モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第一章

#02



「鋼の。……父親に会ったんだって?」
 ロイ・マスタングがイーストシティから出てきた。
 エドワードの泊まっているホテルに顔を出したロイが開口一番父親の事を言い出したので、エドワードは不機嫌になった。…が、エドワードがロイの前で不機嫌になるのはいつもの事なのでロイは気にしない。
 挨拶代わりの嫌味合戦が始まる。
「大佐。……なんでセントラルまで来て、アンタの童顔面を拝まなきゃならねえんだ。……スカーが消えたからって安易に動くなよ。仕事溜まってるくせに」
「仕方がないだろう鋼の。相変わらずキミを見ると首が疲れるな。……上からの命令だ。爆発現場からスカーの血のついた上着が見付かった。スカーが死んだとは思わないが、それ以後姿を見せない所をみると何かあったんだろう。上は一応安全だと判断した」
「疲れるなら座れよ大佐。もう若くないんだから。……大佐はどう思う? 死んだと思うか?」
「座らせてもらうとも。しかし私はまだ二十代で周りからは若造扱いだ。君なんかまだヒヨコの癖に。……スカーは死んでいない。そのくらいで死ぬ男ではない。会って分った」
「誰がヒヨコじゃ。……あの男に会ったんだな」
「鋼のに言われた通りだった。〈傷の男〉…イシュヴァール人の錬金術師。矛盾した存在の復讐鬼。あれは……生きた鬼だ」
 数日前に会ったスカーの姿を
思い出すロイの表情は厳しい。
 スカーに狙われたロイだが、事前にエドワードにその存在を聞いていたので割合冷静に対応する事ができた。
 もし聞いていなかったら、動揺して咄嗟の判断が遅れただろう。
 イシュヴァールに係わる事ではロイは冷静でいられる自信がなかった。あからさまな憎しみと殺意に一歩引くのは、負い目があるからだ。
 だが殺されてしまうわけにはいかない。生きていてこそできる事はあるのだ。今死ねばやってきた事の全てが無駄になり本当の無駄死にだ。
 ロイは一番聞きたかった事を聞く。
「なぜ鋼のは国家錬金術師殺人犯がイシュヴァール人だと知っていた? ヒューズの話を聞いたが、軍がスカーの特徴を知る前から鋼のはスカーの事を詳しく知っていた。スカーがイシュヴァール人だと分ったのは私と接触し素顔を見たからだ。だが鋼のはその前から奴の事を知っていた。どうやって知った? もしかして鋼のはあの男と知り合いなのか?」
 当然来るだろうと思っていた質問だが、答えを用意してないエドワードは渋い顔で「まだ言えない」と返す。
「言えない? そんな答えが通用するわけないだろう。言え鋼の。キミは知りすぎている。まるでスカーと通じているかのように。…そうでないというなら証拠を出せ」
「馬鹿だね大佐は」
「なに?」
「あの男と仲間だって言うなら、わざわざ大佐に情報を与えるかよ。黙っていればスカーは大佐を殺してた。アンタを殺させたくなかったから情報を与えたんだ。それくらい分かれよ」
「キミはスカーとは通じてないのか?」
「当たり前だろう。あの男はオレの顔すら知らないし、第一全ての国家錬金術師を憎んでいる。オレの存在を知れば間違い無く抹殺しに来る。かけてもいい」
 堂々としたエドワードの態度に怪しい所は見られない。
 ロイは本当にエドワードを疑っていたわけではない。
 だがエドワードは知りすぎていた。軍とて無能ではない。必死に国家錬金術師殺害犯を追って多大な犠牲の末にやっと情報を掴んだのだ。
 しかしエドワードはそれより前からスカーの事を知っていた。怪しむには充分だ。
 エドワードはスカーとは敵対関係だと言う。
 仲間でないならどうしてエドワードは〈傷の男〉の事を知っていたのか。どういうルートで情報を得る事ができたのか。
「アンタが言いたい事は分かる。オレは知りすぎているし胡散臭く、不審に思われるのも当然だ。だが信じて欲しい」
「何の根拠も無く信じろと言うのか?」
「アンタを助けようとした事が証拠じゃないのか? 黙っていれば大佐はスカーに殺されていた。スカーに会った日は雨だったんだろ? 焔が使えないアンタがイシュヴァール人に会って動揺して、どうして逃げられる? あの男は強い。グラン准将がやられたくらいだぞ。動揺している大佐なんか一瞬で終わった筈だ。今生きてるのは誰のおかげだと思ってるんだ? 運が良かったとでも言うつもりか?」
 エドワードの言い分にロイは言い返せない。
 そうだ、エドワードからの事前の情報がなかったらロイは死んでいたかもしれない。あんな場面で赤い目を見たら戸惑い狼狽して隙を作っていた。その隙を見逃す殺人鬼ではない。
 格闘技に精通しているイシュヴァール人と比べて、ロイは肉弾戦に弱い。強大な錬金術があるから対抗できるが、あの日は雨だった。錬金術が使えないロイが助かったのは事態を予測していたからと、守ってくれる部下がいたからだ。エドワードの言は正しい。
「キミは私に雨の日は危険だから外に出るなと言った。その通りになったな」
「そうなって欲しくはなかったけどな。……スカーは地下に逃げたんだって?」
「ああ。……その後の捜索の途中で爆発事故があって、現場からスカーの血のついた上着が発見された。死体はなかった。おかしな点といえば、現場には爆発物らしきものが無かった事だ。ガスでも火でも人為的なものでもないらしい。原因が分からず調査部は首を傾げている。報告書が書けないから一応地下にガスが溜まっていてそれに引火した事にしたが、本当の原因は不明だ。……鋼のは何か心当たりがあるか?」
「あるわけねえじゃん。オレはその時セントラルにいたんだし」
「そうだな。キミがなんでもかんでも知っているというのはありえないな。……ところで」
「あ?」
「ヒューズの事、聞いたぞ」
「……ああ」
 スカーとの接触のすぐ後に、エリシア・ヒューズの誘拐の情報が東方司令部に入った。
 遠く離れた地でその事を聞いたヒューズは真っ青になった。ロイもまさかと思った。
 後日、エリシアはすぐに開放され怪我もないと聞いて、安堵した。
 その後ヒューズは誘拐事件の捜査を任された。
 しかし。スカーの追跡やその他の雑用を殺人的スケジュールでこなしたロイは、ふとぽっかり空いたほんの短い時間におや? と疑問に思ったのだ。
 脳裏にトゲが引っ掛かったような。始めは何が気になっているか分からなかったが、よくよく思い返してみてエドワードの顔が浮かんだ。

『イーストシティから出ないでくれないか? ……私情では動かないでくれ』
『私が私情で動きたくなるような事でも起きるのか?』
『……かもしれない』

 確かにエドワードはそう言ったが、エドワードの言葉は何かおかしい。
 多忙なロイが私情にかられてイーストシティから出るかもしれないような事……そんな大きな何かが起きるというなら、もっとハッキリした事を言うべきだ。
 それなのにエドワードは『大事な事』を言わずに曖昧に誤魔化した。
 ロイはその時は沢山の情報に頭が一杯になりいつもの謎掛けだと大して気にしなかったが、ヒューズの事があって後に一つ一つエドワードの言葉を整理してみると、どうにも猜疑心が湧いて仕方が無かった。
(エドワードはエリシアが誘拐される事を知っていたのではないか?)
 そんな馬鹿な事があるわけがない。エドワードはヒューズを慕い、エリシアを可愛がっている。いくらなんでも飛躍しすぎだ。疑うにも程がある。
 だがそれなら何故エドワードはロイにあんな事を言ったのだろう?
 ロイはエリシアが攫われたと聞いて、何がなんでも休暇をもぎ取りセントラルに行きたかった。行ったところでロイに何ができるというわけではないが、遠い地で心配するより親友を助けてやりたかった。
 しかし事情が許さなかった。ロイには責任があった。
 スカーを取り逃がしたばかりでイーストシティはまだ捜査網が敷かれていた。殺人鬼を捕まえる為に沢山の部下が動いており、トップにいるロイが私情でイーストシティを離れる事はできなかったのだ。
 エリシアが救出されたと聞いてロイは安堵した。そして多忙な毎日に忙殺され、ヒューズの事もエドワードの事も保留のファイルに仕舞われた。セントラルの事はセントラルに任せるしかない。どう頑張ってもロイはイーストシティから出られない。
 ヒューズの事は気に掛かったがエリシアは一応無事だし、犯人逮捕はヒューズが頑張っている。ロイの方はとにかく一日一日をこなす事で手が一杯だったのだ。
 多忙を理由に大事な事を聞き逃したのをロイは悔やんだ。あの時もっと詳しく聞いていればこんな疑惑は持たずに済んだのに。
 上の命令でセントラルに来る事ができ、ロイはエドワードに会う事にした。
 聞けばエドワードは毎日ヒューズ家に顔を出しているという。
 ヒューズ家にはマリア・ロス少尉他軍人が警護に当たっている。警護がいるので心配はないが、エドワードはわざわざエリシアの顔を見に行っているらしい。心から心配しての事だから誰も疑わない。
 しかしロイは何か変だなと思った。あまりエドワードらしくないような気がする。どこがおかしいとは言えないが、仕事を理由に故郷にもロクに帰らないエドワードが他人の家に毎日通うのは、何か理由があるのではないかと疑ってしまう。純粋にエリシアとグレイシアを心配しているだけかもしれないのに…。
 ロイはエドワードに対しては猜疑心が働いてしまって、素直な目で見られなくなっていると思った。