第一章
「鋼の」
ロイはどう言葉を掛けて良いか判らない。エドワードが理解できなかった。
この変貌はなんだ? コレは誰なんだ?
初めてエドワードに会った時でさえ瞬時に理解出来た事が難しかった。まるで中味がそっくり誰かと入れ代わってしまったようだ。エドワードの形をした別人を相手にしているような気分だ。
「……御苦労だった。大総統も今回の鋼の錬金術師の功績にはいたく感服されていて、賞賛しきりだった。……私も部下の成功に鼻が高い。後でお誉めの言葉があると思う。無礼のないように」
「判った」
「鋼の」
「何だ?」
「軍はキミを戦力と考えている。恐らく遠くないうちに二回目の前線送りの命が下ると思う。覚悟しておけ」
「ああ」
ロイは瞬間ゾッとした。エドワードが笑ったように見えたのだ。
楽しそうな……悪意を凝縮したような笑みだった。
毒を塗った刃物で撫でられたように心臓が縮んだ。
「エドワード?」
「何か?」
誰も気付かなかったようだ。エドワードの顔は真面目でらしくない落ち着きを見せている所をのぞけば、おかしな所はない。だがロイはどうしても一瞬見たエドワードの表情が忘れられなかった。
今のは何だ?
「鋼の。……もう旅には出ないという事だが、その事については……」
「それについては相談したい事がある。外で会って貰えないだろうか? 今晩いいかな?」
「それはいいが……」
ロイはホークアイを見て頷く。今晩の残業はなしだ。忙しいがエドワードの様子が気に掛かる。
大事な話は軍内部ではできない。盗聴には気を付けているが、万が一という事もある。
「じゃあ、ホテルの方に部屋に来てくれ。軍を出る時に電話をくれ」
「判った。八時頃そっちに行けると思う」
「サンキュ」
エドワードが出て言って、ロイはホークアイと顔を見合わせる。
「中尉。……鋼のをどう思う?」
「エドワード君らしくないですね」
ホークアイはエドワードの出ていった方を見て、腑に落ちない顔をしている。
「私もそう思う。まるで別人だ」
「やはり戦場に行ったせいでしょうか?」
「……それだけではない気がする」
「どういう事ですか?」
「錬金術師のカンだよ」
「勘ですか?」
「ああ」
勘としか言えない。ロイは説明しにくいこの予感の表し方が判らない。
ロイの錬金術師としての本能が言うのだ。
アレは『…………』だと。それが何なのか判らない。
エドワードはどうなってしまったのか。エドワード自身、自分の変化をどう思っているのか。
「今晩鋼のに会って詳細を聞いてくる」
「はい。ちゃんと聞いてきて下さい」
「アルフォンスも戸惑いを隠せず、動揺しきりだったしな」
「確かに。エドワード君がおかしいと心配しています」
「我々も似たようなものだが、アルフォンスの動揺に比べれば小さいな。二人きりの兄弟では冷静になれと言っても無駄だが。今の鋼のはまるで……殺人人形だ」
自分の言葉に顔が陰る。
「エドワード君が……人を殺せるとは思えませんでした」
「私もだ」
ロイはレポートを見て溜息を吐く。
エドワードの行った大虐殺。生きたまま焼き殺したとはまるで焔の錬金術師だ。ロイとてイシュヴァールにてエドワードと似たような事をやったが、今回のは規模が違う。たった一人でエドワードはやってのけたのだ。敵が一ケ所に固まっていたのでやれたのだろうが、それにしてもそれが『できる』のは国家錬金術師の中でも何人いる事か。
砂と水という材料は事欠かなかったので錬成は可能だろうが、大きさが桁外れだ。まるで賢者の石でも使ったようだと思い、皮肉げに笑う。そんなものがあればエルリック兄弟はとっくに軍から去っていただろう。
「錬金術師とは……そんなに何でもできるものなのですか?」
ホークアイがロイに聞く。彼女が錬金術に興味を示す事は珍しい。エドワードのやった事が気になるのだろう。
「そんなに何でもできれば、兄弟は賢者の石など探さなかっただろうな。だがエドワードの行った事は理論上は可能だ。実践する実力があれば出来ない事は無い」
「……エドワード君には実力があります」
「鋼のの力を見くびっていた。まさかこれほどとは…」
「大佐ならエドワード君の行った錬成ができますか?」
痛いところを突かれたと、ロイは考える。
「さあ。……できる、と言いたいが、リバンドが恐いな。質量が桁外れだ。術者に反動が来るか失敗するか……成功の可能性は五分五分だ」
「そんなに難しい事なのですか?」
「一般の錬金術師から見れば机上の理論だ」
「でもエドワード君はやってのけた」
「鋼のでなければできなかっただろう。同じ事を他の国家錬金術師がやれと言われたら困るだろうな」
「そんなにエドワード君のやった事は大変な事なのですか?」
「君は2H離れた先に走る列車の窓際に座る人間を暗殺しろと言われたらどうする? チャンスは一度、すれ違いざまの一瞬。時間にして一秒。距離と列車のスピードを考えれば不可能に近い。だが理論上は可能だ」
「そのくらい難しいと?」
「もっとだ。1H四方の大質量の土を液状化した後、今度は逆に周りに岩壁を錬成。そして地下水から大量の窒素を作り出すなんて、一人で一度にやることじゃない。冗談にしか思えない。術者の力が足りなければリバウンドで体がふっとぶ」
「危険だというのですか?」
「人体錬成ほどではないが、錬金術は等価交換が原則だ。恐ろしくてそんな錬成はやれんよ」
「エドワード君は……大丈夫なのでしょうか?」
「見た目は大丈夫そうだったが……」
どこかおかしいエドワード。その時二人はエドワードに何かあったのだと思った。
だが何が?
「やれやれ。無茶をしては心配を掛けて、無事でも心配させられて、鋼のはいつ会ってもトラブルメーカーだな。いい加減大人しくできないものかな」
「そのトラブルメーカーを勧誘したのは大佐です」
「それを言われると痛いんだが……」
「でも……エドワード君が国家錬金術師になったのは間違いでは無いと思います。例え戦場に出る事になったとしても。田舎であのまま死んだように朽ちていくよりはマシでした」
「ああ。鋼のは……壊れて死ぬ人間じゃない。あれは鉄だ。叩かれて強くなる」
「でも……鉄でも折れることはあるんですよね」
「……完璧な人間などいないよ」
二人は言葉を濁し、それ以上語らなかった。
予感が本物になる事を恐れていた。
「鋼の。……私だ」
「……入ってくれ」
ホテルのドアを叩いたロイをエドワードが迎えた。顔色が増々白い。まるで人形のようだった。病的ではなく、だが人間離れしていた。陶器のように温度を感じない。
「アルフォンスは?」
部屋にアルフォンスがいない事を訝しんで聞くと、エドワードがバスルームの扉を指した。
「そっちにいる。……アンタが来たから隠れたんだ」
「隠れた? 何故?」
「恥ずかしいんだろ、人に会うのが」
「恥ずかしい?」
「会えば判る」
エドワードは素っ気無く言って、ソファーに座った。
表情のない瞳がガラスのようで、ロイの心はざわめいた。イヤな予感が内から湧いてくる。
このエドワードの様子はなんだ? そしてアルフォンスは何故姿を隠している?
ロイはバスルームの扉を叩いた。
「アルフォンス、私だ。ロイ・マスタングだ。ここを開けてもいいか?」
「……大佐?」
アルフォンスの声。だが何かが違うような気がする。
「どうかしたのか? 気分でも悪い……という事はないな。鎧だし。兄弟喧嘩でもしたのか?」
「……大佐。そこにいるのは大佐だけですか? 他の人はいませんか?」
「私だけだ」
「……本当ですか?」
「他には誰もいない」
何故そんな事を聞かれるのか判らないが、ロイは正直に答える。
扉の中から出てこないアルフォンス。そしてそんな弟の様子を歯牙にも掛けないエドワード。何かが異常だった。
「鋼の。アルフォンスは何故出てこないんだ?」
振り返って聞くと、エドワードは関心のない瞳をチラとこちらに向けた。何故か腹がヒヤリと冷える。
「アル。……出て来い。大佐と会え」
エドワードの温度のない声。エドワードがこんな声で弟を呼ぶのを聞いた事が無い。まるで見知らぬ人間を記号で呼ぶような音に、ロイはゾッとした。兄弟にこんな声で呼ばれるアルフォンスが哀れだと思った。これは喧嘩などという生易しい事では無い。エドワードの中で何かが大きく違っている。
カチャ。音がして扉が僅かに開く。
「アルフォンス?」
だがそれ以上は開かない。ロイは自分で扉を開けた。
「どうし……」
言葉が止まった。
少年と目が合った。不安に壊れそうな瞳。顔色は白いがそれは不安の為だろう。金の髪と瞳。ロイはこの顔を何処かで見た事がある。そうだ、エドワードに出会う少し前。エルリック家で見た。写真に写っていた健康そうな兄弟。その片割れだ。だが写真よりも随分と成長している。成長期のアンバランスな体つき。
バスローブを羽織い、洗面台に両手をついて、こちらを見ているその顔は……。
「……アル……フォンス?」
「大佐……」
アルフォンス・エルリックの声。でも鎧ではない。生身の肉体。
ではこの少年が……。
「キミ……なのか?」
少年がコクリと首を縦に振るのを、ロイは幻のように感じ、よろめいた。
|