」
「それはアンタにこそお勧めするよ。人を犯罪者扱いするようになる前に頭と身体を休めて冷静な判断を下せるようにしろ」
「気遣ってくれてありがとう。……これからヒューズの家に夕飯を御馳走になりに行く予定だ。君も行くんだろ? 一緒に行こう」
「……アンタとなんか行きたかないが、同じ家に向うのに別行動するのも不合理だから一緒に行くか」
「一々理由付けないと行動できないのかね君は。普通に『ぜひ御一緒させて下さい』と言いなさい」
「オレは別に一緒に行きたいとは思わない」
「素直に気持ちを表せない所が君の可愛い所だな。父親にもそんな感じか?」
「るせえっ。アイツの事は言うんじゃねえ、不愉快になる。アンタのムカツクポジティブシンキングは健在だな」
「君は反抗期か?」
「ステレオタイプな判断下してんじゃねえよ、想像力貧困野郎。尊敬できる親ならしてる。……アンタ客観的に見てオレの親父をどう思う?」
「私は君の父親を見た事がない」
「顔の事じゃねえよ。……自分の趣味の為に妻子を捨て十年以上も音信不通の挙句、何食わぬ顔で家に帰ってきやがった。その間妻は泣きくれ重病を患い、子供はまだ一桁の年で母親を助ける為に働きに出た。それってどう思う?」
「最低だな」
「母親を助ける為に必死になった子供が薄情な父親を嫌うのは浅慮な我侭なのか?」
「いや……」
「オレが親父を嫌いだというと皆分ったような顔しやがる。事情も知らないくせに薄べったい良識かますんじゃねえよ。最低限の義務を果たさない親に捧げる愛情なんかねえ。そうだろ?」
「そうだな」
「オレは子供の義務として父親を尊敬し愛するべきか?」
「いや……」
「愛情や敬意は強要するものではなく自然と湧くものだ。愛せないのはオレだけのせいじゃねえ」
「ああ」
「……というわけであの男の事は聞くな。ムカついて精神に良くねえ。なるべくなら記憶から除外しておきたいくらいだ」
鼻息荒いエドワードをロイはまあまあと宥める。
気持ちを露にしているエドワードは年相応の顔をする。
言い分は最もで、確かに知ったようにエドワードをからかうべきではなかった。
「ほら落着いて。怒るとカルシウムが減るぞ。ヒューズが待ってる。さあ行こうか」
立ち上がったロイにエドワードは「ロビーで待っててくれ。トイレに入ってから行く」と言った。
「ああ、早く来いよ。遅いと置いてくぞ」
ロイが部屋から出ると、エドワードは平静の顔を消し、途端に顔を引き攣らせた。
「…………マズッた。……アイツマジでオレを疑ってた。……ヤベッ……」
エドワードはだからロイにはセントラルに来て欲しくなかったんだと思った。あの男は存外鋭い。計画はあともう少しで成就するのだ。今ロイに邪魔されては困る。
しかし探しても決定的な確証は得られないだろう。エドワードとて用心している。
まったく何処を見てそう思ったのか。
最後の仕上げに向けてエドワードは鉄面皮を強化し、部屋を出た。
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