命に つく
     名前 を 『心』と
            呼ぶ



第七章



#26



  大人二人の学生のような気楽な会話を肴に、エドワードは杯を進める。
 エドワードはこの二人が嫌いではない。
 
エドワードの事を知りつつ一定の距離を保ってくれる。会っても心に響く事は何も無いが、映画を見るように二人の会話を聞いているのはそれなりに楽しかった。
「エドはいつまでこっちにいるんだ? またグレイシアの手料理を食いに来いよ」
 ヒューズがいつものようにエドワードを誘う。
「滞在期間は四日を予定している。行けたら最終日にでも行くよ」
「四日とはまた短いな。西はそんなに忙しいのか?」
「いや……ちょっと北に顔を出そうかと思って」
「なんだ、アルに会うのか?」
「一年以上会ってないしな。アイツも危険地帯にいるんだ。戦死する前に顔くらい見とこうと思う」
「不吉な事言うなよ。……でも四日後って言うと……ロイも同じ日に北に視察に行くんじゃなかったっけ?」
「そうだ。ついでだから一緒に行く」とロイ。
「他人がいればアルもオレに余計な事は言わないしな。いい防波堤だ」と、エドはうそぶく。
「酷い言い方だな。可愛い弟なんだ。たまには甘やかしてやれよ」
「オレよりデカイ弟なんか可愛くない」
「大抵の男はエドより長身だろ」と、ヒューズは呆れる。
「オレがチビだって言いたいのか?」
「ハッキリそう言っている」とロイ。
「なんだと、コラッ!」
「まあまあ二人とも大人気ないぞ」
 喧嘩になりそうな二人をヒューズが間に入って止める。
「チビ」だの「童顔」だの言い合っている人間がまさか軍の准将と中佐だとは誰も思うまい。二人とも見た目若いので下士官同士にしか見えない。
 目の前のコイツらが国家錬金術師の焔のマスタングと鋼の錬金術師だとは誰も思わないだろうなと、ヒューズはニヤニヤした。

 酔い潰れたエドワードをロイが背負って三人は酒場を出た。
「重いぞ、鋼の」ロイがぶつぶつと文句を言う。
「しょうがねえだろ。エドは機械鎧なんだから」
「いつまで鉄の手足でいるつもりなんだか。生身の身体に戻ればいいものを」
「賢者の石か……」
 ヒューズは深刻な顔になる。
 ヒューズもロイから聞いて、エルリック兄弟に起こった事を知っている。
「エドは……本当に心が無いんだな……。あんまり変わっていないんで実感薄いが」
「心がないから、弟が目の前で死んでも助けないって言ってたぞ。人の言葉が虫の音にしか聞こえんのだそうだ。意味が理解できても心に何も届かない」
「それってどんな感覚なんだろうな」
「さあな。だが鋼のは結構幸せそうだぞ。悩みがない人生、結構じゃないか。哀れなのは弟の方だ」
「まさか兄弟にこんな未来が待ち受けているとはな。エドがアルを他人のように想う日がくるなんて、思わなかった。……ひでえ未来だな。賢者の石っていうのは何でも叶えてくれる奇蹟の石じゃなかったのかよ」
「奇蹟は起こったじゃないか。アルフォンスの肉体は戻った。あれこそ目に見える奇蹟だ。誰もアルフォンスの肉体が一度消滅したなんて思わない。あの身体は完璧だ。錬金術と知っていても神の奇蹟としか思えない。まさに人外の力だ」
「その代わりにエドの心がなくなっちまったらどうしようもないじゃないか。エドの心は賢者の石で元に戻せないのか?」
「それは前に説明しただろう。賢者の石は鋼の心をベースに錬成された。鋼のの心を取り戻すっていうのは、石自体の存在に矛盾が生じるって事だ。もう一つ賢者の石を作って、二つめの賢者の石でエドの心を錬成するなら別だが。それこそ机上の理論だ」
 言ってロイはヒヤリとした。
 机上の理論。だが……。
「二人で北方旅行とはいい御身分だな」
 ロイは頭に浮かんだ事を忘れた。
「冗談はよせヒューズ。北は今戦争中だぞ。天険ブリッグズ山があるから戦火は拡がらないが、山脈付近は毎日小規模の戦闘が続いている。シュヴァルツ高原は今では暗黒地帯と呼ばれているくらいだ。将軍は北方指令部から動かず現場をアルフォンス達に一任している。面倒で危険な事は部下任せだ。アルフォンスが忍耐強い性格だから問題は起こらないが、もしこれが仮に鋼のだったえらい事になってるぞ」
「エドは目的の為なら手段を問わないからな」
「私の視察は戦場の現状を調べる事だ。送られてくる報告書の数字だけでは真実は判らん。……それにしてもアルフォンスを送りだす際は、彼にはまだ荷が重いのではないか、ネをあげてやはり私が出向かなければならないのかと危惧していたのだが、予想外だったな。アルフォンスは戦争上手だ。北をよく抑えている」
「視野が広く部下の使い方をよく知っている。若いのに卑屈にもならず上官なのに尊大にもならない。自然体で優秀だ。よくやっている」
「鋼ののセリフじゃないが、北に埋もれさせておくには惜しい人材だ。代わりがいれば呼び戻すのだが」
「エドも西に行きっぱなしだし、ガキが外で頑張って中央はジイサン達のたまり場か。世も末だ」
「ガキだから大人の目の届かないところでやりたい放題なのさ。アルフォンスとて鋼のの弟だ。何を考えているやら……」
「アルフォンスにおかしな動きでもあるのか?」
「ない。しかし、あのアルフォンスが志願して北方に行った事がそもそも異常だ。何かあるからに決っている。その何かが分らんが鋼のの事に決まっている」
「そうだなあ……。アルのやつ、今ごろ何してるんだか。エドに振られたのがよっぽどショックだったんだろうな。オレだってグレイシアに他人のように見られたら、死ぬ程ショックだぞ」
「オマエの事はいい。……まったく世話を掛けてくれる兄弟だよ。出会ってから何度同じセリフを言わせるんだ」
「保護者は大変だな」
「成人しても鋼のは鋼のだな。全然大人になりゃしない」
「冷めた顔してるくせにどっかガキッぽさが残ってるんだよな。だから放っておけない」
「大人になる事なく別の世界に放り込まれたようなものだ。鋼のは世界に独りぼっちの王様だ。孤独の意味が判らないから自分が可哀想だとも思わない」
「その分弟が兄を哀れんで哀しみの坩堝か。心があるっていうのは悲劇に直面した時辛いな」
「だが心のない人間なんかにはなりたくない。誰も愛してない、愛されても何も感じないなんて生きている意味がない」
「ああ……」
 ヒューズがロイの言葉に頷く。
「だから鋼のは戦場から離れられないのかもしれない。命のやり取りをしていなければ生きているという実感が得られないのだろう」
「一生それじゃあ長生きできないぞ」
「鋼のは長生きする事なんか望んでいない。だが自分から死ぬつもりもないから、生きるのに飽きたらきっと弟か私に殺されようとするだろうな。……なるべくそんな展開にはなって欲しくないのだが」
「物騒な話だな。だが手のかかる子ほど可愛いってね。ガキが悪い事したらキッチリ叱ってやんな」
「いつまで子供の特権は使えないと誰か教えてやれないかね」
「ははは。それを教えるのはオマエさんの役目だ。頑張れ」
「他人事だと思って、ヒューズ」
「兄弟がいざとなったら頼りにするのはオマエだ。判ってんだろ?」
 ロイは返事をせずにエドを背中で揺すった。エドワードの重みがズシリと背中に掛かる。こんな重い物をエドワードはずっと持ち続けているのだ。
 アルフォンスは何を考えて兄とロイを呼び出したのだろう。
 エドワードが初めて戦争に行った時のように、どうしようもない不安が周りにまとわりついて、ロイは憂鬱な気分になった。