第七章
査定でセントラルに戻ったエドワードは夕方ロイと外で合流した。二人で連れ立って軍から離れた所にあるパブに入る。
「残業はいいのかよ?」
エドワードはロイの執務室の殺伐とした空気を思い出して尋ねる。ホークアイ大尉の視線が痛かった。
ロイの幕僚紅一点には相変わらず弱いエドワードだ。この辺は感情が無くても変わらない。
「キミが久しぶりにこっちに出てきたんだ。一度くらい飲みに行っても誰も文句は言わんさ。……にしてもキミと飲む日がこようとはな。月日が経つのは早いものだ」
エドワードの前のグラスに皮肉げな視線を向ける。
アルコールを手にする姿に違和感がない。
エドワードはふと口元だけ笑う。
「去った年月を数えるようじゃ、もう若くはないな。准将」
「私はまだ三十三歳だ。上からは若造扱いが未だ抜けん。二十歳のヒヨッコの鋼のから見れば大抵はオヤジだ。若さを売りにするようではまだまだだな、鋼の」
「売りじゃねーよ。オレを若造扱いするやつは西にはもういねーぜ」
「相変わらずその鉄面皮で部下を脅しているのか」
「脅すなんて人聞き悪い。人を中身でなく外側で判断するからちょっと懲らしめてやっただけだ」
「それを脅すというのだよ」
「軍なんて結局腕づくの男社会だからな。力で抑えて優劣を明確にしとくのが一番だ」
「サル山のボスザルじゃあるまいし」
「似たようなもんだろ。アンタだって経験ある筈だ」
「……まあな」
見た目優男のロイが現在のような畏敬を部下から得たのは、それなりに修羅場を過ごしてきてからだ。それを揶揄している。
「でもおかしなものだよな」
「何が?」
「アンタと同じ年のヒューズ大佐は若造扱いされてないんだぜ? それってどういう事?」
「ヒューズは世渡り上手なんだ。上からも下からも好かれている」
「そうしてアンタは上から嫌われるタイプか」
「キミも似たようなものだ、鋼の。鋼の錬金術師は生意気だと評判だぞ」
「つーかガキ扱いね。仕事は一人前以上の出来を要求するくせに、結果を出しても人を一人前扱いしやがらねえ。頭の固いオヤジどもめ」
「キミが何かというと大総統と仲がいいのが気に入らないのだよ。大総統に取り入って出世しているのではないかと邪推している。二十歳で中佐なんて冗談みたいだからな。キミという人間を知らず、功績が華々しくなかったら贔屓で出世したと私も思うだろうな」
「国家錬金術師はスタートが少佐からだからな。階級が上なのは当たり前だろ。あんなに勝ち続けてるのにまだ中佐っていう方がおかしいぜ」
「さすがに二十歳で大佐にはできんよ。上層部もキミが失敗しないので苦慮しているんだ」
「人の足元ばっか掬いやがって。実行不可能に近い無茶な指令ばかり下されるんはそういう事か」
「それを実行してしまうキミは何なのだ? 賢者の石の力を使い過ぎだ。上層部が怪しむぞ」
「賢者の石は使ってねえ。……というより今はもう手元にない」
「……ない、とは?」
「あれ、知らなかった? 賢者の石は今アルフォンスが持ってる」
「え…? なんだって? ……何時アルフォンスに渡したんだ?」
「一年半前だ。最後に会った時に。北が開戦しそうだったんで貸してくれって言われて貸した」
「石がよく納得したな。アレをアルフォンスに制御できるのか?」
「『オレ』に関わらなければ石は言う事を聞くさ」
「それでアルフォンスは石を使って戦闘に勝利し続けているのか?」
「それは違うと思う。賢者の石はジョーカーと同じだ。アルフォンスはその危険性をよく知っている。切り札は使わないに越した事はない。ギリギリまで使わないと思う」
「確かに鎧のはキミと違って思慮深い。石を使わずとも、実力だけで充分だろう」
「オレは充分じゃないっていうのか?」
「キミは活躍が派手すぎる。キミの錬金術は常識を越えている。怪しまれないのが不思議だ」
「何たってオレは十二歳で国家錬金術師になった天才だし、初めから錬成陣を必要としなかったし、何がどう凄いのか、力のある錬金術師でなきゃ判らないさ」
「上層部は自分に脅威な芽を潰したがっている。キミには禁忌と秘密がありすぎる。気をつけろ」
「ふん。出世なんて興味ねえよ阿呆臭え。けどオレの邪魔になるんだったら誰であろうと容赦はしない」
「鼻息荒いな鋼の。その辺は以前と同じか」
「うるせえ。保身なんていちいち考えてられっか面倒臭え。いざとなったら国ごと潰してやる。気をつけるのは上層部の方だ。奇蹟の錬金術師をナメんなよ」
「キミは……本気だな。いざとなったら国を人質にとる気か?」
「追い詰められたらそうするさ。オレは狂わず冷静に人類を皆殺しにできる。……もしオレが悪魔になったら、アンタがオレを殺せばいい」
「ほう。私と殺し合うつもりか? 大人しく殺されるキミじゃないだろう」
「アンタと本気でやり合うのも面白そうだ。最近退屈してたんだ」
「退屈凌ぎに国を転覆されてはたまらないな。危険分子として今のうちに処分しとくか」
「止めとけ。無駄だ」
「私ではキミを殺せないと?」
ロイの静かな殺気をエドワードは平気で流す。
「いや。オレが死んだらアルが何をするか判らないからな。アイツの手には今賢者の石があるんだぞ。死んで生き返るなんてごめんだ。死ぬのは一度で沢山だ」
エドワードの言葉にロイは胸中複雑だ。
「賢者の石か。アルフォンスは兄の為なら何でもするからな。まず、アルフォンスから賢者の石をとりあげておくか」
「取り上げてもアイツならもう一度作るぞ。アルをは『真理』を見ている。確実に止めたいならアルを殺すしかない。だがオレを殺す前にアルを殺したら、オレはアンタを許さない」
「ほう? 愛してない弟の為に敵討ちか?」
「愛してなくても弟だ。それに……もしアルフォンスが死んだらヤバい事になりそうだ」
「ヤバい?」
「アルが言ってたんだが……アルはオレのアキレス腱らしい。アルの仮説が正しければ、オレはアルフォンスを失えばマズいことになる」
「どんな?」
「それは秘密だ。知りたきゃアルに聞け」
エドワードはそう言って笑った。自分の弱点を口にしながらも穏やかな笑みだった。
「アルフォンスと何か話したのか?」
「色々な。アイツ、オレを諦めたみたいだ。前に会った時、一皮むけた大人の顔をしていた」
「アルフォンスが? 彼がキミを諦めるとはとても思えんのだが」
「オレを諦めるっていうより、自分の想いを諦めるって感じかな。少年の恋はピュアすぎて背中が痒い」
「かつてはキミもそうだったんだぞ」
「昔の事はよせよ。テメエだって封印したい若かりし頃の経験はある筈だ。いくら経験つんだ大人の顔してたって、誰しも恥ずかしい青春の一ページを持ってる」
「大人ぶるな、若造が」
見くびられてもエドワードは以前とは違い、憤らない。心の中に響くものが何もないからだ。
「多分オレは十六歳でガキでいる事を止めたのか、それとも永遠のガキになっちまったのか……。人とは違う生き物になったんだ。それが判るからアルは自分の気持ちを押し付けず、オレを諦めた」
「随分アルフォンスの事を理解しているんだな。兄貴の顔だ。……もしかして少しでも弟への愛情を思い出したのか?」
「いや……。記憶と魂が覚えてるだけだ。何せアルフォンスはオレの心そのものだっていう話だ」
「何の事だ?」
エドワードはニヤリと笑う。
「アルが言ったんだ。命につく名前は『心』だって。アイツの魂を作ったのはオレの心だとやつは言う。等価交換で差し出したのは腕だけじゃなかったらしい。なので自分自身がオレの心だってアイツは言いやがった。ロマンチストなアイツらしい答えだ」
「それはまた……。すばらしく詩的だな。そう思う事でアルフォンスはキミの心を取り戻す事を諦めたのか」
「兄の事なんか忘れてさっさと女をつくって結婚すりゃいいのに。女には不自由しないくせに無いものばかり求めて、贅沢なやつだ」
「アルフォンスは鋼のに似ず身長も高いしな。引く手数多だ」
「誰がスペシャルドチビだ!」
クワッと目を剥くエドワードの隣で笑い声がした。
「ハハハ。エドは大人になってもそこだけは変わらないんだな」
「ヒューズ大佐」
「遅かったじゃないかヒューズ」
ニヤニヤ笑うヒューズが二人の横に立っていた。
「いつ来たんだ?」とロイ。
「さっきだ。二人が面白そうな会話をしてたんで聞いてたんだ」
「何所から聞いてたんだ?」
「アルがエドワードを諦める云々のくだりからだ。結構面白かったぞ」
「立ち聞きとは悪趣味だぞヒューズ」
「オマエらこそ軍服着てヤバい話してんじゃねえよ。軍本部から離れているとはいえ、誰が聞いているか判らないんだぞ」
ロイとエドは口を噤んだ。
確かにそうだ。周りは一般客とはいえ迂闊だった。
「エドも久しぶりだなあ。西で大活躍らしいじゃないか。鋼の錬金術師の評判高いぞ」
「当然だろ。オレの仕事は完璧だ。ただ使える部下をみんな北に持っていかれちまったんで、忙しくて休暇もとれやしない。休日手当てはいらんから休みが欲しい」
「まあそれはいずこも同じさ。ドラクマとの開戦で人員が北に流れている。ロイが北方に行かずにすんでいるのはひとえにアルの功績だな。アルフォンスの評判も高いぞ。エドと違って地味だが失敗がないんで、周りから信頼されている。若いが分をわきまえていて軋轢もない。部下がみんなああいうのだったら上は楽だな」
「オレの弟なんだから当然だ。弟なんだからオレの下につけてくれないかな」
「なんだエド。アルを敬遠してたくせに、今更側におきたいってか?」
「オレを好きだなんて世迷い言わなきゃ、優秀な部下は歓迎する。料理の腕はあるし痒い所に手が届いて何かと便利そうだ」
「古女房みたいな言い方すんな。あれでも有能な少佐様だぞ。エドの身の回りの世話だけに使うのは勿体無い」
「それ言うならホークアイ大尉を准将のお目付役だけに使うのは勿体無い。あんなに有能なのに」
「そりゃ言えてる」
エドとヒューズが笑うとロイが渋い顔だ。
「言いたい放題だな。軍の回線をつかって惚気る親バカ大佐と、中身外見共々ガキの中佐だけには言われたくないぞ」
「誰が裏表ガキだ!」エドが膨れる。
「そうだエド。オマエ、エリシアちゃんの最新の写真を見てないな。その名も『愛の運動会・ダンスのお姫さまバージョン』だ。天使のエリシアが写っているぞ」
瞬時に並べられた愛娘の写真に、エドもロイも引く。ヒューズの自慢話は会う度なので、いい加減うんざりしている二人だった。
「……いいよ。悪魔のオレが見たら悪いよ」
辞退するエドワード。
「エドは悪魔じゃないぞ」
「皆そう言ってる。准将だってオレを悪魔扱いだぞ」
「ローイー!」
ヒューズはロイを睨む。
「私は嘘は言わんぞ。今の鋼のは悪魔同然だろうが」
「オマエさんがそんな事言ってどうする?」
「事実から目を逸らせても仕方ないだろ」
「ヒデエ保護者だな」
「鋼のはもう二十歳だ。成人した。保護者はいらない」
「子供にはいくつになっても親が必要なんだ。エドには父親がいないんだ。オマエが代わりを務めなくてどうする?」
「私が鋼のの父親役? ゾッとしない。ゴメンだな」
「父親じゃなくても兄貴くらいにはなれるだろ。この危なっかしいガキの面倒を見てやれ。心配なら目を離すな」
「危なっかしいってレベルか、これが。危険物以外の何物でもないじゃないか。私は爆弾処理班じゃないんだ」
「火器取り扱いは得意だろ、焔の錬金術師。エドの父親役がイヤならそろそろ本物の父親になれよ。オマエも腰を落ち着けてもいい頃だ」
「話をすり替えるなヒューズ。私はまだ三十三歳だ。男は四十歳からだ」
「自分でそんな事言うから、いつまでたっても若造扱いされるんだ」
「私を若造扱いするのは中年の僻みだ。ジジイ共の嫌味なんか一々聞いてられるか」
「親友が心配しているのに」
「心配だけしとけ。結婚を斡旋するな」
「結婚はいいぞ〜。グレイシアは美人だぞ〜」
「だから惚気るなと言っているだろう」
|