命に つく
     名前 を 『心』と
            呼ぶ



第八章



#27



 北方行きの列車の中でエドワードはロイは向き合って深刻な顔つきだった。北に向かう部隊に同行し、軍用列車でまる一日がかりの移動中。
 エドワードの事をよく知らない兵士は若いのに何故准将の側に同席しているのだろうと訝しみ、側にいた者は肩にある星の数に目を疑う。
 軍人らしからぬ三つ編み、金髪、機械鎧に気がついてあれが鋼の錬金術師かと驚く者もいた。
 固い表情でロイと会話するエドワードに、よほど大事な事を話しているのだろうと周りは遠慮して近付かない。だが近くにいる護衛のハボックは、二人が話している内容をちゃんと聞いていた。
「だから……アルがその気になればアンタの比じゃないと思うんだよ。アイツ何だかんだといってムッツリスケベだし、その辺に抜かりはないと思うけど」
「鋼の。女性をろくに知らないキミには判らないだろうが、女は落ち着いて頼りがいのある男性に惹かれるものだ。アルフォンスはまだまだ若造だ。ストレートすぎる。男女の駆け引きを知らん」
「ばーか。女はアルみたいな誠実タイプを最後には選ぶんだよ。准将みたいのは遊び用だ」
「誠実というのは『アナタは良い人なんだけど……』とお断りされる、誠実以外は取り柄のない男の事を言うんだ。アルフォンスはあれでとっかえひっかえだったぞ。誠実さの欠片もない」
「相手と長続きしないのはアルが悪いんじゃねえよ。アルを惚れさせなかった女が悪い。男女のソレは愛しあってナンボだろ」
「他に意中の人間がいるのに女性と付き合うから、女性も本気になりきれんのだ。アルフォンスが悪いに決まってる」
「意中の人って……」
「キミ以外いるわけないだろ」
「あれはただのブラコンだ。恋愛と違う」
「似たようなものだ。兄さん兄さんとラブラブだったじゃないか。鋼のが逃げ出した気持ちも判ろうというものだ」
「逃げてねえよ」
「西に行って帰ってこなかったくせに。アルフォンスは哀しみのあまりグレて北に行ってロンリーハートだ。自分から戦場行きを希望するほどショックだったんだろう。だが無事ブラコンから脱せて万々歳だ」
「二十歳過ぎた兄弟が今更お手々繋いでもないだろ。アルは大人になったのさ」
「大人ねえ……」
 エドワードの外見をジロジロ見てロイは溜息をつく。
 あからさまな嫌がらせだ。
 途端に上がるエドワードの血圧。だが抑える。エドワードは一般にはクールな人物だと思われている。こんな事で怒っていてはイメージ丸潰れだ。
 元東方指令部のメンバーにしてみれば大笑いなのだが、現在エドワードを表す形容詞はクール・冷酷・鉄のような……等々。
 エドワードの人間性を知らない他人に囲まれるうち、エドワードはそういう態度をとるようになっていた。心のないエドワードだからクールに見えるのは仕方がないのだが、本人をよく知っているメンバーからすればそれって誰の事? と笑うしかない。
「アルはまだ若いんだから、アンタより経験が少なくて当然だ。見てな。アンタがどんどんジジイになるのにアルはこれから男盛りだ」
「ブラコンのガキには負けんよ。いくら図体がでかくなろうとアルフォンスはまだ青い」
「負け惜しみを」
「それはどうかな」
 フフン。ハハン。と、互いに鼻で笑う。
 端で聞いているハボックは、タバコを口に銜えながら呆れた。
 深刻な顔をして会話しているかと思えば、何の事はない。アルフォンスとロイのどっちがモテるかという話題が延々続いている。
 周囲に聞こえればこれから戦争に出向く兵士の志気を削ぐこと間違いない。
 ハボックはエドワードが小さいがクールで優秀な指揮官だと聞くと、おかしくて仕方がない。
 エドワードの実情を知らない兵士がハボックに、
「あれは誰だ?」「あれが鋼の錬金術師? 小さいな」と聞いてくる。
 あんなに若いのかと驚くのは当然だが「恐ろしいほど冷徹で強く戦場では悪魔と呼ばれているんだろ?」と聞かれるに至っては、もう笑うしかない。
 強くて優秀なのは本当だが、皆が思う印象と真実はかけ離れている。わざわざイメージを壊す事もないので否定はしないが、エドワードは錬金術の反動で心がなくなっても、性格はあまり変わっていない。
 笑顔が無くなったのと、子供らしさが消えたのが一番の変化だ。アルフォンスへの対応を除けば劇的な変化はない。
 弟の人体錬成に成功したのだから軍をやめるのかと思いきや、軍に留まって出世街道まっしぐらだ。二十歳で中佐様とは恐れ入る。
 だがハボックはエドワードを羨ましいとは思わない。エドワードの出世は全て戦場での功績だ。
 命を削りながらエドワードは友も家族も捨てて独りで戦場に立っている。羨む気持ちにはなれない。

 エドワードとロイはくだらない話をズルズルと続けている。
 エドワードは、会話が途切れる事を恐れている。話したい事はこんな事ではない。もっと別の事だ。だがこんな軍人に囲まれた場所では大事な会話はできないし、それに不安を形にするのが恐いのだ。
 一昨日の事。
 エドワードは突然、身体の芯が震えるのを感じた。
 部屋に独りでいた時だった。電流でも走ったように全身が痺れた。一瞬で何かが身体を駆け巡り、そしてそれは唐突に去った。時間にして二秒もない

 だがその後エドワードはしばらく動けなくなった。
 感覚に覚えがあった。

 四年前……エドワードは南でエアルゴ軍を錬金術で大敗させた。エアルゴ軍はエドワードの錬成した岩の壁の囲いの中で、焼き殺されたという事になっている。大勢の目撃者がいるし、理論上にも無理がない。やったことは無茶苦茶だが。
 だが本当は違った。エドワードはエアルゴ軍を焼き殺してはいないのだ。
 エドワードは岩の壁を練成して一万のエアルゴ軍を閉じ込めた。と同時に、中に錬成陣を描いたのだ。
 それは水から水素を発生させる錬金術ではなかった。
 人を……死の瞬間、魂をアチラに持っていかれる前に場に固定する錬成陣。魂が死の間際に感じる純粋な嘆きを、一ケ所に凝縮する錬成陣を描いたのだ。
 それから内部に水素を作り出した。あとは中の人間が中で僅かでも火花を散らせばいい。高濃度の水素が引火して大爆発を起こす。全員が一瞬で死ぬ。殆ど苦しみはしない。そうして肉体が消えた魂は錬成陣に取り込まれる。恨詛と嘆きと絶望に震えながら。
 一気に高まった嘆きの魂の密度に耐えられなくなり、錬成陣は破れ、あるモノを吐き出す。赤い石を。
 それこそが賢者の石だった。
 エドワードは四度目の錬成の後、賢者の石が完成する過程でリバウンドを起こし、精神を持っていかれた。
 その時の衝撃と似たようなイメージが身体の中を通った。気のせいではなかった。
 だがそれはエドワードの受けた衝撃ではなく、エドワードと繋がっている『賢者の石』の受けた衝撃だった。神の石と言われる賢者の石が受けた衝撃に、エドワードは恐怖した。
 アルフォンスが何かやったのだ。
 すぐさまエドワードはロイに感じた事を伝えた。
 エドワードはすぐに北に行きたかったが、予定は一日後だ。
 エドワードが賢者の石と繋がっている事も、アルフォンスが賢者の石を持っている事も軍には秘密で、怪しまれないように動揺を内に収め平然としながら一日経つのを待つしかなかった。
 特にエドワードの動揺は大きい。心のないエドワードは戦場においても恐怖も焦りも感じない。自分の死を前にしても狼狽える事はないだろう。
 なのに胸の内にわくイヤな予感に、無いはずの心が震えた。ジワジワせり上がる恐怖がエドワードを締め上げるのだ。

 アルフォンスは一体何をした?
 賢者の石は何をそんなに怯えている?

 北に何かあったとセントラルに連絡は無い。定期連絡もいつもと似たようなものだ。いくたびの戦闘、死者の数、武器と人員の補充、敵の情勢。それはいつもの事。劇的な変化は無い。
 だが絶対何かあった筈だと、エドワードとロイは確信していた。
 北方にいる人間にすら気がついていない変化を詳しく調べろとは命じられない。ロイが北に潜り込ませてある部下からの報告でも大きな変化はなしとの事だ。さりげなくアルフォンスの事を尋ねたが、アルフォンスは国境付近で仕事中という事しか判らなかった。
 側にいる人間すらも判らない事が起きている。
 二人は予感に恐怖しながらも冗談で気を紛らわせ、北への列車に揺れていた。
 顔が強ばるのはどうしようもなかった。





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