第五章
どういう事なのかすぐにでもエドワードを締め上げたい気持ちでいっぱいだったが、動揺を隠せないアルフォンスに少しだけ冷静になる。自分より混乱している相手を前にすると逆に冷静になれた。
アルフォンスが自分の姿に驚愕している所を見ると、この事に対してアルフォンスは何も知らず、覚悟もしていなかったのだろう。
鎧から人へ。どうして人体錬成が成功したのかは判らないが、見た限り錬成に失敗はない。だが誰も成功した事のない人類初の人体錬成だ。失敗か成功か何所で見分けていいものか。
「体は……大大丈夫なのか? その……どこかに不調は?」
ロイはとりあえずアルフォンスをエドワードの向いに座らせて、話を聞く事にした。
兄とロイを不安そうに見比べるアルフォンスの、縋るような瞳が痛々しい。不安一杯なのが判る。
だがエドワードは……。
「はい。あの……肉体の感覚は久しぶりなので戸惑いますが……とりあえずは何ともありません。精密検査をしてみない事には何とも言えませんが……」
「そうだな。医者に見せて状態を確認しておいた方がいいな。体を弄り回されるのは気分よくないだろうが……」
「いえ、分かっています。ボクだってこの身体の事は調べておきたい。何の問題もなければそれに越した事はないんですから」
素直なアルフォンス。自分の身体が大丈夫だと確信が欲しいのだろう。
「オレの人体錬成は完璧だ。医者に見せてもいいが、中央の医者は止めておけ。アルフォンスの名前はそれなりに知られている。できれば口の固い医者を探せ。大佐なら口の固い医者を知っているだろう」
エドワードが重い口を開いた。
二人の動揺に対して一人場違いに冷静だ。
「鋼の……一体いつ、弟の人体錬成を行ったんだ」
怒鳴りたいのを堪えてロイは問い質した。今アルフォンスの事が外に漏れてはいけない。事を荒立てられないとロイは激情を抑える。
「さっき」
「は?」
「アンタが来る一時間前だ。……そうだな、アルフォンス」
「あ……うん」頷くアルフォンス。
一時間前?
「一体どうやって……。材料は? 何を代価にした? リバウンドは? 錬成陣は?」
部屋にはそれらしきものは何もない。
「ボクも聞きたい。兄さんはどうやってボクの身体を造ったの?」
アルフォンスが思いきって聞く。
「アルフォンスも判らないのか?」
「はい。なんだかあっという間で……。兄さんが夕飯を終えて部屋に戻ってきて……。そうだ……。兄さんはボクをジッと見てこう言ったんだ。何だか面倒臭そうだった。仕方ないって態度で……変な事に部屋にタライがあって、水が入ってて……。
『そろそろやるか』
『何を、兄さん?』
『オマエを元に戻すんだよ』
『え? 何の事?』
『何のって、一つしかないだろ』
『ええ? 人体錬成の事?』
『他にあるか?』
『あるかって言われたって……賢者の石だって見つかってないのに、何の冗談?』
『冗談じゃない。賢者の石ならある』
『……兄さん寝惚けてるの?』
『誰が寝ぼけるか。説明が面倒だ。ほら、やるぞ』
『やるぞって言われて、うん判ったって言えると思う? 何をするつもりなのさ? ちゃんと説明してよ』
『面倒臭い』
『面倒臭い? 何それ! それより何? そのタライの水。まさかその水がボクの身体の元なんて言わないよね?』
『ああ、そうだ。この水がオマエの身体だ。説明は後だ。大佐がきたら纏めて説明する。ほら、座れ』
……って言われて無理矢理座らされて……辺り一面が錬成の光に包まれて、訳が判らなくなって意識がとんで………気がついたら………裸で……人の身体だった……」
アルフォンスがこれは現実なのかと身体を抱く。
「じゃあ……本当に人体錬成に成功したのか」
ロイは信じられないと呟く。
アルフォンスの身体はとても水から作られたようには見えなかった。健康体で何所から見ても『普通』だ。
写真の少年が成長した姿がそこにあった。
何故自分が来るまで待てなかったとか、もう一度同じ間違いをおかしたらどうするつもりだとか、色々思う所はあったが、一言で言うなら……驚いていた。
人類初の人体錬成。
そんな事はありえない。
だが……目の前にその成功例がいる。
現実が全てだ。
「ちょっと待て……じゃあアルフォンスの身体は何と等価交換したんだ? さっきの話では部屋にはそれらしい物が用意されていなかったんだろ? まさかただの水がそうなのか? 鋼の答えろ!」
ロイは我慢できずにエドワードを視線で刺す。この子供は何をした?
「そうだ」エドワードは鷹揚に頷く。
「どうやった? 水が代価では人の身体は作れない」
「代価は何でも良かった。ただ人の身体の八十%は水分だ。水がベースなのが一番やりやすいし、簡単だった」
「簡単だったって……。どうやった? 錬成方法の資料でも見つけたのか?」
エドワードはポケットから何かを取り出し、テープルの上に放った。コロコロと転がった小指の先程の小石は……深紅だった。ルビーではない。石自体に生命力がある。沈む夕日の欠片のような、太陽に掌を透かしたような生きた紅。
「賢者の石だ」エドワードはそう言った。
一瞬の沈黙。
「……賢者の石?」
「兄さん!」
ロイの声とアルフォンスの声がぶつかる。
二人は信じられないようにエドワードと石を見比べた。
「賢者の石……これが?」
本物なのか? ……まさか。
ロイは恐る恐る石に触れる。
「あっ……」触った途端判った。『これは……だ』と。それが何なのか言葉では説明できない。だが判らない事が『判った』気がする。判らない事を埋めるのがこの石だ。力が指先から流れ込んでくる。これがあればどんな錬金術も可能に思える。
判らない事がない、というのは全て『判る』という事だ。理解→分解→再構築が全て一本の流れで『判る』
「どうやって見つけた? 何所で見つけたんだ」
ロイは聞きたく無い事を聞いた。
エドワードは南の戦場に行く前には賢者の石を持っていなかった。そして持って帰ってきた。戦場から賢者の石を。大量殺戮の後で。
エドワードはこの石を『見つけた』のか?
それとも……。
「見つけた? 判りきった事を聞くな」
エドワードは笑う。
「では、やはり……」
「ああ、エアルゴ軍一万でたったそれだけだ。賢者の石とは小さな物なんだな」
淡々としたエドワードに、ロイとアルフォンスの顔色は反するように変わった。アルフォンスは真っ青に、ロイの顔は怒気で赤く。
「エドワード! キミは……っ! なんて事を」
襟元を掴まれてもエドワードは冷静だった。
「何故怒る?」
「何故だと! 人の命を代償に錬金術を行ったんだ。許される事じゃない」
「だから何故?」
エドワードの氷のような視線に晒されて、ロイは言葉を失う。この瞳は見た事がある。何所だ……誰の瞳だ。
エドワードの瞳は透明で濁りがなかった。
「たかが国境や小さな基地の取り合いの為に数百数千数万の命が費やされていく。仕事だから軍人だから。そんな理由で恨みも感情も無く人を殺す。そこに本当に正義はあるのか? そんな争いを神が許したのか? 死者の多くは墓も作ってもらえず、砂塵の中に肉体を埋め、または晒し、大地に分解されバクテリアになる。銃で殺される、剣で刺される、毒で殺される。それと錬金術師で死ぬのと何が違う? 死というものの前では、結果は等しい。拷問で殺されないだけマシだ。……なあ、大佐。何が違うって言うんだ? 何が許されないんだ? 何が間違っているんだ? 何故怒るんだ? 軍人は戦場で人を殺すんだろ? アンタだってそうしてきたんだろ?」
「エドワード……」
ロイは反論できなかった。
そうだ、見た事がある筈だ。エドワードの瞳はかつての上官と同じだ。
破壊の錬金術師ミランダ。彼女はエドワードと同じように、人を殺す事に自身を哀れむロイや他の同胞を冷笑で見下していた。殺した者を悼むのは生者の独りよがりの傲慢だ。自分で殺したくせに、傷付くもの哀れむのも悔やむのも間違っていると言い捨てた女。常識を、現実を、人間を嘲笑っていた。
態度と言葉でそれを証明した上官。ロイが敬意を払う数少ない上司だった。
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