序章
『真実』を知った時、エドワードは愕然となった。
切っ掛けはドクターマルコーとの出会い。
アームストロング少佐が同行していなければ、接点はなかっただろう。
エドワードの探し求める物を持った人間との偶然の出会い。
聞かされた時、エドワードは驚きのあまり『何故』とか『どうして』等……深く考えなかった。表面に見えるものしか見えなかった。ただ目の前の可能性に希望を見い出した。
だが……本当に偶然なのだろうか?
エルリック兄弟が探し求めていた『賢者の石』
伝説の、奇蹟を可能にする天上の石。誰も見た事が無い、だが伝承には残る存在。
探し出す事は雲を掴むような無謀な挑戦……だが、赤い石だと言い伝えられているなら、誰かがその色を見た事があるという事。世界の何処かに確かにそれはある。
そう信じ、僅かな可能性に掛けて探し続けてきたのに。……なのに。
まさかそれが人工で作れるものだとは思わなかった。考えてもみなかった。そんな技術は噂ですら聞いたことがない。
しかも軍が秘密裏にそれを作ろうとしていたなんて。こんなに身近にあったなんて。
自分達が長い間旅をしてきたのは何だったのだ? 意味のない事だったのか?
だが何故軍はその存在を身内にも隠している?
調べて真実を知ったエドワードは、その非情さにおののいた。軍が研究を秘密にした理由が分かった。
軍が造った賢者の石は、人の命を代償にしたモノだった。
ドクターマルコーの研究書からその事を知ったエドワード達は、悪魔の所業だと思った。こんな事許されて言い筈が無い。……そう思った。
思ったのに…………なのにどうしてエドワードは第五研究所に忍び込もうと思ったのか。
真実の裏にあるモノとは何なのか?
調べずにはいられなかった。
例え真実が判ったとしても、その方法を真似る事はできない。
常識や正当性に今更こだわるつもりは無いが、絶対に譲れない一線はある。エドワード達は『人』だ。悪魔にはなれない。
人の世の理から外れたとしても『人』であり続けようと必死だった。なのに……。
ひっそりとエドワードの中で何かが芽吹いた。自身さえ気付かない、ほんの小さな芽だった。
エドワードは第五研究所の研究を悪魔の業だと思った。思ったのに……。
なのに、可能性を考えてしまった。
ほんの僅か、心の隙に入ってきたのは「もし…」という可能性。
あってはならないと理解しつつ「自分だったら…」と考える誘惑の囁き。
軍の所業は非道だった。知られれば悪魔と誹られる人外の試み。やってはならない、考えてもいけない、忘れなければならない非道の錬金術。
例え『できる』としても、可能性すら思ってはいけない悪魔の所業。
だが……。
エドワードは真実を知った衝撃の下、無意識下で考えた。
もし……。
もし探しても探しても賢者の石が見つからなかったら?
その時エドワードとアルフォンスはどうするのだろう?
考えたくはなくても、事実からは目を逸らせない。
どんどんエドワードは年を取る。アルフォンスを追い越して青年になり、壮年になり老人になる。そしていつかは死ぬ。なのにアルフォンスは死ねない。血印を壊せば死ねるだろうが、それは人としての死ではない。魂の消滅。
エドワードの心は考えまいとする心の中で考えてしまう。
……もし。もし賢者の石が見つからなかったら……。
『賢者の石を作ってしまえばいいのではないか?』
それは悪魔の囁き。甘い誘惑の手。
無い物を探すよりも、作る事を考えた方が早い。
ベースはある。偽物の賢者の石。ドクターマルコーの研究資料。エドワードならばいずれは本物を作り上げる事ができる。
抗い難い誘惑。
可能性の高さが心に囁き掛ける。
『オマエなら完全な賢者の石が作れるのではないか?』……と。
『……できる』
エドワードには判っている。自分になら作れる。
エドワードにはその力と才能がある。材料と場所さえあれば本物を作り出す事ができる。……できてしまう。
研究資料を見た時真実に衝撃を受ける一方で、自分なら完璧な物を作れるだろうと判ってしまった。
でも……その賢者の石をアルフォンスは受け取るまい。
それ以前にエドワードの心が可能性を拒否する。
そんな事はしたくない、できない、無理だ……と。
でも……。
本当に?
誘惑をエドワードはなかったものにした。理性が考えるなと警告した。エドワードの人としての理性が、非道の業に関わる事を禁じた。
そしてエドワードは第五研究所で自分が考えた事を忘れた。心に蓋をした。
だがエドワードの心には『可能性』という文字が刻み込まれた。
エドワードは『悪魔』にはならない。だから人口の賢者の石など作らない。
だが本当に?
本当にエドワードは『悪魔』になれないのだろうか?
いつでも悪魔の所業を行うのは『人間』だ。悪魔のような『人間』が悪魔のような所業を引き起こすのだ。
人間は本物の『悪魔』を見た事が無い。全ては、悪魔のような『人』をそう呼ぶのだ。
人こそが『悪魔』になれるのだ。
自分は決してそうはならない。
エドワードは心に刻んだ。
だがそう考えること事体が悪魔になれる可能性だとは、気付いていなかった。
まだ年若いエドワードは、人が些細なきっかけで『堕ちる』という事を知らなかった。
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