モラトリアム 第陸幕

完結
(下)


第一章

#01
◇再びセントラル◇



 グリードと会った翌々日にエドワード達はセントラルに戻った。
 本当はすぐにセントラルに戻りたかったのだが、イズミと話していて帰宅が遅れたのだ。


 エドワードはダブリスで買った土産を持って夜にヒューズ家を訪ねた。
 土産を渡し、遊びたがるエリシアを膝に乗せ、エドワードはヒューズと話した。
 ヒューズはエドワードの家の様子が気になっていたようで、積極的に話を聞き出そうとした。トリシャがセントラルで入院していた時から両家には付き合いがあったから、心配していたのだろう。

「よー、エド。お帰り。家はどうだった?」
「ただいま中佐。家はまあ…なんとか納まる所に納まったって感じかな。いきなりあいつを連れ帰ったんで、母さんもアルもビックリしてた」
「そりゃあ良かった。やっぱ家族水いらずが一番だ。親父さんとはどんな感じだ?」
「オレ以外はうまくいってる。母さんもアルも手放しで喜んでた。あいつをどこで見つけたのか質問攻めにあった」
「エドは嬉しくないのか?」
「…ったり前だろ。アイツは家族を捨てた男だぞ。オレは奴が嫌いだ」
「またまた。素直じゃないな」
「これ以上ないくらい素直な意見だよ。子供の意見を生あったかい眼差しで曲解すんな。頼むから普通に見ろ」
 エドワードの顔も声も憮然としている。
 エドワードはホーエンハイムに対し好意を一グラムも持っていない。
 親というだけで愛情がある、なんて疑われたくないと、エドワードは口を曲げる。
「こんなに早く帰ってこないでもっと家族に甘えてくれば良かったのに。家族全員が揃ったのは久しぶりなんだろ」
「いや、いいんだ。母さんは親父がいればいいし、アルも親父に懐いてる。あっちはあっちでうまくいってるから帰ってきた。こっちの事も気になったし」
「セントラルは危険だから帰ってこなくても良かったんだぞ? 親父さんと再会したばかりなのに離れて寂しくないか?」
「全然全く寂しくなんかねえよっ。オレはアイツなんかいてもいなくてもちっとも構わねえ。探し出したのは母さんの為だ。オレはセントラルの方が落着くし、誘拐事件の事も気になるから帰ってきた。……その後、何か動きはあったか?」
「今の所はない。模倣犯らしきものやガセネタを潰してくので時間を取られている。しばらく小康状態だ」
「動きがないっていうのは次の誘拐の準備をしてるのか、それとも軍の動きが厳しくなってきたから動くに動けないのか。どっちだろう?」
「ターゲットになりそうな子供のいる者は一時的に子供を避難させたりしているし護衛もつけているから、確かに難しいだろうな」
 ヒューズの言葉にエドワードは頷いた。
 セントラルで起きている身代金目的の連続児童誘拐事件は、ヒューズが担当になった後一応の静寂を見せた。といってもヒューズが担当になったのはまだ最近で、前任者が失敗してその席を下ろされたからに過ぎないのだが。
 ヒューズは元々調査部で誘拐の捜査とは別に属している。だがヒューズの娘のエリシアまでもが被害にあった事から部署を越えて要請が出たのだ。娘を誘拐されたヒューズは激怒して熱心に誘拐犯の捜索に当たったが、前任者達がそうであったように、犯人の手掛かりすら掴めずに焦りを見せ始めていた。
 エドワードも私的にヒューズに協力していたが、先日長年行方知れずになっていた父親が見付かったので、父親を故郷に連れ帰る為にリゼンビールに戻ったのだ。
 誘拐事件の事もあるのでエドワードは迷っていたのだが、また父親に失踪されても困るというのと、事情を知ったヒューズが帰郷を勧めたのだ。他人の事より、まず自分の家の事を考えろとヒューズは説得した。家族水入らずで過ごさせたいというヒューズの思いやりだった。
「協力してくれるのは嬉しいが、本当に良かったのか? 家族水入らずなんて時間、十年以上なかったんだろ? 始めのうちは何話していいか分からなくて気まずいかもしれんが、互いにある壁は時間が取り去ってくれる。家族は一緒にいる事に意味があるんだ」
 ヒューズの目に映るエドワードはまだまだ子供だ。いくら優秀といっても若干十五歳。まともに考えたらまだ中等部か高等部だ。
 ヒューズは自分が十五歳だった頃と比較して、大人に混じるエドワードを痛々しいと思った。
 ヒューズの気遣いにエドワードは「そう?」と他人事のように呟いた。
「中佐の気遣いはありがたいけど、正直親父は嫌いだ。……あのさ、オレの感情を反抗期の一言で片付けんなよ。普通に考えりゃ反発するのが当たり前だろ。……病気の母さんが死ぬところだったのにあいつは何もしなかった。家族を放っておき母さんを見捨てた事はどうしても許せない。母さんがあの男の行動の全てを許しているのにも腹が立つ。あの男の身勝手さは見てるとブチのめしたくなる。それに…」
「それに?」
「それに母さんはオレらの前では優しい母親だけど、親父がいると『女』の顔になる。恋する『女』は可愛いが、あの男の為だと思うと、正直ムカツク」
「……エドは観察眼が鋭いな」
 エドワードの発言にヒューズも納得するしかない。
 十五歳は微妙な年齢だ。子供というほど子供ではなくだけれど大人ではない。心が情緒不安定になる年代だ。
 思春期を迎える前からエドワードは自分を犠牲にして家族を大事にしてきた。遊びたい年齢なのに必死に働いて家族を守ってきたのだ。母と弟を愛し犠牲を厭わない。
 なのに勝手に出ていった父親がのほほんと帰ってきて責められもせずに受け入れられて、一番苦労したエドワードがどんな思いになったか想像に難くない。反抗期でなくても反発する。当然だ。
 エドワードの本心としては一生帰ってこなくてもいいっ! ……くらい考えた筈だ。
 そして愛する母親が身勝手な夫を責めもせず『女』の顔を見せたら…。
 十五歳の少年にはとても割り切れない。面白くないのは当然だ。
 あと五年も経てばエドワードも自分の心を整理できるだろうが、今は無理だ。
 ヒューズはエドワードの頭をポンポンと叩いた。
「まあなんだな。割り切れない事も大人になれば何とか消化できるようになるさ。……エドはゆっくり大人になればいい。子供はイヤでも大人になるんだし、エドは今までが急ぎ過ぎだったんだ。ちょっとはペースを弛めてもいいと思うぞ」
 エドワードは口をヘの字にしながらヒューズの手を払った。
「いつまでもガキ扱いすんな。そんなのはアームストロング少佐だけで充分だ」
「はは……。ガキ扱いされたくないって思ううちは、まだまだガキだよ」
 エドワードの無愛想な態度をヒューズは気にしない。むしろ取り繕った顔よりよほど良いと思っている。
「……そうだ。明日ロイの奴もこっちに来るぞ」
「なんで大佐が? 出張か何か?」
「ああ。……実はここだけの話だが〈傷の男〉に多くの国家錬金術師が殺されて、今中央は人手不足なんだ。それでロイを中央に引き戻そうって話が出てて、その手続きをしに来るのさ。そのうち正式な辞令が出るだろうよ」
「じゃあ大佐はセントラル勤務になるんだ。……へえ、出世したじゃん」
 エドワードは初めて聞いたという顔で聞いた。
「まだ内定なんで正式に通達はされてないが、本決まりだろうな」
「大佐は優秀だからな。移動はまあ当然だな」
「ほー……」
「なんだよ?」
「エドがロイをそんな風に言うなんてな。アイツの事、結構認めてんだな」
 珍しいという顔をされてエドワードは反論する。
「オレは目が見えないわけでもモノが分からないガキでもない。大佐がやり手なのは近くで見てれば分かるし、優秀なのを素直に認められないほど狭量でもない。人を小馬鹿にした態度がムカつくから反発するけど、仕事の面で侮った事はねえよ。つか、アイツがもっと大人らしい態度をとれば、オレだってむやみに突っかかったりしねえって」
 エドワードの言い分にヒューズも頷く。
「エドのそういうとこは大人だなあって思う。ロイもエドくらい素直になればいいのにな」
「大佐は素直じゃない?」
 ヒューズの前では素直な態度をとっていたと思っていたが。
「ロイはある意味素直だが表面はヒネくれてるからな。肩ひじ張らなきゃやってけないのは分かるけど、もうちっと力を抜いてもいいと思うんだがなあ。……そうできない理由も分かるんだが。…大人は色々あるんだよ」
 エドワードは「そうだな…」と言った。
『子供のお前には分からない』という意味にもとれる言葉だが、エドワードは素直に受け取った。
 ロイ・マスタングに色々あるのは知っている。弱い自分と強くあろうと努力している自分……矛盾がロイを不安定にしている。心に傷を抱え自分をとりまく世界を否定しながらも、なおかつ上に登ろうとしている。
 ヒューズはそういう所を理解しているのだろう。
 エドワードは分かっていない顔でいなければならない。
「大佐はさ……東方司令部の部下達がいるから大丈夫だ。……だから、大佐を支えるだけじゃなく中佐も自愛しろ。中佐がいなくなったら困る人間は沢山いるんだ。そしてアンタにはアンタの守らなきゃいけないモノがある。順番を間違えんな」
「エド…?」
「エリシアが攫われて一番大事なモノが分っただろ? 大佐の世話は……ほどほどにしといた方がいい」
「そんなわけにもいかねえよ。エリシアの事は大事だがロイも大事だ。アイツのやろうとしてる事は誰にでもできる事じゃねえ。支えてやるのがダチの義務ってやつさ」
「大事な物を見誤るなって言ってんの。……とにかく今はエリシアとグレイシアさんだけ見てろよ」
「心配してくれてるのか?」
「当たり前だろ」
「はは、エドは良い子だな」
「だからガキ扱いすんなって言うんだよ。……大佐は危険に足を突っ込みすぎる。そして中佐には守るべきものがある。大佐が無茶する分、中佐は保身に回れよ。アイツの勢いは危ういよ」
「エド?」
「まあ……とにかくそういう事。……誘拐犯の捜査の事、聞いていいか?」
 ヒューズは急に仕事の顔になったエドワードに今の発言を詳しく聞いてみたかったが、何故か聞いてはいけないような気がしてそのまま流された。

『知れば知る程鋼のは分からなくなる。エドワード・エルリックとは本当はどういう人間だろう』

 かつて酒の席で親友が漏らした言葉が耳に残っている。
 ヒューズの目の前にいる子供はとても小さい。強い目をしているが顔の輪郭はまだ幼く体躯は成長途中で大人に比べれば脆弱だ。
 なのにどうだろう。この雰囲気は。
 エドワードと会話していると思う。
(これが子供のする表情と言葉か? これはもうガキじゃねえっ。こんな子供がいてたまるか。……けどエドワードは正真正銘のガキなんだよな)
 エドワードに対する違和感がいつから沸き上がったのか覚えていない。もしかしたら初めて会った時からだったかもしれない。出会った時からエドワードは殻に収まらずどこか異質だった。それでも素直で頑な少年に好意はあり、時間が存在に馴染んだ。
『この世で一番大事なのは家族だ』というエドワードの揺るぎない瞳にヒューズは共感したのだ。
 家族を愛する心は強く、そういう意味ではエドワードは一人前の男だった。
 ヒューズは不思議でならない。
 エドワードはどうしてこうもロイやヒューズに好意的なのだろう?
 いつかエドワードの謎が分かればいいと思った。