命に つく
     名前 を 『心』と
            呼ぶ



第三章



#08



「鋼の錬金術師。明朝B21ポイントまで出向き、アポス基地奪還任務中のフリーガン少尉率いる小隊の救援に向かえ」
「了解しました。エドワード・エルリック。明朝出立します」
 下された命令にエドワードは背筋を伸ばし、敬礼した。
 本部の指令室にはハクロ将軍の他には同行した部下が付き添っている。
 視線に晒されながらエドワードは何の表情も見せぬまま、手本のような敬礼で命令を受諾した。
「同行者はこっちのボナード中尉と他十名。目的はあくまで救援なのでそれで充分な筈だ」
「はい」
「今から鋼の錬金術師は仮の少佐扱いになる。軍人ではないが戦争の最中だ。命令系統がしっかりしなければ兵士が混乱する。セントラルに戻るまでエドワード・エルリックはエルリック少佐と呼ばれることになる」
「イエッサー」
「……では詳しい事はボナード中尉より聞きたまえ。ボナード中尉はこの辺りの地理に詳しい。鋼の錬金術師は上官だがこの辺りの地理にはまだ疎いだろう。充分な説明を聞き状況を把握したまえ。命令は難しくないが場所が場所だ。充分に気を付けろ。鋼の錬金術師の無事の生還と任務の遂行を祈る」
「はい。お言葉ありがとうございます。エドワード・エルリック、何としてもB21ポイントより同胞を救出して参ります」
「他に質問は?」
「一つお聞きしたいのですが、もし戦闘になりましたら、その時は錬金術で応戦してもいいのでしょうか?」
「当然だ。敵はこちらを殺す為に襲って来るのだ。存分に戦いたまえ」
「もしその際、B21ポイントのアポス基地に被害が出るとしたらどうしますか? 今はエアルゴに占拠されたとはいえ、元はこちらの基地です。被害甚大では結果損失も大きいかと」
「構わん。敵の手に落ちた要塞など壊れても致し方ない。戦闘になれば手段は選ばずともよい」
「……かしこまりました」
「兵士の救援に手段を選ばなくてもよい。だが味方の被害は抑えるように。迅速な行動を求める」
「……判りました」
「では検討を祈る」
「はっ!」
 再び敬礼し、エドワードは退出した。
 茶番は終わった。
 人間兵器の予行演習&試運転が始まると言う訳だ。
 ハクロ将軍達が背後でどんな表情をしているか知らないが、そんな事はどうでもいい。
 命令は救援だが、それは名ばかりだ。
 B21ポイントは最前線で双方が奪い合いをしている重要地点だ。攻めにくく守り易いので敵味方がその奪取に血眼になっている。
 B21ポイントのアポス基地は元々対エアルゴ用に建てられたアメストリス軍の物だが、今は敵の手に落ちている。その守り易い構造に過信して少数しか人員を配備しておらず、人海戦術により大量投棄された兵士によってまんまとエアルゴ軍に取られてしまったいわく付きの場所だ。基地の周りの死体はエアルゴ軍の方が圧倒的に多かったという事だが、前線基地を取られたという事実には変わり無く、その奪還を巡って様々な作戦が練られたがいずれも失敗に終わり、今でもそこはもっとも厳しい前線の一つとして双方の兵力が集中している。
 そこに出向けというのは言外にそこの敵を駆逐しろという事に他ならない。銃弾飛び交う中で倒れた兵士を救出する作業は並み大抵ではない。殺されたくなかったら敵を倒してこいと言っているのだ。狡猾というか、何故命令を遠回しにするのか判らない。エドワードの力を量りたいなら一言そう言えばいいものを。
 エドワードは考えた。
 上層部が知らない筈は無いのに。
 手段を選ばないのなら、敵を倒しB21ポイントを取り戻すのは実はそんなに難しくはない。一般の兵士だけでは困難だが、焔の錬金術師のような錬金術師なら、基地ごと曝砕すればそれで済む。荒技だが、イシュヴァール戦争のように紛い物の賢者の石でも使用すれば、戦闘は一瞬で終わる。戦闘ではなく殲滅だ。
 錬金術師が介入すると敵だけではなく基地もなくなる。事実イシュヴァール戦で残ったのは砂漠だけだ。錬金術師達が町を根こそぎ薙ぎ払ったせいだ。
 だからエドワードは聞いたのだ。基地がどうなってもいいかと。ハクロ将軍は許可したが、それはエドワードの力を知らないからだ。錬金術師の力を侮っている。
 エドワードが人としての感情を捨てればB21ポイントの奪還は難しくない。エドワードがそれをしないのは、したくないからだ。敵とはいえ、無差別殺人のショーを見せ物にする事などできない。
 同行するボナード中尉はエドワードの監視役だ。鋼の錬金術師が戦場でどう敵を倒すのか観察しているのだ。エドワードの行動は全て報告され、人間兵器のサンプルとして上層部に提出される。
 エドワードは思案した。B21ポイントがどんな場所か知らないが大体の想像はできる。敵を一掃しようと思えばできない事はない。だがそれは本当に殲滅だ。エドワードは本当の意味で兵器になってしまう。
 だが手加減しての錬成をする余裕はない。味方の救助という作業がどんなものかまだ実感としてないが、困難であることは間違いないだろう。
 同胞は敵陣に取り残されているのだろうか。それとも敵は基地に引っ込んで待機してくれているだろうか。敵を見逃す程エアルゴ軍も甘くはない。激しい戦闘になるのは間違いない。
 とうとう人殺しになるのかと、エドワードの心はやり場のない憤りで一杯になる。自分が汚れていく事が辛く、それを命令する軍も憎いが、それより揺れる決心が恐かった。決意した事は今回の命令の比ではないのに、ここまで来て揺れ動く自分の心の弱さが厭わしかった。