命につく名前を「心」と呼ぶ
最終章・肆
探るような強い目付きに、ボクはさすがだなと感心する。大佐はボクの本質を見抜いている。
「褒められたと……捉えてよろしいのでしょう? 確かにボクの精神は十五歳から逸脱しています。だけれどそれがどうかしましたか? 人はいずれ大人になる。それが少しだけ早まっただけです。悪い事じゃない。兄さんより一足先に大人になってしまっただけですよ」
「始めはキミの変化は人体錬成の影響かと思った。だが鋼のはアルフォンスが変わったのは、人体錬成前からだと言った。何故、突然キミは変わったんだ?」
「兄さんが?」
ボクの変化に兄さんは気が付いていたのか。それもそうかもしれない。毎日一緒にいたのだ。本来なら二十歳のボクだ。何処かおかしいと気が付くだろう。
「鋼のはどうしてアルフォンスが変わったのか判らないと言っていた。もしかしたら自分が告白したせいかと気を揉んでいたが、そうなのか?」
「まあ確かに、それが発端である事は間違いないんですが」
「鋼のの恋を……どうして受入れた? それは間違いだ。後で必ず間違いだったと後悔する」
「断言なさるんですね。本気の恋の経験もないくせに」
「……キミには普通の恋が似合う。健全な、誰もに祝福される相手が相応しい。キミには無駄な忠告に聞こえるかもしれんが、真実だ」
大佐が真剣に言ってくれているのが判るので、怒る気にはなれない。ボクらの関係が人に知られれば、誰もが似たような事を忠告するだろう。
「そうでしょうね。……兄さんがボクに恋しなければ、確かにボクは大佐のおっしゃったような相手を見つけて、兄さんから離れたかもしれません。ですがそんな未来はありえない。仮定は現実にはならなかった」
「何故?」
「ボクが今こうしているのは、兄さんがボクに恋したという前提があっての事です」
「……? 意味が判らんが?」
もし兄さんがボクに告白して玉砕しなければ、兄さんは賢者の石を作らなかった。兄さんが賢者の石を作らなければ、ボクは人の姿には戻れなかった。そうしてリバウンドで兄さんが『心』を無くさなければ、ボクは兄さんを捨てて過去に戻る事はしなかっただろう。その一連の流れがあって今のボクがいる。大佐が言ったような仮定はありえないのだ。
今のボクの起原は兄さんがボクに恋をしたという事実。兄さんがボクに恋をしなければ今のボクはいない。
「誰も知らない事をボクは知っている。ボクらの関係は他人からは過ちにしか見えないけれど、ボクの視点からは正しいんです」
「キミの視点? 君は何か知っているのか?」
大佐の周りの空気が更に厳しくなる。
「もしも、の仮定の結果を。ボクが兄さんを突き放したら結果何が起こるか、ボクは知っている」
「何が起こるというんだ?」
「兄さんは耐えられない。恋を拒絶された兄さんは自分を恥じてボクの前から消える。二度と会わない。だけれどボクが鎧である限り側を離れられない。そのジレンマが最悪の結果を引き出す。……もしくは恋心ごと自分の中の愛を消す」
「愛を消す? どうやって?」
「兄さんは魂の錬成が可能な錬金術師です。自分の中の『愛』という精神を消す事ができる。恋だけを消すのは難しいけれど、『愛』という概念をまるごと消してしまえば、心は楽になります。誰も愛さないというのは一見冷たく寂しい事だけれど、本人はそうは感じない。しがらみと痛みから解放されて自由になる。……だけど愛されなくなった者は……辛い」
「『愛』は消せるものなのか。……精神の錬成? 心を再構築するという事か?」
「兄さんにはそれができる。そしてボクも。他人のなら難しくても自分の精神なら弄るのは難しくない」
「簡単に言うな。充分難しい。並の錬金術師では不可能だ。……だがキミらは並ではなく天才だったな。子供であるという事は恐ろしい。何でもできる気になって、無理を現実にしてしまう。普通なら無理でも才能と努力で道理を曲げる。常識を覆す」
「ありえない、なんて事はありえない。ある人が言った言葉です。この世界に不可能はないんです。人を生き返らせる事も魂と肉体を切り離す事も。ただ『できない』『してはいけない』という思い込みが可能を不可能にして、それが世界の常識だと精神に刻みこまれてしまう。一度常識となった認識を覆すのは難しい。世の中は鎖で縛られている。発想の飛翔は地に住む人間に足を引っ張られ翼をもがれ、鳥はやがてネズミになり空を飛べる事を忘れる。そうして人は自ら地に縛られて目を閉じ耳を塞ぐ。それをボクだけが知っている」
「……大した思い込みだ。人が聞けば誇大妄想と言われるぞ」
「大佐も『真理』を知ればボクと同じ視点が持てる。ボクは肉体を全て差し出してこの世の全ての『真理』を知った。誰も知らない世界の秘密を」
「……『真理』とは何だ?」
「人体錬成をした者だけが世界を知る『扉』まで辿り着ける。それを『真理』と呼びます。その扉に兄さんも行った。そうして『真理』に出会い、自分の右手を差し出してボクの魂を取り戻した。『真理』とは錬金術師が、いや学者の全てが望むこの世の謎の全てがある『扉』の内部です。『扉』の存在がおおやけにならないのは、入口への道が人体錬成だからです。人体錬成に失敗したなんて誰にも言えない。人体錬成を試みて『扉』を見た者はその存在を誰にも喋らない。誰も自分の罪を告白しない。それは言ってはいけない秘密なんです」
「扉? ……鋼のもキミもそれを見たのか?」
「差し出す代価によって与えられる知識の量は異なります。兄さんは左足と右手を、ボクは身体全部を。ボクは余計に対価を差し出したので、兄さんの知らない事も知っている」
「キミが知りえた事とは何だ?」
「さあ……。色々な事を知り過ぎて頭の中はパンク寸前です。ボクは色々な事を知ってしまったけれど、知識は使えなければ机上の理論です。必要な事は何でもするけれど、そうでない事は何もしません。聞かれれば何でも答えられます。大佐は何が知りたいですか? 答えられる質問ならお答えします」
「賢者の石を使わずに……人体錬成は可能か?」
大佐が試すように言った。
「代価に百人の人間を用意するのと、ボクや兄さん並の錬金術師が錬成を行えば可能です」
ボクが答えると、大佐は次に出す言葉に迷っているようだった。さもありなん。ボクの言った事が事実なら、重すぎる。
「……百人の人間? たった一人の人間を甦らせるのに、百人もの人間が必要なのか? 全然等価じゃない。その対価の差は一体何なのだ?」
「人数の多さは保険も含めてです。人体錬成はそれだけ大きな錬成なんです。肉体の構築だけならそんなに対価はいらない。人間二人分くらいで作れるでしょう。だけれど魂の錬成に加えて、世の理と世界の流れを逆流させて扉を開けて精神を引き戻すのは、大河の激流を逆行させるくらいの大きな力が必要です。真理の扉の中に入って出てこられるのは、練成した当の錬金術師だけ。自分以外のモノを取り出すのには多大な力がいる。それが人の命です。本当はどのくらいの命があれば対価なのか判りません。多めに見積もっておかないと、足りない分を術者がリバウンドで持っていかれてしまう。五十人で足りるか判らないから、百と言っただけです」
「だけ……などと言うな。それは悪魔の所業だ」
「はい。だから絶対にやりません。聞かれたから答えただけです」
「誰にも知られるな。知られれば誰かが実行せずにはいられない。世の中にはそれを可能にしてしまうだけの権力を持った人間がいる」
「愛するものを甦らせたいと願うのは誰だって同じですから。死が絶対のものだと思うから甦えらせる事を誰もしませんが、実行可能だと知れば世界のバランスが崩れます。死は死でなくなってしまう。生者が死者を生き返らせる材料になってはいけない。それこそ地獄です」
「……誰にも言うなよ。忘れろ。鋼のにも言うな」
「勿論。知れば兄さんの記憶に残る。……ボクは兄さんより先に死ぬつもりはないが、もし事故かなにかで兄さんより先に死ねば、兄さんは狂って人体錬成を試みるかもしれない。善良な人間は殺せなくても、軍人になって前線に出されれば殺す事が当然になる。殺せと命令された人間を代価にと考える。躊躇う理由がない。銃で撃つか、錬金術の道具にするか。後者を選択するブレーキは効きが甘いでしょうね」
「アルフォンスは色々な仮定を考えているな」
「考えずにはいられません。ボクは色々な事を知り過ぎた。大きな力には大きな責任がついてまわる。過ちを犯したくないなら細心の用心が必要です。ボクはこれ以上失敗したくない」
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