命につく名前を「心」と呼ぶ
最終章・参
世の中に錬金術師は多くいるけれど、国家錬金術師になれるのはホンのわずかだ。
有能な錬金術師ならなんとか自力で国家錬金術師になる。
無名かつ有能で国家試験に合格できるような錬金術師を探すのは難しい。
「……判った。……と、言いたい所だけれど、それはあまりしたくねえ」
「何故だ、鋼の?」
「心当たりがないでもない」
「ほう?」
「……だが、軍属になる事を薦めるのはイヤだ。アイツらに人殺しをさせたくない。オレができないように、アイツらだって戦場には立ちたくない筈だ」
「アイツらというのは?」
「優秀な錬金術師の兄弟に会った事がある。アイツらなら国家錬金術師にだってなれるだろう。だが……」
「兄弟というのは鋼のと同じ年なのか?」
「兄貴はオレより一つ下で、弟はアルより一つ下だ」
「そんなに若いのか? なのに国家錬金術師になれるだけの力があると?」
大佐が驚く。錬金術において滅多に人を認めない兄さんの言葉だから、その意味は重い。
「オレだって十二歳で合格した。ヤツは今十五歳だ。本気で挑めば百パーセント合格する筈だ」
「鋼のがそこまで言うのか。それなら期待できそうだな」
「だがオレはアイツらを軍属にはしたくない。国家錬金術師になるつもりがあるのなら、アイツらはとっくになっている」
「それもそうだな。それだけの実力があれば、自分の力を試したいと思う筈だ」
「アイツらは軍が嫌いだ。だから軍属にはならないと思う」
「だが私としても君という戦力を失うのは痛い。部下一人引き止めておけないのかと、またいらない足を引っ張られる。それは迷惑なのだよ、鋼の」
「う……。大佐には悪いと思っているさ。だがこのまま軍にいて人殺しの道具になるのはごめんだ」
「鋼のが戦争に行って動けるとは思えんからな。……ただ上から命令されれば私としても駄目だとは言えない。さて、どうしたものか」
「軍が戦争で国家錬金術師を使わなければいいんだが、軍はイシュヴァール戦争で国家錬金術師の有用性を知ってしまったからな」
「そうだ。私もいつ何時戦場に派遣されるか判らん。軍人とはそういうものだ。上の命令で右へ左へ動かされる」
「ある程度の命令は仕方がないと思うさ。だが錬金術師で人を殺すのは……イヤだ。できない。オレはそんな事のために錬金術師を学んだんじゃない」
「じゃあキミは何の為に錬金術師を学んだんだ?」
「初めは……母さんが喜んでくれるから。そして母さんを生き返らせようと思ったから。そして……アルフォンスを元の姿に戻したかったから」
「鋼のは……ずっと誰かの為に錬金術師を学んできたのか? 自分の為でなく?」
「自分の為さ。愛する人間が幸せである事が何より大事だ。その手助けをしたくて錬金術を勉強してきた。母さんもアルも……オレが力不足で失敗したからあんな姿になっちまったけれど……」
「その教訓を生かして、いっその事錬金術そのものを止めてしまったらどうだ? 錬金術を捨てた錬金術師に価値はない。国家錬金術師の資格を剥奪されて、無事軍の鎖から解かれるぞ」
「それもなあ……。錬金術は今や手足と同じように自分の一部になっちまっている。錬金術を捨てるなんて考えられねえ。フリでも無理だ」
「確かにキミ程の実力があって錬金術を捨てるなんてできはしないか。錬金術師とはすなわち科学者。学者が自分の研究を捨てたら何者でもなくなる。研究者は死ぬまで研究者だ」
「アンタだって国家錬金術師なんだろうが。仕事が忙しいのに研究なんかできんの?」
「暇を見つけては勉強してるさ。軍人とはいえ査定はちゃんとあるんだ」
「そうか。そうだよな。……だけれどアンタは錬金術を戦争の道具に使った。……辛くなかったのか? 抵抗はなかったのかよ?」
大佐は自分の手元を見た。何百という無実の人間を葬ってきた手だ。
「辛かろうが抵抗しようが、上からの命令は絶対だ。軍人となる以上戦争はついてまわる。錬金術で殺す事は殺戮以外の何物でもないが、銃で人を殺すのも剣で人を刺すのも錬金術師で人を殺すのも、規模が違うだけで中身は変わらん。……鋼のにもいつか判る日がくる。それが軍人だ」
「……とてもじゃねえが判りたくない」
「ああ、そうだな。戦場に行くと段々心が麻痺して自分というモノが無くなってくるんだ。頭の中は真っ赤で他には何も考えられない。鋼のには……耐えられん。自分の血には耐えられても人の死には一生慣れない」
空気が重くなる。実際に人を殺している人間の言葉には真実の重みがあった。
「大佐……」
「仕方がないから協力しよう。どうせ私の協力が得られない時は逃げるつもりだったのだろう?」
図星をつかれてボクらは笑って誤魔化す。
「じゃあ……大佐、オレ達は軍を辞められるんだな?」
「代わりに他の錬金術師を推薦すればな」
「他の錬金術師か。……推薦してもいいが、オレ達同様人殺しはできないヤツらだぜ?」
「それは国家錬金術師になる前に何とかしよう。錬金術師にも色々種類がある。実戦タイプと明らかな研究者タイプ、後者なら戦場に召喚されても後方支援で済むだろう。鋼のは明らかに自分で戦うタイプだからな。初めに研究者というイメージを植え付けておけば特性を曲げて使おうとはしないだろう」
「戦争は……いつまでたっても終わらないな」
兄さんが苦い口調で言う。
「ああ。今の軍の体質が変わらない限り、この紛争は続く」
「だからアンタが上に行って軍を変えるって?」
「安穏とした世界が正しいとは限らない。だが無駄な血を流す必要がどこにある? 戦うのは本当に必要な時だけでありたい。軍が存在するのは国を守る為だ」
「皆がそう思ってくれれば、この国ももっと平和になるんだけど……」
「時間は掛かるがいずれ私は上にのぼる。この国を変えてみせる。……キミらはキミらの幸福を考えて、大人しく故郷へ帰るがいい」
「オレは……アルがいればいい。軍を辞められたらアルと二人でリゼンブールに戻るよ」
「鋼のは相変わらずのブラコンだな。弟が折角人の姿に戻ったんだ。そろそろ互いに自立を考えたらどうだ?」
「余計なお世話だ。オレ達の事は放っておいてくれ」
ベーと舌を出す兄さん。そういう子供っぽい仕種がからかいの種になるって、どうして気が付かないかな?
「アルフォンスも。鋼のの世話ばかりではつまらないだろう。キミは鋼のとは違って長身で見た目もいい。ガールフレンドもその気になればいくらでもできる。そろそろ一人になりたいから自立しろと兄に言ってやれ」
大佐の言葉に兄さんがキーッと目を剥く。
「オレとは違ってとはどういう意味だ! オレがチビだと言いたいのか?」
「事実だろう」
「アルがデカすぎるだけだ」
「確かにアルフォンスは長身だ。そして顔も良い。きっと恋人も兄より早くできるだろうな」
いくらカンの良い大佐でも、ボクらが恋愛関係になった、とは流石に判らない。
ボクは兄さんに大丈夫だよ、と微笑む。
「ええでも……。ボクは一人になりたいと思った事はないので、しばらくこのままでいいです。兄さんと昔のように平穏に暮らしたい。望みはそれだけです」
「なんだ、つまらん。相変わらず無欲な兄弟だな。だが男なら独り立ちしてこそ一人前だぞ。いつまで兄のお守ばかりでは自立できん」
「ボクが大人になりたいのは大事なモノを守る為です。兄さんから離れて立派になっても、守るべき人から離れてしまっては意味がありません」
「弟も立派にブラコンか。……まったくキミら兄弟ときたら」と、大佐が呆れる。
「兄さんはボクの全部です。この人がいたからあんな身体でも耐えられた。とてもとても愛しているんです。離れるなんて冗談じゃない」
ニッコリ笑って言えば、完敗だというように大佐が手を挙げた。
兄さんも赤くなって下を向く。
こういう事は隠さない方がいい。下手に隠すから勘ぐられる。ボクは兄さんが許すなら大佐には本当の事を言ってもいいと思う。
確かにボクら兄弟は端から見たらべったりくっつきすぎかもしれない。だけれど他に家族がいない兄弟というのはこういうものではないだろうか?
ボクらの場合、兄さんの方に恋愛という要素が加わってしまったが、たとえそれが無くてもボクから兄さんの側を離れるつもりは無い。兄はボクの太陽みたいなものだ。ボクの世界を照らすたった一つの絶対的存在。
兄さんももっと堂々としていればいいのに。恋愛は開き直った方が勝ちなのだ。
ヒューズ中佐ではないが、堂々惚気てしまえば聞いている第三者の方が聞きたくないと耳を塞いでくれる。
ボクは兄さんを愛しているので、惚気るのなら徹底的にやりたい。
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