第五章
「一体どうしたの、兄さん?」
アルフォンスは恐る恐る聞いた。内心の動揺が外に出ていなければいいと思いながら。他にもっと気の効いた言葉をと思ったが、浮かぶ言葉が無い。
「どうもしないさ。ちょっと疲れているだけだ。一人にしてくれ」
エドワードは弟を見ずに言った。言葉に温度がなかった。
「……判った」
アルフォンスはそれ以上言葉が続けられなくて、居心地悪いまま兄の側から離れた。
明らかに兄がおかしいと判っているのにどうしていいのか判らない。
相談できる人間は限られている。アルフォンスはロイに部屋に向かった。
「どうだったんだ、アルフォンス」
ロイが話し掛けてくる。ロイもエドワードの様子のおかしいのに気が付いていた。
「…………大佐。兄さんは一体どうしてしまったんですか?」
アルフォンスが落ち込んだまま問うと、ロイも判らないと首を振る。
「あんなの……兄さんじゃない」
「ああ」
酷い言葉だがロイも肯定するしかなかった。
戦場から帰ってきたエドワードは無事だった。少なくとも表面上は。迎えた者たちはエドワードに怪我ない事にホッとした。
だがエドワードは元のエドワードではなかった。
まるで中味を戦場に置いてきてしまったとばかりに、エドワードは自分というものを失っていた。
冷静沈着で醒めた瞳。ロイ・マスタングのからかいの言葉も弟の心配の声も、エドワードには届いていないようで素っ気無い。
特に変化が顕著なのはアルフォンスに対してで、暖かみのない義務的な対応に、アルフォンス本人も周りも戸惑うばかりだ。他人に接するように必要最低限の接触しかしない。明らかにエドワードはおかしい。
だが見た目には怪我一つしていない。頭を打ったというわけでもないらしい。
不吉な予感を抱えながら、周りはエドワードを遠巻きにして成りゆきを見守っていた。
エドワードは上々の結果を携えて帰還した。
国家錬金術師として軍に貢献したとハクロ将軍が機嫌が良かったのを、ロイとアルフォンスは嫌な予感をもって聞いた。
事実エドワードの戦果は大きかった。前線基地を取り戻し、敵の大部隊を殲滅した手腕は流石天才国家錬金術師の名を頂くだけの事はあると、周囲は手放しの賞賛だった。
エドワードは味方の損害を最小限に止め、奪還が困難だとされていたB21ポイントを少人数で取り戻したらしい。それがどのような方法だったのか詳しくは知らないが、その後退却したエアルゴ軍を追い、合流した敵の大部隊を一人残らず殲滅した。話だけ聞くと冗談のようにしか聞こえない。
どのような手段を用いたのか、詳しい報告はまだロイの元には届いていない。潜り込ませている部下の話によると、エドワードは単独行動を志願したらしい。最小限の部下は同行したらしいが、その部下達はエドワードとの行動の際、全員戦死したという事だ。エアルゴ軍の大部隊とぶつかったのだからそういう事もあるだろう。
エドワードは傷一つ負っておらず不審の声も上がったが、敵軍一万の消失の前に味方数人の戦死は不問にふされた。
エドワードの錬成法は後の報告書でハッキリするだろう。どんな錬金術を行ったのかは判らないが、一度に一万の人間を殺した大錬成だ。上層部はエドワードを有効な武器として使えると判断したに違い無い。
だが何故エドワードはそんなバカな真似をしたのだろう? これでは戦場に引張りだしてくれと言わんばかりではないか。
ロイもエドワードの所業には驚いているが、それとは別に、錬金術師としての興味は隠せない。
エドワードの得意は鉱物の錬成だ。それでどうやって敵を一度に殲滅してのけたのか。
エドワードに聞いても提出するレポートを待てと言って黙秘している。エドワードが黙したい理由が大量虐殺にあるとするならば判るのだが、エドワードに後悔の欠片も見られず、それが不審を誘う。
第一にあの弟を見る目はなんなのだ? エドワードがあんな冷めた目付きでアルフォンスを見た事は無い。尊大だが家族に対してはどこまでも甘い子供だった。弟の為に国家錬金術師にまでなったエドワードが、アルフォンスを邪険にするなどありえない。
だがエドワードの視線は言っている。
『オマエに対して関心などない』……と。
信じたくはないが、エドワードは変わってしまった。戦場帰りの人間が変わるのはよくある事だが、エドワードの変化は劇的で、静かな分その変質はジワジワと周りに浸透して違和感を募らせていく。
笑わないエドワード。
怒らないエドワード。
表情の欠けたエドワード。
「鋼の」
ロイはエドワードから受け取った報告書を読み、驚きと後悔で顔を抑えた。
エドワードの書いたレポートはよく纏まっていて読み易かったが、内容はとんでもなかった。
まさか……。エドワードがここまで容赦のない虐殺ができるとは思わなかった。命じたのは軍だが、そう志願したのはエドワードの方からだと聞く。
ロイはレポートを読んでもまだ信じられなかった。
エドワードの作成したレポートは完璧だった。要点だけを纏め、錬金術を知らない人間にも理解できるように簡潔に纏めてある。だがその内容は驚くべき物だった。
エドワードが戦場で行った大錬成。
「敵陣の中心から四方一Hの大地を液状化。戦車は砂に埋もれ、重みで脱出不可能。歩兵の多くも砂に生き埋めにされる。次に周りに高い壁を築き、ドーム状に覆い敵軍を閉じ込める。更に地下水脈から水を引き上げ、中に大量の水素を作り出す。浮き足立ったアエルゴ軍が充満した気体に気付かず発砲。水素に引火して大爆発を起こす。……一時間経ってエアルゴ軍の周りに築いた壁を元に戻す。火は空気を喰いつくし、ほぼ鎮火している。生存者はゼロ。死体どころか残ったのはかろうじて骨の欠片だけ。行動開始から二時間で敵軍一万を殲滅。味方の損失は同行者の四人のみ。……大戦果だな」
「ありがとうございます」
エドワードはロイから視線を外す事なく応える。冷静で白い顔には表情というものがなかった。冗談のような報告書。だがエドワードはそれを実行したのだ。
エドワードの瞳の奥に何があるのか探ろうとしたが、ロイを持ってしてもエドワードの中にあるものは見極められなかった。
「この作戦に自分から志願したと聞いたが、本当か?」
「ああ」
「何故だ?」
「軍はオレの実力を量りたいから戦場に出した。……なので見た目に分かりやすい方法を取らせてもらった」
無礼な口調だけが元のままだった。人の死に無関心なエドワードに、ロイの違和感が増々募っていく。
「……そうか。だが鋼のは戦場は初めてだ。……人を殺す事に躊躇いは感じなかったのか?」
「初めに人を殺した時には動揺したけど……。だけれど一人殺すも千人殺すも同じ事だと気が付いたんだ。一度血を流した者は、二度とその血が落ちない。ならば前に進むしかないじゃないか」
エドワードの顔に悲愴さがあればロイも納得しただろうが、エドワードは冷静で、言葉は台本を読んでいるように説得力というものに欠けていた。
|