命につく名前を「心」と呼ぶ



最終章・肆



#16



 「こんな話があります。……この話は現実ではありません。ボクの想像上の創り話だと思って聞いて下さい。
 ……あるところに仲の良い兄弟がいました。その兄弟は揃って力のある錬金術師でした。母親を幼くして亡くした兄弟は、母親を錬金術で生き返らせようと考えました。ですが力が足りずに弟は身体をもっていかれ、兄は自分の右手と引き換えに弟の魂を練成し、近くにあった鎧に定着させました。そうして兄弟は互いの身体を元に戻す事を誓い、旅に出ました」
「……それはキミらの事だろう。それのどこが創り話だ?」
「いいから聞いて下さい。メインはこの後です。
 ……兄弟は賢者の石という伝説の存在によって失われた肉体を取り戻そうとしましたが、探しても賢者の石はみつかりませんでした。それどころか探せば探す程賢者の石がこの世に存在しない事を確信していったのです。
 そうして……兄弟は仲が良かったのですが、いつしか兄の方が弟に禁忌の恋愛感情を抱くようになりました。
 兄は……賢者の石がこの世にもうない事に気がつくと絶望し、だがそれを弟に言えず、更に望みのない恋をした事で追い詰められ……自制心を崩し、ついに弟に恋を打ち明けてしまいました。兄の心にはヒビが入り、壊れる寸前だったのです。ですが弟にはそれが判りませんでした。
 ……兄の告白に仰天した弟は、聞きたくないと残酷に兄を拒絶しました。そうして兄はあっけなく壊れてしまいました」
「……壊れた? 鋼のが? キミに拒絶されたという仮定の話か?」
「……弟に拒まれ、元の兄弟関係にも戻れなくなった兄は、可哀想な弟の身体をなんとしても元に戻し、そうして離れる事を考えました。魂だけの弟を一人にすることなんてできなかったからです。
 有能な錬金術師だった兄は賢者の石がどうすればできるか知っていました。ですがそれは悪魔の所業です。ですから絶対にできないと思っていたのに、兄は命令で戦場に行かされる事になってしまいました。
 戦場で兄は人の命が簡単に奪われる事実に打ちのめされ、追い詰められ、初めて人を殺してしまいました。後戻りできない自分に、兄は敵の命を対価に賢者の石を造る事を決意しました。
 賢者の石は……そうやって造られました。だけれど兄の決意が足りなかったのか、躊躇いが力を抑えたのか、錬成過程でリバウンドを起こし、兄は精神の一部を持っていかれました。……すなわち『愛』を。
 愛する心を失った兄は途端に苦しみから開放されました。兄を苦しめていたのは弟への愛です。それが無くなったので兄は自由になり、弟から離れる事ができました。賢者の石で弟の身体を元に戻し、兄は枷であった弟を切り捨てました。
 兄の愛情を無くし、弟は初めて自分が何をしたのか気がつきました。兄の切ない刃上の恋を踏みにじった残酷な仕打ちに気がつき後悔しましたが、それはもう後の祭りです。
『愛』を失った兄は二度と弟を愛する事はありませんでした。冷たいというより乾いた心で潤おう事はありませんでしたが、愛される事を望まず愛する事を知らない心は傷付かず、決してそれ以上不幸になる事はなかったのです。
 弟は絶望しました。もう一度兄に愛されたいと愛を乞いましたが、無くなったものは二度と取り戻せませんでした。弟は兄を諦めればよかったのですが、どうしても諦められず、自分ができる事を考えました。
 賢者の石。それがあれば何でもかないます。兄の持っている賢者の石で兄の『愛』を取り戻せないか考えましたが、賢者の石の材料は人の命と兄の『愛』でした。代価を戻せば石自体がなくなります。『愛』を取り戻そうとすれば石は砕けます。矛盾のため、
賢者の石を使う事は不可能でした。賢者の石は兄の作ったモノだから使えません。ならば自分で造ってしまえばいいと、弟は考えたのです。
 兄と同じく軍人になっていた弟は……兄と同じ方法で賢者の石を造りました。人の命と兄の賢者の石を使って。リバウンドで自分を持っていかれない為に、弟は賢者の石を使う事を考えました。賢者の石の力で賢者の石を造る。錬成は成功し、弟の手には二つの賢者の石が残りました。………ですが……」
「……が? 賢者の石があれば精神の錬成は可能なのだろう?」
 創り話だと言ったのに大佐が真剣に聞いている。
 真実を語るボクの声の重さが大佐の耳にどう届いたのか。
 こうして自らの罪を懺悔するのは辛いが、誰かに言ってしまいたい気持ちが大きい。ボクはこうして大佐にまた負担をかけるのか。
「そうです。二つ目の賢者の石で兄の『愛』は取り戻せるはずだった。一つ目の賢者の石がそれで砕けても別に支障はなかった。
 だけれど兄は軍人になっていた。それもとびきり強く容赦のない錬金術師として前線にいた。心の欠けた兄が殺した敵の人数は軽く一万を越えていました。賢者の石作成の時と、その後の数多の戦闘によって。
 賢者の石で兄の愛を取り戻す事ができても、正気に戻った兄は血にまみれた自分に耐えられない。きっとおかしくなってしまう。……弟は兄の心を元に戻せなかった」
「……それで? 弟はどうしたんだ? そこで諦めてしまったのか?」
「いいえ。弟は諦められなかった。だから更に考えて、途方もない結論を出しました。すなわち兄が壊れる前の時間に戻ってしまえばいいと。己の失敗をなかった事にする為……過去に戻ろうと考えました」
「……過去に戻る?」
「賢者の石を使い、時間軸を逆行する。肉体は時間を遡れないけれど、精神と魂だけなら可能だと気が付いたんです。兄が自分に告白した時点に戻る。そうして兄を受け入れる。そうすれば兄は壊れない。『愛』は失われない。弟はそれを実行する事を、兄と上官に告げました」
「何故? 誰にも言う必要はないだろう。言えばそんな危険な事、止めるに決まっている」
「必要はありました。肉体から精神と魂を切り離してしまえば、精神は過去に行っても肉体は現世に残ります。その始末と……記憶の処理の為に」
「記憶の処理?」
「弟の選択は全てを捨てる事です。命懸けで兄が作ってくれた身体も、愛された過去も、世話になった人達の思いも全部。それは傲慢以外の何物でもない。弟は最低の人でなしの自分を自覚し、残された人達が自分がいなくなった事で悲しまないように、賢者の石を使い弟に関する記憶を人々の中から消して下さいと、直属の上司マスタング准将に頼んだのです」
「……なに…………私?」
「准将は弟を最低の人でなしと罵り、軽蔑すると言って……それでもボクの願いを叶えると約束してくれました。そうしてロイ・マスタングは賢者の石で兄から弟の記憶を消し、弟はそれを見届けた後肉体を捨て、兄を拒絶した四年半前に戻ってきたのです」
 大佐は呼吸を忘れ喘ぐように言った。
「……それは本当の事か?」
「……創り話だと……言ったはずです」
「創り話にしては複雑すぎる。そして賢者の石……キミの身体……。全て辻褄があう。……まさか……」
 信じられないとボクを見る大佐の目。まるでバケモノにでも会ったかのようだ。
「……全部創作ですよ。過去に戻るなんておとぎ話、人体錬成以上の夢物語じゃないですか。ボクの話したのはあくまで創り話です。兄さんを捨てた時、そうなったかもしれない未来を仮定して作ったヨタ話です。陳腐でつまらないですね。もう少しリアリティーのある話にすればよかった」
「アルフォンス……本当に作り話しか? さっき見せてもらった賢者の石。あれはまさか……」
「まさか、何です?」
「キミが作ったのか? そうなのか? だからあんなに新しく見えたのか? キミは未来から来たのか? 時間を遡ったのか?」
「……話の続きがあります。過去に戻った弟は何もかも背負わせてしまった上官に詫びたくてたまらなかった。後始末を全部押し付けて、辛い記憶をその人の中だけに残してしまった事にものすごく罪悪感を感じて謝りたかった。だけれど『未来』の上官にはもう謝罪出来ない。だから……『過去』のアナタに謝るしかない。……全てを押し付けて、申し訳ありませんでした」
「ア……」
 流石に大佐は何も言えないようだ。
 ボクの言った事が現実か創作か葛藤している。
 信じられないという大佐の目。錬金術師としての知識を総動員してボクの言葉の真偽を計算している。
「大佐……すいません。また混乱させてしまいましたね。……忘れて下さい」
 大佐が勢い余って立ち上がる。
「アルフォンス。本当にキミは未来からきたアルフォンスなのか? 賢者の石はキミが作ったのか? 未来からきたキミが今いるというなら、本来いるはずのアルフォンスは何所に消えた?」
「消えたのではなく、融合したんです。ボクの精神と魂は二十歳。記憶と魂に引き摺られ、賢者の石はボクの肉体を成人のそれにしてしまった。誤算はそれだけでした」
「アルフォンス……。キミは未来から来たのか。……人は過去に戻れるのか?」
「過去に戻った時点で別の歴史が作られます。本来流れていた歴史の他に支流が生まれ、もう一つの流れが生じる。現在はボクという異分子により未来はねじ曲がってしまったが、誰もそれを知らないので問題はありません。未来は誰にも判らないから未来というんです」
「だがキミだけはこれから何が起こるか知っている。……ロイ・マスタング、准将? 私は四年後に准将に昇進しているのか」
「大佐は順調に出世なさっています。相変わらずモテモテですが、独身でヒューズ大佐に結婚しろとうるさく言われ続けています」
「ヒューズは大佐か。……アイツの家族自慢は何年経っても変わらんのだろうな」
「ええ。……ヒューズ大佐はあのままです」
 大佐の動揺は表面上収まったかに見えたが、内心どうか判らない。抜け目のない人だから、ボクの秘密をどう利用しようか考え中なのだろう。