第三章
南は日の暮れるのが遅い。
エドワードは岩に腰掛けながらそんな事を思っていた。
西の空が紅く染まっている。戦場には相応しく無い綺麗な眺めだった。夕食を待つ兵士達もつかの間の休息に気を弛め、談話しながら空を眺めている。
エドワードが戦場に来て二週間がたつ。そこでエドワードは後方支援を任され、怪我人の手当てや搬出などを手伝っていた。
南の戦闘は大規模だが一点に集中しているものではなく、広い土地に散らばって砦や大地の境界線や命の取り合いをしている、一部の規模だけを見れば小競り合い程度の戦闘だった。だがイシュヴァールの一点集中攻撃と比べれば小さく見える戦争も、全体を把握してみればそれがいかに大規模か判っただろう。
エドワードは毎日運ばれて来る怪我人の数に生々しい殺し合いの臭いを嗅いで気分が悪くなったが、顔色を変えていたのは初めの数日だけだった。
ここにに運ばれてくるのは戦闘はもうできないが、助かる可能性のある者ばかりだ。
息はあっても生存可能性薄い者は、わざわざここまで運ばれて来ない。現地のテントに寝かされて最低限の手当ての後死を待つばかりだという話を、足を地雷で飛ばされた軍曹から聞いた。その軍曹は幸いというか両足とも機械鎧だったので身体は無事だったが、代わりの義足をつけるまでは歩く事もできず、エドワードの話し相手になっていたのだ。
痛みに呻く兵士達を手当てしながらエドワードは医療錬成をもっと勉強しておくのだと後悔した。エドワードの使える治療の錬金術は軽傷の者にしか使えない。
足を無くして狂ったように叫び続ける兵士を、エドワードは「足が無くても生きているだけマシだ」と言いいながら押さえ込んだ。
エドワードの言葉に周囲から殺意を含んだ反発が生まれたが、エドワードは自分の足を見せて怪我人に大丈夫だと笑うと険悪な視線も消えた。国家錬金術師故に戦闘経験がなくても上官として接しなければならない事に不満を抱いていた下士官達だったが、エドワードの機械鎧を見て憐憫と共感を覚えたらしい。
戦場に似つかわしく無い小さな国家錬金術師は治療や仕事には熱心だったが、何処かに壁をつくり人と馴染まなかった。それは初めて戦場に出る新米故の緊張ともとれ、小さな天才をどう扱っていいか判らない他の兵士達は、遠巻きにしながらもその姿に慣れていった。
エドワードはこの場に来てもまだ迷っていた。
今は後方支援だが、エドワードが来たのは自分の力を示す為だ。同行している将軍に国家錬金術師、いや人間兵器としての力を示さねばならない。それは人を大量に殺せという事実に他ならない。
エドワードの中に覚悟はあったが、それでもまだ迷う心があった。もうそれしか方法はないのは判っているのに、まだ躊躇うのかとエドワードは自嘲した。その躊躇いはきっと人を殺すまで続くのだろう。
人を殺した時に自分がどう変質するのか分らず、エドワードはそれが恐かった。一度人を殺してしまえばもう二度と前のようには戻れない。アルフォンスの前に血に染まった自分を晒すのかと思うと心は冷たく沈んだが、拒絶されてもなおも続く恋慕の情が鈍る決意の後押しをした。
二度と前のようには戻れないのならいっその事全てを壊してしまえばいい。
アルフォンスの身体を元に戻す。その為に自分は生きている。自らを守りたいが為に躊躇うなど愚の骨頂だ。
エドワードは脳裏に浮かぶ弟の鎧姿に詫びながら、震える心と身体を両手で押さえ、自らを律した。
「エドワード・エリック殿。ハクロ将軍がお呼びです。至急本部にお越し下さい」
前に立つ兵士がエドワードに敬礼しながら言った。
エドワードは我に返った。
「本部に?」
「はい。お迎えに上がりました」
「すぐにか?」
「はい。将軍がお待ちになっております」
「……判った。すぐに行く」
エドワードは立ち上がった。
本部とは離れた場所にある前線基地の事だ。この場所からは車で十分かかる。
顔見知りになった軍医に外出の旨を告げる。
将軍に会うのは気が重かった。内容は想像がついた。
それでもいよいよ来たかと、エドワードは心を引き締める。呼び出しの用件は見当がつく。エドワードの様子を観察して、そろそろ大丈夫だと上が判断したのだ。
エドワードは生殺しになりながらジリジリと待っていたので、ようやく緊張から開放されるのだと息を吐いた。戦争は恐ろしいが、今かと待つ時間も心が締め付けられて恐ろしかった。どうせやらねばならない事ならさっさと済ませてしまいたい。
車に乗り込んだエドワードはミラーに写った自分の顔を見て、肩の力を抜く。よほど緊張していたらしい。表情が強ばっていた。
「……いよいよか」
「……何か? 錬金術師殿」
隣に座る護衛の兵士が、エドワードの独り言に声を掛けてきた。
「いや……緊張しているなと思って。……もうすぐ初陣だからな」
兵士の名はジョー・バジレール。階級は曹長でエドワード付きになったばかりの若い兵だった。その若々しく温厚さが伺える顔立ちにブロッシュ軍曹を思い出し、エドワードは少しだけこの兵士が気に入った。
戦場には老若男女問わず兵がいる。自分はその中でも最年少だろう。その自分が兵士の若さを気にするなど滑稽だ。
「錬金術師殿でも緊張なさるのですか?」
「オレでもって何だよ。オレだって戦闘は数をこなしていても戦争は初めてだぞ。……人を殺した事はない」
「そうなんですか?」
「生憎な」
バジレール曹長はエドワードの素っ気無い返事に驚いた。
エドワードの事は周りでも噂になっていた。十二歳で国家資格を取った天才錬金術師。聡明かつ腕も達者で活躍は華々しく、その名を知らぬ者はいないという有名人。その天才が南部に派遣されてくると聞き、好奇心から姿を見に行った者も多い。
エドワードは想像していた姿と全く違った。
さぞや立派な青年かと思いきや、見た目はほんの子供で、鋭い眼光は年に似合わなかったが、体躯の良い兵士に混ざると小ささがより際立った。噂に名高い国家錬金術師エドワード・エルリックの幼さにも驚いたが、手足を失った兵士に顔色一つ変えずに治療に専念している姿にも驚いた。よほど荒事や血に慣れているのかと思ったが機械鎧だと言う。なる程と思った。経験を積んでいるから血まみれの傷跡や悲鳴にも動じないのだと密かに感心したのだが、戦争に来るのは初めてだと聞いて更に驚く。エドワードの年齢を考えれば当然なのだが、年に似合わない落ち着きが姿と年齢以上の老成を見せていて、流石に最年少で国家資格を会得した鳴り物入りの錬金術師だと遠巻きに同僚と感心していたのに、すぐ近くで見るエドワードの顔はほんの子供のもので、そのギャップにエドワードの本当の姿を判断しかねた。
到着までの時間、エドワードは何となくバジレールに話し掛ける。
「バジレール曹長はこちらに来たのは何時だ」
「オレは半年になります」
「以前は何所にいたんだ?」
「南部の小さな村です。親父が死んで兄弟達を食わせなきゃいけないんで、給料のいい軍に志願したんです」
「それは災難だったな。まさか戦場に出されるとは思わなかっただろう」
「はい。初めは戦場の酷さに絶望しましたが……何とか慣れました」
「……慣れるものなのか?」
「慣れた……つもりです」
「そうか」
バジレール曹長の諦めたような表情に、エドワードは自分も人の死に慣れるのだろうかと思った。
「錬金術師殿はどうして国家錬金術師に?」
聞かれてエドワードはどう答えたものかと思案した。
何度も聞かれた事なのにどう答えていいか判らない。
エドワードの沈黙をバジレールは気に触ったのだと勘違いする。
「失礼致しました。無礼を申しました。お許し下さい」
エドワードは子供でも階級は少佐に値する。曹長とは身分の差があった。
「いや。別に怒ってはいない。そうかしこまらなくてもいい。……返事をしなかったのは……あまり答えたくはなかったからだ。オレも曹長と同じだ。親が死んで、手足はこのザマだし、弟もいたし、金が必要だったからだ」
「……そうですか」
エドワードの拒絶したような表情にバジレールはそれ以上何も言えなかった。
たぶん言葉以上の理由があったのだろう。子供で機械鎧をつける者は少ない。金額もそうだし、付けるには多大な苦痛が伴うと聞く。どんな覚悟をもってその身体になったのか、エドワードの横顔には片鱗すら見えない。
「オレの顔に何かついているか?」
「いえ……失礼致しました」
エドワードの顔を凝視しているのを指摘されて、慌てて視線を外す。
「いいさ。見ておいてくれ」
「は?」
「たぶんアンタがオレの子供だった時の顔を最後に見た人間になる」
「……どういう事ですか?」
「オレはもうじき前線に立つ。人間兵器として敵を殺す道具になる」
「それは……」
「ここに戻ってきた時。オレはもう今のオレとは違っているだろう。だから曹長はオレの顔を覚えていて、オレがどう変わったのか教えて欲しい」
「錬金術師殿?」
「人殺しの道具になる覚悟はできている。だが自分がどう変わるのか想像ができない」
「それは……」
「だから教えて欲しい。人を殺す前と殺した後でどう変わったのか。無駄な確認かと思うが、知りたいと思う」
張り詰めたエドワードの顔にバジレールは頷いた。
「……了解しました」
エドワードは言ったあと、再び黙り込んでしまった。その横顔は固く強ばっている。
この小さな身体には何が詰まっているのだろう。
バジレールは得体の知れないエドワード・エルリックという少年の痛々しさと反対の鉄のような強さに、恐れと不安を抱いた。
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