第八章
「その方法とは?」
ロイは話に引き込まれる。
「時間時空の逆行」
「……時間、時空、逆行?」
ロイとエドは突然の発言に顔を見合わせ、アルフォンスに視線を戻した。
「それって……」
エドワードがありえないという顔になる。
「そうだ。時間を逆行するなんて無茶だ。そんな錬成は聞いた事がない」
ロイも否定した。
「はい。でもそれしか考えられなかった。精神や魂という目に見えない物が錬成できるなら、時間も錬成できる筈です。ボクは……身体を持っていかれた事で沢山の知識を得た。その中に時間に関する事があった。過去に戻る事は理論上はできるんです。肉体は無理ですが、肉体から魂と精神を切り離して、時間軸という時の流れの渦を逆に走って過去の自分の中に入る。つまり過去の自分の中に精神と魂だけを無理矢理入れるわけです。一つの身体に二つの魂と精神は入らないので、過去の自分の魂と精神は消滅します。そうして過去の自分は未来の記憶をもったまま、もう一度生き直す事ができる」
「……無茶苦茶だ。……そんな事が可能なのか?」
ロイは唖然としながら聞く。
「理論上は可能です。でもそんな事誰もやった事がないから、成功するかどうか判らない。それに術者が過去に戻ればおのずと歴史が変わるので、その時点から世界の流れが二手に分かれます。今の時間軸と、ボクが過去に戻ったという時間軸の二つの世界。どちらも交わらないから術が成功したのかなんて当人にしか判らない。それに……」
「それに……魂と精神の抜けた身体はどうなる? 今いるアルフォンスはどうなってしまうんだ?」
エドワードは顔を強ばらせて聞く。
「それは……たぶん……」
「死ぬんだな?」
ロイがアルが言わない事をハッキリ言う。
「アルフォンス! そんな事止めろ!」
エドワードが叫ぶ。
アルフォンスが困ったような顔になった。
「ゴメン、兄さん。酷い事考えてるよね。でも……ボクは自分の命より兄さんの方が大事なんだ。愛しているんだ。エゴと傲慢だっていうのはよく分かっている。愚かだと分かっているけど……もう一度やり直したい。兄さんに会いたい。愛されたい。その為なら命だって惜しくはない」
「アルフォンス! 許さないぞそんな事! 勝手に死ぬなんて……。絶対に駄目だ」
「許してくれとは言わないよ。自分がいかに愚かだという事は知っているから。成功するかどうかも判らない。命を捨てるんだから兄さんの想いを踏みにじる事になるのも分かっている。だけどボクは……アナタに会いたい。もう一度だけでもあの笑顔が見たい。愛が欲しい。……欲しいんだ。愛が欲しいんだよ! アナタがなくしたモノが欲しいんだ。もう我慢できないんだ。兄さんに愛されないなら、生きていたって仕方がない。けど……兄さんが右手と心を差し出してまでくれたこの命を、自分で絶つ事は絶対にできない。……だからもう一度過去に行ってやり直す。自分の過ちを正して兄さんと愛し合う」
「アルフォンス……やめろ……」
泣いて欲しいものを求める弟に、エドワードはやめろとしか言えない。
何故こんなにショックなのか判らない。いや判っている。魂が悲鳴を挙げている。弟を失う事に絶叫している。心が空洞なのに内側から悲鳴が聞こえる。
震えるエドワードを見て、ロイは静かに言った。
「アルフォンス。……それは我侭だ。人は過去をやり直せない」
「賢者の石があればやり直せる」
「その為に折角鋼のが命懸けで錬成した肉体を捨てるのか?」
「……はい」
「狡いと思わないのか? 鋼のは弟の為に命をかけ、右手を捨て、心を捨て、そうしてボロボロになったのに当の弟がそんな兄がイヤだと、与えられた全てのモノを捨て、自分だけ都合のいいように人生をやり直すのか。キミがそこまで身勝手な人間だとは思わなかったぞ」
ロイの鋭い批判にアルフォンスは首を振る。
「ええ。……何度も考えました。悩み抜きました。でも……ボクは……ボクは酷い人間です。与えられた物に満足できない。兄さんの与えてくれた物を全部捨ててしまう。けれど……兄さんには心がない。ボクがいなくなっても哀しむ事もない。ボクは兄さんにとっていてもいなくてもいい存在なんです。ボクの不在で兄が苦しまないのなら、捨ててしまっても構わないと思いました」
アルフォンスはロイを見ていない。アルフォンスはエドワードしか目に入ってない。ただ気持ちを言葉に変えて喋っている。
「鋼のが……キミをまだ愛していると言っても決意は変わらないのかね?」
「兄さんが?」
ロイの言葉にポカンとなるアルフォンス。
「鋼のは……心は確かにないが、記憶と魂にはアルフォンスの情報が残っている。それがエドワードを錯覚させ混乱させている」
「錯覚って……何を?」
「弟を愛しているという事を。エドワードは魂で弟を『愛している』と認識し、心で『なんとも思わない』と感じている。愛は残っていなくても……記憶はあるんだ。弟がいなくなれば魂が哀しむ」
「そんな……」
アルフォンスはエドワードの瞳をジッとを見る。
エドワードは無表情に……ショックを受けていた。
「兄さん……。ボクを愛しているの?」
「愛してない」
即答される。心はカラなのだから当然だ。
「……魂はボクをまだ愛しているの?」
「そう認識している」
「認識してるの? なら愛しているの?」
「愛してはいない。愛している筈だと判断している」
「そんなの酷いよ。……愛はくれないのに、記憶だけあるなんて」
アルフォンスはいけないと思いつつ、詰らずにはいられなかった。愛してないのに記憶だけあるから消える事も許されないなんて酷すぎる。
アルフォンスは叫ぶ。
「イヤだよ。ボクはまるごと兄さんを取り戻したい。そんな抜け殻のような愛じゃ満足できない」
「なら……アルフォンスはこの世界に一人エドワードを放り出すつもりか? 鋼のを此処に残し、自分だけ過去に戻って幸福になるのか?」
ロイの批判にアルフォンスは頷いた。
「はい。……ボクは全ての贖罪を背負います。もう一度人生やり直したい。……今度こそ間違わない。兄さんと幸せになる」
「私はキミが……許せない」
ロイの瞳が殺気を帯びる。
「許して貰おうとは思いません」
「傲慢の人でなしだ。鋼のはこんな男の為に全てを投げ出したのか」
「……ならもう一つの選択肢を選んでいいですか?」
「もう一つ? まだ何かあるのか?」
「ええ、初めの選択が。……賢者の石を使い、兄さんの『心』を錬成する。一つ目の石は使えなくても、ボクが作った二つ目の賢者の石なら使える。そうして兄さんの『心』を取り戻す」
「なら何故そうしない?」
「兄さんが狂う。……殺人鬼のような自分に狂ってしまう。まともな精神じゃいられない。苦しんで苦しんで……そんな兄さんを見たくなくてボクは兄さんの記憶を消すだろう。愛しあった日々は忘れて欲しくないから、ここ数年の記憶だけを消す。だけれど鋼の錬金術師がしたことはみんな知っているし、記録にも残っている。だから兄さんを守る為にはこの国を出るしかない。だけど軍はボクらの逃亡を許さないだろう。脱走とみなされて軍に追われる生活となる。そして准将も部下の失態を上から責められるでしょうね」
アルフォンスの言葉に苦い顔になるロイ。
どちらの選択もギリギリで、どちらがいいとは言えなかった。
「アルフォンスが過去に戻れば……こっちの鋼のは自分が苦しいと認識せずに無意識に苦しみ続ける。そんな事が許せるのね?」
「それで准将をお呼びしました。……お願いがあります」
「何だ?」
「もし……ボクが死んでしまったら……皆の記憶からボクの存在を抹消して下さい。賢者の石を使えばできるはずです。一つはボクの時間軸移動に使いますが、もう一つはこっちに残します。それを使えば可能な筈です。軍の記録を消し、人の記憶からもボクの存在を消せばボクを知るのは准将だけになる。……記憶がなければ兄さんも苦しまない。ボクを愛してくれる人達にしてみれば最大の裏切りですが……お願いします」
提案にロイは二の句が告げない。
なんて勝手な願いなのだろう。苦しませない為に記憶を消せなどと、思い遣りに見せかけたエゴでしかない。記憶は本人だけのものだ。他人が勝手に弄っていいものではない。それはしてはいけないことなのだ。
アルフォンスは全てを承知でロイに願い出ている。
卑怯な子供だった。
ロイはアルフォンスの願いを一蹴するつもりだったが、ロイに断られてもいなくなるのなら、同じ事だった。ロイ・マスタングはエドワードに同情し、また周りの嘆きに耐えるのがイヤになり、皆の記憶からアルフォンスの存在を消すだろう。
大事な人間達から完全に忘れ去られても尚、エドワードの愛のみに固執する妄執に、ロイは諭し罵る事を諦めた。
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