命に つく
     名前 を 『心』と
            呼ぶ



第八章



#30



 「鋼の」
 ロイはあっさりエドワードとアルフォンスの元に通された。エドワードの侵入は誰にも知られていなかったらしい。
 ロイが告げた事でエドワードのした事がバレてしまったのだが、エドワードも軍の有名人だし弟を心配するあまりの突発的行動だと好意的な見方をされた。逆に上官がわざわざ探しにきたという事で、咎められるのではと同情されたくらいだ。
「どうした、鋼の?」
 エドワードはアルフォンスの側で青い顔をしていた。粗末な椅子に弟と並んで座っている。傍目から見ると上官に叱咤されるのを恐れる部下の姿だが、エドワードのそんなタマではないのを知っているロイは再び問う。
「何があったのか言え、鋼の。大丈夫だ、人払いはしてある。部屋の前にはハボックもいる。盗聴器が心配なら声を出さずに話せ。言葉を読む」
 エドワードは顔を上げ、握った掌を開けて見せた。
 赤い石が乗っている。
「ソレか……。……何かソレに異常が出たのか?」
 具体的な名詞は避けてロイが聞く。
 エドワードは隣のアルフォンスを見た。
 アルフォンスは頷いて右手を開いた。
 エドワードと同じ石が掌の上で深紅に輝いている。
 咄嗟にロイは判断できなかった。
「二つ?」
 兄弟は頷き、ロイはただ絶句した。


 三人は結局基地を出る事になった。
 ロイは説明を後伸ばしにする事が出来ずに、話をする為にアルフォンスを外に連れ出す以外なかった。
 理由はどうとでもつけられた。アルフォンスは元々ロイの幕僚だ。ロイが連れていっても不思議ではない。
 基地にたまたまロイ以上の階級の者が不在だった事も幸いした。ロイもエドワードも身元がハッキリしているので無理に引き止める者もなく、三人はハボックの運転する車でホテルに戻った。
 部屋に盗聴器がないのを細部まで調べると、ロイは二人を睨んで「さあ話せ」と言った。



「これは賢者の石です」アルフォンスが言う。
「見れば判る。……だが何故? どうやって? どんな理由で作った?」
「作ったのは二日前です。製作方法は兄さんとほぼ同じです。作った理由は……必要だと判断したからです」
「どういう事だ? 詳しく話せ」
 アルフォンスは頷いて顔を引き締めた。
「一昨日。ボクは小隊を率いてブリッグズ山に入りました。理由はドラクマがこちらを攻める為に、大軍を集結させているという情報が入ったからです。本当にそうなのか調べる為に。……本来なら部下が行くべき仕事でしたが、隊長を含む数十人が三日前大規模なテロに巻き込まれて怪我を負い、あちこちで人手不足になったので、やむなくボクが隊を率いる事になりました。慣れた山でしたし、経験から山を越えないと敵はいないだろうと判断しました。けれどそれが油断でした。敵は大攻勢の為にこちら側に近付いてきていたのです。罠が張ってあり、ボクらは敵に見つかり、隊は梺ではなく山奥、ドラクマ側に追い込まれました。幾重の罠と山狩りでボクらは散り散りになりました。ボクは何時の間にか山を二つ越えていました。山脈は山々が幾重にも連なって国と国の壁になっているので、二つ越えてもドラクマには入らないのですが、こんな所までもう侵入を許してしまったのか早く報告しなければと、部下を探すよりまず戻る事を考えました。敵にさえ見つからなければ山で生き残るのは難しい事ではありません。冬ならともかく今は春なので探せば食べ物は結構あります。ボクら北方の兵士は山に慣れた者ばかりなので遭難の心配はしていませんでした。クマに遭遇しなければまず大丈夫です。皆銃を持っているので、害獣に会ってもなんとか対処できますが。……話が逸れました。ボクは基地に戻る事を考えましたが、戻るルートには敵がいます。それならいっそ遠回りをしようと隣の山を越える事にしました。丸一日余分に掛かりますが体力には自信があるし、この場合恐いのは自然ではなく人間でしたので、迂回して隣の山に入りました。そうして中に分け入って……敵を見つけました。数は……おおよそ五千以上はいたと思います。ドラクマの大軍がこっちに攻め入ってくるというのは本当でした」
 アルフォンスが一旦言葉を切る。コップの水を飲んで息を吐く。
「それで?」ロイが続きを促す。
「ボクは急いで戻らねばと思いました。この数の攻撃を受けたらシュヴァルツ高原に牽いた陣も近隣の町も、あっさり制圧されてしまうでしょう。一ヶ月前からノースシティでテロが頻繁に起こり人員がそっちに配備されているのと、長い戦闘で兵士の緊張が弛んでいました。一点集中で攻撃されたら持ちこたえられません。急いで戻って態勢を整え迎え撃っても、間に合わない可能性が高かった。ボクは迷いました。敵はこちらの国境付近にいる軍を全滅させるだろうと。短期決戦の構えで攻めてくるなら降伏しても殺されます。一年以上一緒に戦ってきた仲間を殺されたくなかった。ボクは兄さんから預かった賢者の石を肌身離さず持っていた。敵を殺さなければ味方が死ぬ。ボクは賢者の石を持っている。……正直迷いました。けれど……迷っている時間はなかった」
「……それで結局賢者の石を使ったんだな?」
 アルフォンスは頷いた。
「石を使って……山を一つ崩しました。ドラクマの兵は……生き埋めになりました」
「ふうん。……オマエの判断の正否は置いておいて、してしまった事を悔やんでも仕方ないだろ」とエドワード。
 事を起こしたのなら、悔やむよりその次の展開に備える方が大事だとエドワードは思う。
「何故もう一つ賢者の石があるんだ?」
 ロイは厳しさを消さずに聞いた。
 石を使った理由は納得した、材料も判った。
 だがもう一つの賢者の石を作った理由は?
 どうしてもう一つある? なぜ作った?
 アルフォンスは苦し気に言った。
「ボクは……兄さんから預かった賢者の石を使って、ある実験をするつもりでした。その為に石がもう一つ必要だった。ずっと考えていて……ドラクマの軍隊を全滅させると決めた時に……チャンスだと思った。賢者の石があるから、ボクは兄さんの時のように『心』をもっていかれずに済みました」
「実験とは?」
「ボクは……兄さんを諦められなかった。ボクを愛してくれていた兄さんにもう一度会いたかった。だけれど兄さんの『心』を錬成する事はできない。賢者の石がその錬成を拒むという理由もあるけれど、もし兄さんが『心』を取り戻せば、殺した人間の多さに打ちのめされてしまう。気がおかしくなって壊れてしまうかもしれない。兄さんをそんな目に合わせる訳にはいかない。……それでもボクは諦められずにずっと、違う方法を求めていました。そしてその方法を見つけたのが二年前。それが……つい最近完成しました」