第四章
エドワードは足から力が抜けてヘタリこんだ。
地獄絵図だった。
血の臭いはあまりしなかった。したのは埃と火薬の臭い。
エドワードは動けなかったが、ほかの兵士達は生存者がいないが確かめ始めた。埋まっている人間を除けば生き残ったものはみな負傷していた。生きているのを確認すると、一人一人当然のように頭を打ち抜いてゆく。
エドワードはそれを傍観者のように眺めていた。自分の起こした錬成の結果に衝撃を受けて動けなかった。
……酷い。人形のように人の手足が千切れて吹き飛んでいる。
顔が……ない。手が、ない。
あああ……。
一人動かないエドワードに、ボナード中尉が近付いてくる。
「エルリック少佐。埋まっている者を除けば敵の生存者はありません。掘り返す事もないでしょう。作戦終了です。撤退しましょう」
「あ……ああ」
エドワードは反射的に頷いた。
指示された部下達が背後を気にしながら駆け出してゆく。エドワードは走りかけて、何かに足を取られて転んだ。中尉に手借りて起き上がったエドが見たのは、肩より先のない右手だった。主のない手がエドワードに絡みついていた。エドワードは声にならない悲鳴をあげて、その手に向かって銃を乱射した。
「エルリック少佐!」
ボナードがエドワードの右手を押さえ込む。弾がつきてもまだ引き金を引き続けていた。
「しっかりなさって下さい、少佐!」
近くで怒鳴られて、恐慌状態から辛うじて脱出する。ゼイゼイと呼吸した。涙が出てきた。
「……大丈夫だ」
エドワードは何とか恐怖を捩じ伏せて頷くと、再び走り出した。
その後の事はよく覚えていない。
負傷者を医療テントに運んだ後、報告にハクロ将軍の所まで出向き……そうして機械的な報告の後、一人テントに帰ってきたのだ。
周りの兵士の目がエドワードを追っていた。畏怖の眼差し。皆エドワードのした事を知っていた。
エドワードの頭の中は渦だ。グルグル廻って底に吸い込まれてゆく。
黒い土。赤い血。敵のくすんだ緑色の戦闘服。
死んだ。皆死んでしまった。
オレがやった。咄嗟だった。あんな事をしてどうなるか考えなかった。あんなに地雷があったなんて。ただ土を掘り返しただけなのに。殺意はなかった。なのにあんな……。あれは殺戮以外の何者でもなかった。
花火のような爆発、爆発、爆発。血肉が飛び散るより早く土の波が敵の上に覆い被さり、うねって揉まれ、どうやって自分が攻撃され死んだのか判らなかっただろう。グチャグチャに破壊された肉。
錬金術師で人を殺した。人を殺した。人を殺した。人を殺した。人を殺した。人を殺した。人を殺した。人を殺した……。
脳の中で取り返しのつかない事をしてしまったという後悔だけが渦巻いて、エドワードは全身を硬直させた。
殺さなければ殺されていたかも知れない。
判っていても自分のした大量殺人に、エドワードは吐きそうになるのを必死に耐えた。
視界がグルグル廻る。
エドワードのせいで大勢の人間が死んだ。
顔が無かった、手が無かった、足が無かった、死んでしまった。
これが戦争か、これが軍人かと恨み言を言いたかったが、エドワードは何一つ言わず、ああこれで自分も本当の犬になったのだと、初めて後悔した。
敵から見れば悪魔の所業も、味方からすれば奇蹟の攻撃だ。
エドワードの錬金術は誉められた。味方の被害を出す事無く救出作戦が成功したのだ。小規模の救出とはいえ味方の被害ない、端から見れば安易な救出劇に、命じた将軍も臨時で配下になった部下も機嫌が良い。エドワードは『使える』犬だと判ったのだ。次にはもっと大きな指令が下るかもしれない。
エドワードは想像して胃が捩じれるようは痛みを感じたが、心の奥底ではもう一つ声が響き始めた。
『まだだ』
『まだ足りない』
『血を! 肉を! 悲鳴を! 憎しみを! 力を!』
後悔の裏から起こる思いに、エドワードは違うと必死に言い聞かせる。
『これは自分の本音じゃない! そんな事望んでいない! もうイヤだ……』
だがエドワードの中に生まれた血を求める欲求は確かに根を張ってしまった。
もうイヤだと泣く一方で、まだ足りないと冷酷に告げる自分がいる。
『もっと血を! 大地に怒りと哀しみと血を染み込ませ、緋色の母体を造れ。死を苗床に絶望を養分に嘆きを力とし、花を咲かせよ。
種は命。育てるのは錬金術師。生まれるのは緋色の夢。
焔の色血の色太陽の色光の色死の色不吉の色。
世界にただ一つの赤。
……天上の石、賢者の石! 誕生を称えよ。
……そうだ、神の石が生まれる。
ハレルヤ!』
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだっ!
殺したくない。そんな殺戮はイヤだ。
オレは悪魔じゃない。
『さあ造れ! 錬金術師。世界の真理を知る者』
こんなのは間違っている……。
『どんな望みも叶えよう! 死を生に! 無を有に! 時の流れさえ逆流させてみせよう!』
……アルフォンス!……イヤだ、助けてくれ……。
『約束しよう! オマエの望みを叶えると』
オレの望み……。
『さあ願え、錬金術師。欲望深き罪人よ』
望みは……。
『ただ願えば良い。それだけで石は力を貸そう』
オレの望み。……アル。
オレを呼ぶ……声、瞳、姿。
取り戻したい。……そして自分を無くしたい。
こんなになってまで………浅ましい姿を弟に晒したくない。
『それがオマエの望み』
オレの望み。ああ、アルフォンス。
『では叶えよう。オマエはオレ、オレはオマエ。オマエの望みはオレの望み。オレの望みはオマエの望み。さあ願え。叶えよう』
ゴメン、ゴメンなさい。
許して下さい。
どうかアナタを裏切るオレを許して下さい。そして始めからいなかったものと、忘れて下さい。
……もう、アナタの知る兄は何所にもいないんです。
『さあ……』
待っていて。もうすぐ帰るから。
門が見える。
エドワードは伸ばされた触手のような何本もの黒い手に向かって、自分も手を伸ばした。
扉がゆっくりと開く。
何処かで誰かが高らかに嘲笑っていた。
エドワードは門の奥に踏み込んでいった。
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