命につく名前を「心」と呼ぶ
最終章・参
煮え切らない態度が増々もってエドワードらしからず、ロイはイヤな予感にますます持って聞きたくなくなってきた。何だか聞いてはいけない気がする。
大体このエドワードの態度はなんだ? 煮え切らない事この上ない。エドワードが言い渋っているのは失態や危険な事だからではないのは、態度から判る。
ロイが知らなくても何も問題はないかもしれないが、事は賢者の石と人体錬成だ。それに関わりアルフォンスの性格が変わってしまったというなら、やはり人体錬成は失敗だと言わずにはいられない。
だが身体は健康、美丈夫でハンサムで見た目誠実そうで、言動穏やかで頭も良いなら、多少性格が変化しても失敗と言い切れるだろうか? たとえそれが十五歳に見えなかったとしても、精神と肉体のバランスは均等にとれているようだ。なら問題になるのは……何だ?
……精神か?
そうだ、アルフォンスは見た目だけではなく、中身までもが成長しているように見える。今までにはない落ち着きと貫禄。エドワードが年下に見えたのは何も体格差のせいだけではない。その老成した雰囲気がアルフォンスを十五歳の少年に見せないのだ。
賢者の石で外見が変質したとしても、中身までが変わるというのはおかしい。
「アルフォンスはとても十五歳には見えないな」
ロイの言葉にエドワードも頷く。
「アルはでかくなったからなあ。弟のくせに生意気だ。態度まで大きくなって、人をまるで年下扱いだ。急に成長しやがった」
「鋼のもそう感じたか? どうもアルフォンスが変だと感じたのは、精神が子供のそれではないからだ。まるで酸いも甘いも噛み分けたいっぱしの大人だ。鋼のにはない肚の座りかたと力を感じる」
「でも……魂は間違いなくアルだし、オレを好きなところも真面目なところも全然変わらない。オレの大事な弟だ」
「鋼のがアルフォンスの魂に歪みがないと言うなら、確かにそうなのだろう。アルフォンスの魂を錬成したのは鋼のだ、間違いない。だが精神は?」
「精神?」
「アルフォンスの精神が成長しているように見えるのは何故だ? きっかけを知っているなら言え」
エドワードは視線を逸らす。
「いや、アレは違う。アレは……違うと思う。……っていうかそうだとしても……そうなのか? ……ってことは今のアルの生意気っぷりはオレのせいか? オレがあんな事言ったから……」
一人で自問自答するエドワード。
「あんな事とはなんだ?」
「いや……その……何も言ってない」
「今更隠すな。早く言え!」
「プライベートな事だし……」
ロイを見ないように視線を彷徨わせるエドワードに、ロイは苛つく。
「キミらのプライベートになど私は興味はない。知りたいのは鋼のが言った、アルフォンスを変えた『アレ』だ。エドワードは弟に何を言ったのだ?」
「……家族の秘密だ。……っつーか、言えねえっ」
「何故だ?」
「何でもだ」
「では命令だ。言いたまえ、鋼の錬金術師」
「今は時間外のプライベートタイムだ。命令は聞けねえな」
頑なエドワードにロイは訝しむ。今のエドワードはガラスを割った事を親に告白できない子供のようだ。
「じゃあ、明日軍本部でもう一度尋ねようか? あそこでは私の他に誰か聞かれる可能性があるぞ。それでもいいのか?」
「汚ねえぞ」
「キミが隠すからだ。鋼のとアルフォンスが何をしたのかは知らないが、どうせくだらない事だろう。さっさと言え」
「だから……オレがアルに言ったんだよ」
エドワードが渋々口を開く。だが視線は真下にあり、ロイを見ない。
「何をアルフォンスに言ったんだ?」
「アルに…………好きだって言った」
「は?」
「だから、アルフォンスにオマエが好きだって言ったんだよ!」
エドワードの耳が赤い。顔は見えなくても真っ赤になっているのは判る。だが何故そこで赤くなる?
「……そんなのいつもの事だろう。鋼のが弟ラブなのは誰だって知っているし、アルフォンスも同じくらいブラコンの似たもの兄弟め。そんな今更な会話の何所を隠さなければならんのだ? 他に何か言ったんだろう?」
「うん」
「何を言ったんだ?」
「だから……アルが好きだから……アイツが一番だから……」
モジモジとエドワードが口の中で語尾を濁すのを、ロイはイライラと聞いた。
「いい加減にしたまえ、鋼の。私はそんなふざけた事を聞きたいのではない。愛の告白をしたわけではあるまいし、ブラコン同士ベタベタしようがしまいがどうでもいい。それとも何か? 鋼のは弟に愛しているから捨てないで、恋人なんか作っちゃイヤ、とでも迫ったのか?」
「いや、そこまでは言ってないし」
思わず顔を上げたエドワードとロイの視線が合う。
「…………鋼の? そこまで、ということはその手前くらいの事は言ったのか?」
「あ……」
赤くなり、サーと青くなったエドワードに、ロイの顔も強ばった。
『あ』って何だ! 何故そこで顔色を変える?
聞きたくないと思う一方で、エドワードの表情が泣き笑いのような形になるのを見て、自分の想像が当たっているのを確信し、ロイは席を立ちたくなった。
聞きたくないと顔が引き攣る。
「鋼の……まさかとは思うが…………キミが弟を好きなのは、家族だから、だな?」
「……うん」
「それ以外の感情はないんだよな?」
「………………」
エドワードは返事をしなかった。それが答えだった。
「鋼の……!」
怒鳴りかけて、ロイは言葉を小さくした。
ビクとエドワードの肩が跳ねる。
「鋼の……キミは……その感情は…………。鋼のは……弟に…………まさか、恋、なんてしているなんて、言わないよな?」
確かめるロイにエドワードは何も言わない。
「鋼の。答えたまえ」
命令されてもエドワードは頑だ。
その青ざめた顔色がロイの言葉を肯定している。
「鋼のっ! ……なんて事を。……それは禁忌だ。まさか、鋼のが弟に……」
「判っている」エドワードは絞り出すように言った。
「いや、判っていない。なら何故弟に言った? 実の兄にそんな事を言われて困らない弟が何所にいる? ましてやアルフォンスは鎧の身体だった。無理な望みをつきつけられても兄から離れる事はできない。弟を追い詰めてどうするつもりだった、鋼の?」
「オレだって! ……オレだって追い詰められてた。……賢者の石がないかもしれないと絶望して……動揺して……つい…………本心を晒してしまった」
「それで……アルフォンスはどうした?」
「それが……」
「アルフォンスは困っただろう。実の兄にそんな事を言われて戸惑わないわけがない。きっと鋼のが冗談を言ったのだと思ったんだろう?」
「それが……」
「鋼のはアルフォンスを責めるなよ。兄からの恋愛を受け入れられないのは当然だ。幸い弟は身体も戻った事だし、この辺で互いが独立すればいい。今まで近くに居過ぎたんだ。距離をおけば自然に気持ちも離れる」
「それが……」
「そうだ。アルフォンスには可愛いガールフレンドを紹介してやろう。鋼のと違ってアルフォンスは見た目もそれなりにいけている。きっとすぐに恋人ができる」
「それが……」
「鋼の、諦めろ。その恋は駄目だ。いくら弟が可愛くてもその気持ちはあってはならないモノだ。弟の為を思うなら引け。冗談を言ったのだと安心させてやれ」
「いい加減にしろ! 人の話を聞け!」
エドワードは動揺して人の話を聞こうとしないロイに怒鳴った。ロイは我に返る。
「何だ、鋼の?」
「オレ達の事は放っておいてくれ! 間違っている事は承知だ。だけどオレはアルが好きなんだ! 悩まなかったと思うのか? 散々悩んで悩み抜いて、告白したんだ。……説教なら止めてくれ。反省なら後悔なら山ほどしてきた。もう……どうしようもないんだ」
「なにが……どうしようもないんだ、鋼の?」
「アルフォンスを愛している。アイツを誰にも渡したくはない。一生アルと生きると誓ったんだ」
「それは許されない感情だ」
「オレは許しなんか求めちゃいない。地獄に落ちる事は覚悟している」
「キミは良くてもアルフォンスは? 兄にそんな感情を向けられて平常心でいられるわけがない。……ちょっと待て。キミは誰に対して誓ったんだ? まさか……」
「そうだ、アルだ。オレはアルに誓った。絶対に側を離れないと」
「じゃあ……アルフォンスは……」
「アルフォンスはオレとは違う。オレの事を家族としか見れないと言っていた」
「それなのに、キミらは………もしかして?」
「……うん。アルはオレに愛されるのが嬉しいって、抱き締めてくれた」
エドワードが頷くのを悪夢のように眺める。
ロイは動揺のあまりグラスになみなみとワインを注ぎ、一気に煽った。胃が熱い。
「……ありえない。それはアルフォンスの勘違いだ。兄を無くしたくないから、咄嗟にエドワードを受入れたフリをしただけだ。すぐに無理が出る」
「オレも……そう思った」
「違うと?」
「アンタも見ただろ? ……アルは変わった。あの時からアルの中にもう一人、別のアルフォンスが生まれたんだ。オレを愛する、オレの事なら全部受け入れられるアルフォンスが。……それはオレの知らないアルだけど………アルはオレに愛されて幸せだと言う。その言葉に一欠片の曇りもなく、だからオレは……」
「アルフォンスの中にもう一人アルフォンス? その人格が鋼のを受入れた? ……兄に告白されたショックで多重人格にでもなったのか?」
「多重人格なら元の性格も残っているはずだ。今のアルは……ただ急激に成長しただけのような気がする。変わったけれど、それもまたアルフォンスなんだ」
「……なんだか……キミの話を聞いていると……こっちまでおかしくなりそうだ」
「だから言いたくなかったんだよ! 説教なんかするなよ。アンタが言うような事は何度も考えたんだから」
「鋼の……」
強気のエドワードの下に隠された傷付き易い柔らかい部分が見えて、ロイは言葉を失う。
エドワードの恋は許されない事だが、それが判らないエドワードではない。言ったとおり散々悩んだ末の事だろう。
若い恋はそれだけ純粋で脆い。弟を愛し過ぎてその形を変える程に執着した結果、エドワードは理性を崩し弟に心を見せてしまった。
「鋼の……アルフォンスは、平気なのか? 本当に鋼のを受け入れられたのか?」
信じられない。あの弟に兄に対する恋は見られなかった。だがエドワードの恋も予想外だ。
エドワードもまさか弟が自分を許すとは思わなかったはずだ。穏やかに受け入れられてどうしていいか判らないようだ。
「アルは……オレの事、好きだって。世界一好きでこれ以上好きになる相手はいないだろうから、一生側にいたいって。そうしてオレが死ぬまで側に居て、最後の瞬間まで看取りたいって言われた」
「鋼の……」
究極のプロポーズの言葉に、ロイは聞きたくなかったと思ったが、エドワードがそれをプロポーズだと思っていない事実に更にどうでもよくなってきた。
ようするにこれは惚気の一種だ。アホくさ。
「アルフォンス。……何を考えてるんだ、あの弟は」
人の姿になったアルフォンスは同性の目からも立派な男に見える。その気になれば相手には不自由しないだろうに、何を間違ったらこんなあちこち傷だらけの実の兄に執着するのか。
ただのブラコンが長じた錯覚で、後で冷静になれば他に好きな相手でもできてさっさと兄の元を離れるだろう………と思う一方で、人の姿になったアルフォンスは喰えない腹の据わった男に見えて、あの男が冗談や流れで実の兄にプロポーズするわけはないと考える。
エドワードが混乱するわけだ。ロイにもアルフォンスがよく判らない。あの少年は何を考えて兄の恋を素直に受入れたのか。
エドワードに判らないものが第三者のロイに判る筈もないのだが、酒もそこそこにしか入らないのに酔っぱらった気分になって、ロイはめげた。こんな事なら構わずさっさと飲んでしまえば良かった。
エドワードはすでにベロベロだ。酒の勢いで言葉を出していた。言えと言ったのはロイなのでエドワードを責められない。
この酔っぱらいを抱えて帰るのかと思うと気が重い。
それにアルフォンス。あの少年と顔を合わせて何を話せばいいだろう。
何故エドワードの恋を受けれたのだと聞いて、素直に惚気られてしまったらどうしよう?
子供の思い込みは激しい。大人の正論など受入れないだろうし、常識を知らない子供ではないので問題点はとっくに悩み抜いて結論を出しているはずだ。今更ロイが何を言えるだろう。
賢者の石や人体錬成だけでも考える事は山積みなのに、この上近親相姦同性愛の心配までしなければならないというなら、エルリック兄弟の件からは手を引きたい。そんな生々しい幸せは見たくない。
何故この兄弟は問題ばかり引き起こすんだと、ロイは額を押さえた。
酒に撃沈されてしまったエドワードを前に保護者のロイはヤケになり、ビンに残ったワインをラッパ飲みして……噎せた。
|