命に つく
     名前 を 『心』と
            呼ぶ



第六章



#22



 アルフォンスの作った夕食をエドワードは残さず食べた。
 エドワードの好物ばかりなので当然だが、アルフォンスは嬉しかった。感情はなくても味覚は覚えているのだ。
 顔には出なかったが、兄が満足している事をアルフォンスはちゃんと判っていた。
「ねえ兄さん。一緒に寝てもいい?」
 アルフォンスが聞くとエドワードが変な顔をする。
「オレのベッドはシングルだ。男二人だと狭い」
「くっついて寝ればいいよ」
「わざわざ一緒に寝ることはない。ベッドは二台ある」
「ねえお願い。前みたいに兄さんと寝たい。身体が元に戻ったらそうするんだって決めてたのに、兄さん一度もボクと一緒に寝てくれないんだもの」
「……そういえばそんな事を言っていたな」
 記憶は残っているエドワードは、アルフォンスの提案に渋々頷く。過去の自分がした約束は覚えていた。
「寝相が悪かったら蹴落とすからな」
「子供の頃寝相が悪かったのは兄さんの方だよ」
「オマエは一緒に寝ているのにオネショをしたな」
「うっ……。そんな子供の頃の事をっ。もう時効だよ!」
「なら約束も時効じゃないのか?」
「約束に期限はありません」
「勝手だな」
「兄さんほどじゃないよ」
 アルフォンスはさっさと兄のベッドに潜り込んでしまう。仕方なしにエドワードも隣に入った。
 久しぶりに近くに感じる兄の暖かさにアルフォンスは興奮して眠れない。触れる機械鎧は硬くて冷たいがそんな事は気にならない。
 エドワードは結局手足を戻さなかった。賢者の石があるので元の身体に戻ることはできるが、戦場で過ごす時間が長い事と、『鋼の錬金術師』の通り名が長い……という理由で、機械鎧は付けたままにしておくと言う。
 アルフォンスは兄の機械鎧に触れて心が痛い。こんな重たくて冷たい物を子供の兄が付けて耐えてきたのかと思うと、なぜもっと労ってやれなかったのだろうかと後悔しきりだ。
「アル……変な触りかたするなよ」
 エドワードがモゾモゾと動く。
「兄さんの手……元に戻さないの? 冷たいでしょ?」
「もう慣れた」
 アルフォンスは兄にぴったりくっつく。春先はまだ冷える。エドワードは嫌がらなかった。
「もう寝ろ」
「うん、でも……もうちょっとだけ話してたい」
「オレは眠い」
「ゴメン。でもボク兄さんを側で感じられて嬉しい」
「オレは男に引っ付かれても嬉しくない」
「女の人ならいいの?」
「あまりよくないが男よりマシだ」
「兄さん……」
「何だ?」
「兄さんはもう女性と寝たんだ?」
「何だ、突然?」
「ボクは何人かの女性と付き合った。でも心のない兄さんは女の人に興味がないでしょ?……だから」
「身体の快感は判る。寝るだけなら娼婦で充分だ」
「まあそうだけど……」
「他に何かあるのか?」
「ボク兄さんと寝たい」
「……寝てるじゃないか」
「そういう意味じゃないの判っているでしょ?」
 エドワードは自分と寝たいと言った相手が同じベッドにいるのに、危機感がない。アルフォンスを舐めているのとどうでもいいのと。
 エドワードは欠伸をしながら言った。
「男とは寝たくないな」
「まあそうだろうけど……でもボクは兄さんと寝てみたい」
「……心が届かないならせめて身体だけでも…ってか? やめとけ。男の身体なんて楽しくないし、オレだって野郎に突っ込まれるのはゴメンだ。オマエはオレを抱きたいんだろ? だがそれは今更だ」
「兄さんがイヤなら触るだけでいい。……どんな感じか……知りたい」
「勝手だな。過去『オレ』がオマエを欲しがった時、オマエは『オレ』を拒絶した。オレには記憶が残っている。やな記憶だ。今更そんな事を言われて嬉しいと思うか?」
「ゴメンなさい。……怒ったなら殴ってもいいよ。兄さんが怒るのは当然なんだから。いっぱい殴ってもいいから……ちょっとだけ触らせて」
「物好きな。アルならレベル高い女といくらでもヤレるだろうに」
「女の人と兄さんは別だよ。兄さんは世界に一人しかいないんだ」
「眠いし……寒いから服を脱ぎたくない」
「脱がないでいい。眠いなら寝て。勝手に触るから」
「……服脱がしたら、蹴飛ばすからな」
 勝手にしろとエドワードは目を閉じた。
 エドワードは弟の申し出をおかしいともイヤだとも思わず、ただ面倒臭いと思う。
 愛とは厄介な感情だと、無くして初めて理解した。それがない今はとても楽な気分だ。
 アルフォンスの存在はうざったいが、明日には北方に行く。セックスくらいまあいいかと適当に思う。
 自分にもかつてあった『愛する相手に触れたい』と思う感情。何故あんなに苦しかったのか全然覚えていないが、今アルフォンスが同じように苦しいなら、それはそれで面白いと思った。
 苦しめばいい。
 エドワードが苦しんだのと同じ感情で泣けばいい。耐えられないなら賢者の石で『心』を消してやろう。
 アルフォンスはエドワードの弟だ。せめてそれくらいはしてやろうと、寛大な気持ちで眠りに引き込まれていった。アルフォンスの存在は鬱陶しいが一緒に眠ると暖かくて気持ちがいい。ヌクヌクとして身体の力が抜ける。
 アルフォンスは眠ってしまったエドワードを抱き締める。固い身体。触れる兄の身体は記憶にあるのとは全然違う。鍛えられた男の身体だ。でもどんな女性を抱きしめた時より心臓が高鳴った。
 兄さん……。
 これはもうアルフォンスのものではない。エドワードの言った通りだ。心が手に入らないならせめて身体だけでもと思ったが、それはしてはいけない気がした。
 眠るエドワードは以前と同じだ。十五歳の頃と変わらない。
 ドキドキしながら唇にキスをしてみる。感じるエドワードの吐息。いっそ無理矢理にでも抱いてしまいたいが、そんな事をしても後悔するだけだ。
 アルフォンスと寝てもエドワードはきっと面倒臭そうな蔑みの視線を向けるだけだ。
 千の罵りより、その無関心さがアルフォンスを傷付けた。
 唇を離し、アルフォンスはエドワードを腕に抱いたまま涙を零した。
 声を出せばエドワードの眠りを妨げる。ただ黙って哀しみが心を覆うのを感じた。
 アルフォンスの痛みは罰だ。エドワードは苦しんだ。自分も同じだけ苦しまなければならない。
 アルフォンスは今、ある研究を進めている。それが完成すればエドワードを取り戻せるかもしれない。だがその研究は『心』の錬成より難しく危険度が高い。
 死ぬ事は恐ろしくないが、エドワードから永遠に離れる事は恐ろしい。
 アルフォンスは兄を抱き締めながら、このまま夜が明けなければいいと願った。