第六章
「キミが北方行きを希望するとはな……」
ロイは腑に落ちないという顔でアルフォンスを見る。
アルフォンスは落ち着いている。新米のぎこちなさは何所にもない。なりたての軍人だが軍服が身体に馴染んでいた。
階級は少佐。経験のない新兵にしては破格の階級。国家錬金術師の特例だった。
命令を受けるアルフォンスにプレッシャーは見られない。
「北方はまだ行った事がありません。配属されるなら若くて身体が丈夫なうちがいいと考えました」
「キミに行ってもらえれば助かるのは本当だが……」
ロイは歯切れが悪い。納得していないのだ。
「国家錬金術師になったばかりで経験のないまま北に配属されるのは心苦しいのですが、いずれはこちらに戻るつもりです。何所へ行こうと努力は欠かしません。マスタング准将の幕僚として恥ずかしくないよう、務めてくるつもりです。名を穢すような真似は決してしません」
「いや、キミの実力と努力は認めているが……」
真面目なアルフォンスが何所へ行こうと自分を甘やかす事はないと分かっている。その辺の信頼はあった。
ロイの心配は別にある。
「鎧の錬金術師の名に恥じない働きをして参ります」
そう言い切られてしまうと、ロイとしても頷くしかない。
アルフォンスを北に行かせたくはなかったが、かといって他に代わりはいない。
本来ならロイが将軍から北方行きを打診されていたのだが、ロイは今セントラルを動くわけにはいかなかった。
ロイが北方行きを希望されているのには訳があった。
北方は今不穏な空気が流れている。北の大国ドラクマがとうとう重い腰を挙げて、アメストリス国占領の為に攻めてくると情報が入った。根も葉もない噂ではなく真実を含んでいるという事で、北方には今軍の主力部隊が集結している。
戦闘経験豊富なロイを北方に配置したいと上層部が考えるのは当然で、だがロイは北方行きに難色を示した。
ロイは今中央に自分の礎を築いている最中だった。
ロイは実力があるがまだ若く、上からの圧力が大きい。軍で生き残る為に足場を固めている最中だ。ここで北に派遣されてしまえばまた一からやり直しになる。
ロイはエドワードを北に代理として向かわせるつもりだったが、その前にエドワードは西を抑える為の重石として、西方指令部に配属されてしまった。
クレタとアメストリスが停戦したのはドラクマとの交戦を考えてだ。西と北、同時に戦うのは流石に危険だと軍が判断したのだ。エドワードが西にいる限り、クレタ軍も下手には動けない。エドワードの実力は敵が一番よく知っていた。
が、エドワードを代理にしようかと思っていたロイはアテが外れて困ってしまった。ロイの代理を務められるほどの実力者はなかなかいない。
という訳でロイは考えた末、アルフォンスを北にやる事にしたのだ。
未経験のアルフォンスがロイの代理を務めるのは無理があったが、鋼の錬金術師の初戦は未だ語り種になっている。弟のアルフォンスの実力を量る絶好の機会だと、ロイは上に進言したのだ。
アルフォンスの名前はエルリック兄弟の片割れとして前評判が高い。鋼の錬金術師に続き弟のアルフォンスも人間兵器として利用できるのではないかと上層部は心を動かし、アルフォンスはロイ達の思惑通り北に向かう事となった。
今回の事は本人から言い出した事なので喜ぶべきなのだが、何かが引っ掛かる。
アルフォンスは優秀だが好戦的な人間ではない。安定しつつある東ではなく、わざわざ開戦しそうな北方に好んで行くのは変だった。
アルフォンスは覚悟のある瞳で、ロイに北には自分が行くと申し出た。
不審に思ったが、自分が動きたくないロイはアルフォンスの言う事を受入れた。
「……北は寒い。こちらの比ではない。身体には気をつけたまえ」
「はい。頑張ります」
「鋼のには……会っていかないのか?」
「会いたいですが……西と北は遠いですから」
「北に行ってしまえば、しばらくは会えない。配属する前に一度行ったらどうだ?」
「……許可がいただければ会いに行きたいと思います」
「優秀な兄に助言を求めるという理由なら大丈夫だろう。エドワードの戦争上手は知れ渡っているからな。多少の融通はきく」
「兄さんが戦場で功績を挙げているのは……命を惜しんでないからです。戦争をゲームだと思っているんです。今のあの人には恐怖がない」
「心がないというのはそういう事なんだな」
「今の兄さんは戦うだけの人形です」
「だが本人はそれを不幸だと感じていない」
誰も聞いていないが二人は声を潜めた。
エドワードの話題はタブーに近い。誰かに聞かれては困るのだが、さりとて言わずにはいられない。
本音を言えばロイは今のエドワードを持て余している。
優秀で使える部下だが、人としての情のないエドワードはロイには殺人人形にしか見えなかった。
嫌いではない。だが……エドワードをエドワードたらしめていた部分、その強い心と焔のついた苛烈な瞳が欠けて隙の無い完全無欠の人形になってしまってからは、向き合うのが楽しくなくなった。
心のない人間など人では無い。
その本音を言っても傷付かないだろうエドワードに嫌悪を感じた。
だがエドワードは心のない分何者にも惑わされず優秀で、上官として手放す気はなかった。
個人的感情を除けば、エドワードはこれ以上ないくらいに優秀なのだ。
反してアルフォンスはどこか不安定だ。兄の不在がアルフォンスを痛めつけている。身体は大人になったが、心は十五歳のままで止まっているようだ。兄を前にした時の態度は親の愛に餓えた子供そのままだ。
愛を乞うアルフォンスに、エドワードは物でも見るかのような視線を向ける。
アルフォンスがエドワードの心を取り戻したがっているのは知っているが、諦めた方がよいのではないかとロイは忠告した。心がないという事は悲劇だが、当人はいたって幸せそうだ。何も思い悩む事がないのだから不幸になりようがない。何も憂いる事なく人を殺し、戦争というリアルゲームを楽しんでいる。
敵味方の見境のない殺人鬼というわけではないので、非人間ぶりを責めるわけにはいかない。人を殺すことに罪悪感を覚えろというのは、軍人であれという事と相反する。
エドワードはこのままでもよいのではないかとロイは案じてしまうのだ。
何故ならもしエドワードが心を取り戻せば、流した血の量に押し潰されてしまうだろう。数多の敵を屠った鋼の錬金術師が、今更人らしくなってどうするというのだ。エドワードに自分のした事を直面させて苦しめる事が正しいのか。
アルフォンスはそれが判っていてもエドワードを取り戻したいらしい。何とも身勝手な事だ。
アルフォンスは兄に似ず美丈夫だ。美人の母親に似てハンサムで女性には不自由していない。
なのに愛するのは兄ただ一人。究極のブラザーコンプレックスだ。エドワードの心を求め続けている。兄の恋を肯定して受け入れるという事もやぶさかではないと言う。
兄の愛を無くした事がよほど堪えたらしい。種類は選ばないからもう一度兄に愛されたいと必死だ。
それは無くした物を取り戻したいというだけの子供の我侭ではないかと思うのだが、アルフォンスの意志は固い。賢者の石探索を諦めなかったエドワード以上に頑固だ。アルフォンスは素直な分、一面ではエドワード以上に扱い難かった。
アルフォンスが北に行って何をするつもりなのかは知らないが、あまりよい事ではない気がする。まさか兄のようにドラクマの兵士を使って賢者の石を錬成しようなどとは考えていまい。エドワードの力をもってしても精神を持って行かれたほどの大錬成だ。同等の力をもつアルフォンスが無傷でいられる筈がない。
本心を見せないアルフォンスをロイは危惧したが、問い詰めた所で吐くわけもなし、多望な身の上で最低限の監視しかできず、不安のまま北に送り出す事になってしまった。
エルリック兄弟。奇蹟の錬金術師の兄弟の根にあるのが野望でも欲でもなくて愛だなんて、そのささやかさには笑えるが、命掛けるほどの愛を少し羨ましく思う。
アルフォンス。無茶はするなよ。
ロイは北に向かって呟き、エドワードの送ってきたクレタ軍動向の報告書に印を押した。
エドワードの仕事は完璧だ。西方は停戦しても空気は変わらず、緊張を持続している。戦闘がないのに弛みが出ないのは上からの命令が下に行き渡っているからだ。エドワードが芯となって西方の軍を引き締めている。
鋼の錬金術師。……確かに優秀なのだが……。
今はなりゆきに任せるしかない。ロイには何もできない。
優秀な部下を失うのも惜しかったし、心のない部下を野放しにするのも恐ろしかった。
ロイの目に映るエドワードは『人』ではなかった。
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