命に つく
     名前 を 『心』と
            呼ぶ



第五章



#17



「鋼の。アルフォンス。二人の話を聞いていると、その……なんだか恋愛のもつれのような印象を受けるんだが……」
 ロイはまさかと思いながら聞く。エドワードの変わりように唖然としながら、交される言葉の内容に信じられないとただ驚く。
 応えるエドワードは当事者なのにまるで他人事だ。
「ああ、そうだよ。『オレ』はアルに心底惚れていた。だがアルフォンスは『オレ』を手酷く拒絶して、『オレ』はアルから離れる為に賢者の石を作り、人に戻してやったんだ」
 エドワードの肯定にロイは飲み込み難い顔をした。
「バカな……鋼のが? アルフォンスに?」
「バカはないだろ。まあ事実バカみたいだと思うが」
「だが当然アルフォンスは……。アルフォンスにとって鋼のは兄だ。受け入れられる筈がない」
 打ちのめされているアルフォンスを見て、ロイは兄弟に何が起こったのか判った気がした。
 エドワードは淡々と言う。
「『オレ』は受入れて欲しいなんて思っていなかった。ただ知っておいて欲しかっただけだ。ガラスの器に入った恋だった。ひび割れて朽ちる事も承知だった。苦しい胸の内を一人で抱えて悩む事に耐えられなかったんだ。……だが告白は玉砕し、ガラスは粉々に砕けて再起不能。覆水盆に返らずさ」
「自暴自棄になった鋼のは賢者の石の作成にのりだした……というわけか」
「まあ、ぶっちゃけそうだ」
 平然と自分の事を語るエドワードに、弟に恋したという顔は残っていない。まるで心の全てを消化してなくなってしまったようだ。
「鋼の……君は何か、おかしい」
「何が?」
「私の知るエドワード・エルリックは、人殺しをして平然としている人間ではない。それに……弟をそんな目では決して見ない。どんな苦しい場面になってもアルフォンスがいるから鋼のは耐えてこられたんだ。鋼のにとってアルフォンスは恋しようがしまいが、変わらない思いで愛するただ一人の人間だ。なのに今のキミにはその欠片も見えない。まるで心を何処かに置き忘れてきたみたいに」
「あ、それ正解」エドワードは楽しそうに言った。
「正解……とは?」
「今のオレには『心』ってモノがないんだ。正確に言うと『誰かを愛する心』がだ」
「鋼の? どういう……」
 ヒラとエドワードは優雅に指を動かし、自分の胸を指す。
「賢者の石を作る時にリバウンドで精神の一部を持っていかれた。一番奥にあった柔らかい『心』をごっそり喰われちまったんだ。おかげで今のオレはアルを見ようがロイを見ようが感情は変わらない。どっちも同一線上にある知り合いにしか感じない。本音を言うなら、うざい、メンドイ、どっちでもいい。……って感じ?」
「鋼の……?」
 微笑む顔は美しく自信に満ちあふれ、かつての張り詰めたような表情は何所にもない。
 そうだ、人間くささがないのだ。だから超然として美しい。
「という訳だから安心しろ、アルフォンス。オマエの兄はもうオマエに干渉しない。煩わしい恋も消えた。……オマエの身体は元に戻った。あとは好きに生きろ。リゼンブールに帰るもよし、セントラルで職を見つけるもよしだ。オレ達の道は分かれた。オレは軍に残る。賢者の石はアルが持とうが大佐が持とうがどっちでもいい。どっちかにやるよ。必要ならもう一度作ればいいし」
「兄さん、冗談は止めてよ! そんな目で見ないで! そんな声で呼ばないで! 元の優しい兄さんに戻ってよ! 我侭言っても牛乳を飲まなくてもいいから、疲れたらおぶってあげるから、何でも言う事を聞くから、離れるなんて言わないで」
 アルフォンスの哀願をエドワードは一蹴する。
「何故オレがオマエとこれ以上一緒にいなければならない? オレはオマエに身体をやっただろう? 我侭を言うな。オマエは力があるんだから勝手に一人で生きていけ」
「イヤだよ! ボクは兄さんと居たいんだ。二人きりの兄弟じゃないか」
「勝手な事を。オレがオマエを好きだと……あんなに辛い気持ちで告白したのを、冗談の一言で纏めてポイしたヤツが『側に居たいからいて』だ? 甘えるのも大概にしろ。オレはオマエの都合のいい母親じゃないんだ。もうオマエなんかに煩わされるのはゴメンだ。オレは天才で力があるんだ。オレはオレだけの為に生きて、面白おかしくやるんだ。人がいいだけの弟なんて邪魔だ」
「兄さん……いや……」
 アルフォンスは壊れた人形のように首を振る。
 人が変わったようになってしまった兄の暴言が信じられない。信じたくないのだ。これが結末だと、終わりだと信じたくない。あんなに愛されていたのに、今のエドワードにはその残りカスすらない。全てはアルフォンスの傲慢と思い遣りのなさが招いた結果だ。エドワードはそれほど傷付いていたのだ。
「おい、鋼の。なんだ、その変わりようは?」
 ロイはエドワードの冷笑に仰天して動揺した。
 これがエドワード? あの弟だけには甘い利かん坊のような子供? 人を喰ったような笑みと見下した態度と冷めた瞳で人の神経を逆撫でする目の前の尊大な少年が、あのエドワードなのか?
 姿こそ元のままだが性格が根本から変わっていた。
 ロイは何をどう信じたらいいか判らなくて、素直に尋ねる。
「おい鋼の。そんな事を言われてアルフォンスが納得するわけないだろう。それに……オマエは本当に鋼のか? 私の知る……いや、エドワードを知る全ての人間がオマエはエドワードじゃないと思う筈だ。オマエは一体誰だ?」
「オレがエドワードじゃなかったら、一体誰だって言うんだ? 精神が欠ければそれは別人なのか?」
「いや、だが……キミは明らかに鋼のじゃない」
 エドワードはモノの判らない人間に対するように、噛んで含めるように忍耐強く言った。
「大佐もアルも……。オマエら人の言う事ちゃんと聞けよ。オレは『心の一部』を持っていかれたと言っただろ。もっと大雑把に言うなら、人を構築する魂、精神、肉体の三つの中の一つ『精神』を持っていかれたんだ。だからオレの中には『愛する』って心がない。……今のオレは誰も愛していない。アルフォンスも母さんも。だから今のオレはアルフォンスが死にかけても、助けようとしないだろう。だって心が何も感じないんだ。アルを見てもどうしてこいつがあんなに好きだったのか判らないんだ。無感動なんだ。なぜあんなに必死だったんだろう? 何もかもどうだっていいんだ。あんなに苦しかったのが嘘みたいだ。今……スゲエ楽なんだ。
 ……なのにどうしてアルフォンスの人体錬成をしたかって?
 どうでもいいなら放っておけばよかったって?
 オレだってそうしたかったけど、魂が叫ぶんだ。
『アルを元に戻せ』って。魂に染み込んだ弟への想いがオレを動かした。もう愛なんて感じないのに、動揺も温かさもないのに、魂が震えるんだ。だからアルの身体を元に戻し、この魂と精神の不調を直したかった。
……気持ち悪いぞ。『精神』
と『魂』が噛み合わないんだからな。中で分裂して、頭で考えている事と心で感じる事が全然違うんだ。あんまりにも気持ち悪いんで、魂の望みを叶えてスッキリしたかった。だがこれで煩わしい事は終わりだ。魂はもう何も感じない。アルを見ても何も思わない。オレは生まれ変わった。ようやくこの鬱陶しい弟から離れられる」
 さばさばしたように全てのしがらみから解き放たれたエドワードに、アルフォンスもロイも言葉が出ない。
 心のないエドワード。賢者の石の錬成のリバウンドで、身体ではなく精神をもっていかれてしまったなんて。
 エドワードは『愛する心』がないので、何も感じずさっぱりしている。
 だが置き去りに去れたアルフォンスは呆然自失だ。
 まさかこんな展開になるなんてと、ロイも開いた口が塞がらない。
 無茶をする子供だと判っていたが、無茶の種類と桁が違う。
『賢者の石』そして『人体錬成』
 二つの奇蹟がすぐ側にある。
 ロイは兄弟を見つめ、そうして自分はこんな結果が見たかったのだろうかと自問自答した。
 生まれ変わったエドワードは美しかった。
 目の前にある賢者の石のように。