第六章
「久しぶりだな。アル」
「うん。半年ぶり。……兄さん、元気だった?」
アルフォンスは兄を前にしてドキドキする。会う度に美しくなる兄。大人になったエドワードは増々人らしさを無くして、どこか人形じみている。
エドワードは部下の手前アルフォンスに友好的だ。
「見ての通りさ。忙しいが戦闘がないんで内勤ばっかだ」
「良かった。兄さん無茶するから心配してたんだ。ちっとも連絡くれないし」
「重要機密に関わる仕事をしてるしな。身内とはいえおいそれと連絡は取れないのさ」
「判っている。ボクだって軍人だもの」
「そういえば国家錬金術師になったんだっけ。……何で今更? なるなら三年前になれば良かったのに」
「しばらく自由でいたくて。国家錬金術師になると軍規に縛られるからね。准将も時間をくれたし」
「それで……北方に行くんだって?」
「聞いたの? うん、マスタング准将の代理でね。准将は何かと忙しいしボクが代理で行く事になった」
「北は開戦の兆しで一触即発だ。……できるならオレが行きたかったが」
「仕方がないよ。兄さんこっちで手一杯で忙しいし。北はまだ……戦争始まってないし、大丈夫だよ」
「だが時間の問題だぞ」
「……判っている」
アルフォンスは笑みを消した。
兄弟は再会を喜ぶと、エドワードの宿舎に入る。エドワードは忙しかったが弟が来たので今日の残業を取り止めたのだ。
部屋に入った途端、エドワードの顔から表情が消える。劇的だった。
「……本当にオマエ何しに来たんだよ」
冷たい声。アルフォンスに対して……いや人間全てに対してエドワードは冷酷だ。
エドワードは人前では演技をしている。顔の筋肉の動きで笑顔は作れるが、本気で笑った事はない。それが今のエドワードだった。
アルフォンスの前ではとり繕う必要もない。
「北に行ったら……兄さんと何時会えるか判らない。もしかしたら一年以上会えないかもしれない。だから准将が会いにいってもいいって、許可をくれたんだ」
「余計な事を」
「兄さんがボクを疎ましく思っているのは知っているけど、ボクは兄さんを愛しているんだから会いたくなったらいつでも会いにくる。兄さんがボクを嫌いだからって諦めないからね」
「勝手にしろ。……オレはオマエの知るエドワードじゃないんだ。優しくしてやる義理はない。もうオレの事は忘れろ」
「できないよ」
兄弟の間に流れる空気は刺々しい。
アルフォンスはエドワードにひたすら昔の面影を求め、愛を理解できなくなったエドワードは弟が鬱陶しい。
それにエドワードには愛がなくなっても記憶はある。エドワードの愛を拒絶したアルフォンスの、残酷な記憶が。
胸を打つ痛みがなくなっても、傷めつけられた事は覚えている。
アルフォンスの態度は今更だった。悪感情しか持てないのも仕方がない。
今回アルフォンスが西にいるエドワードを訪ねてきた。嬉しくはないが、仲の良い兄弟と目されているので追い返すのも変だったし、アルフォンスは北に行けばしばらくは会えないのだから、少しぐらいは我慢してやろうと、寛大な気持ちでエドワードはアルフォンスを自分の部屋に泊める事にしたのだ。
「夕飯どうする? 作るのは面倒だし外に行くか?」
エドワードは冷蔵庫の中に何も入ってないのを思い出した。毎日軍と家の往復で買い物に行く時間がない。
「ボクが作ろうか? 久しぶりだし兄さんの好きなシチューを作ってあげるよ」
「シチュー? アルのは母さんの味と同じだし美味いんだよな。……あ、でも材料がない」
「買えばいいじゃない。一緒に買いに行こう」
「面倒臭いなあ。……まあたまにはいいか。西に来て休み無しだったし、生活必需品の買い出しもしとかなきゃな。荷物持ちがいるしこの際まとめて買い物しとくか」
「荷物持ちって誰の事?」
「オマエ以外いないだろう?」
「……まったく兄さんは相変わらず人使いが荒いんだから」
アルフォンスは文句を言いつつ、気のおけない会話が嬉しかった。エドワードの側に愛情がない事をのぞけば対応は昔のままだ。記憶はそっくり残っているのだ。ただ感情がないだけで。
それはどんな感覚だとエドワードに説明を求めると、虫の言葉を聞くのと似ていると言う。虫が何を叫ぼうが人間は気にしない。虫を潰すのに罪悪感を覚えないのと同じ感覚だと言う。
そんな風になってしまったエドワードが悲しかった。だがエドワードは悲しいという感情すら理解できないのだ。エドワードの無情はエドワードのせいではない。全てはアルフォンスの責任なのだ。
アルフォンスは痛む心に蓋をして笑う。
「じゃあ兄さん、買い物に行こう」
手を差し出す。エドワードはイヤな顔をするが、アルフォンスがジッと待っていると渋々手を伸ばす。繋がれた手に満足してアルフォンスは歩き出した。
大人になった兄弟が手を繋いで買い物してれば、人目を引く。だがエドワードにはそれを恥ずかしいと思う気持ちさえないのだ。アルフォンスは兄が可哀想で、できるだけ優しくしてあげたかった。
エドワードは軍服を脱ぐと軍人には見えない。
男性二人で手を繋いでとおかしな目で見られたが、それがあのエドワード・エルリックだと気付かれると、更にギョッとした目で見られた。
「兄さん、シチューの他に何が食べたい?」
「なんでもいい」
「じゃあサラダを作ろうか。ポテトとマカロニどっちがいい?」
「ポテト」
「デザートはイチゴとヨーグルトにしようか。兄さん甘いものが好きだからクレープでも焼く? 何でも作ってあげる。ボク、前より料理の腕があがったんだ」
「オマエに任せる」
「じゃあデザートはクレープだね。でもビタミンも欲しいからやっぱりイチゴは買おうかな。それから日持ちのしそうな物も買っておくね。冷蔵庫がカラなんだもの」
「買い物に来る時間がない」
「どうしても時間がなかったら宅配を頼むといいよ。部下の人に言えば誰かが手配してくれるよ」
「そうか」
「忙しいからって食事はちゃんととってね。身体が資本なんだから。自己管理は大切だよ」
「判っている」
「本当? 兄さんの『判った』って言葉、全然信用ならないんだもの」
「身体に支障をきたしたことはない」
「若くて体力があるからって過信しちゃ駄目。倒れてからじゃ遅いんだよ」
「大丈夫だ」
「本当かなあ?」
「本当だ」
「あんまり信用できそうもないね」
「アルの信用なんて求めてない」
「そういう事言う?」
「言う」
「薄情な兄貴をもってボクは不幸だ。でも愛しているよ」
「言ってろ」
エドワードは素っ気無い。言葉を反射的にしか返していない。
ボクの言葉は虫の声と同じなのかなあ……と思ってアルフォンスは悲しくなるが、表面には出さない。自業自得は判っているからエドワードを責めるような事も言わない。普通に会話できる今に安堵する。
鋼の錬金術師の名は西方でも売れている。エドワードに気軽に接する人間は少ないだろう。人との関わりあいをなくし、増々人から外れていく兄が悲しい。辛くても側に居たいと思うが、エドワードは弟を疎んじてそれを許さない。
理解できないものを押し付けられるのはイヤだろう。だがアルフォンスは兄を愛さずにはいられないのだ。
『足だろうが、両腕だろうが、心臓だろうがくれてやる。返せよ! たった一人の弟なんだよ!』
そう叫んだ兄の声を真理の扉の向こうで聞いた。ちゃんと覚えている。だからアルフォンスは帰ってきたのだ。エドワードがアルフォンスを引き戻した。
なのにアルフォンスにはエドワードの心を引き戻す力がない。命を掛ければ成せるかもしれないが、兄の心が戻った時にアルフォンスが死んでいれば、エドワードは耐えられない。また命懸けでアルフォンスの魂を錬成するかもしれない。それでは堂々回りだ。
兄の持つ賢者の石が使えたらと何度思ったか。だが賢者の石は兄の心を代価にしているので、それだけは生み出せないのだ。
そこでアルフォンスは他の方法を考えた。構築式はまだ未完成だが、心の錬成よりまだ可能性はある。
だがその事は誰にも内緒だった。
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