モラトリアム
第四幕


第一章

#25



「今回のロックハート准将の突入の件ですが、倉庫の見取り図を写してきました」
「どれ……」
 ロスの広げた図面を三人はのぞきこむ。
「入口は全部で四ケ所です。人が出入り可能な窓も入れると十ケ所ですね。普段あまり使われていない倉庫の中は適当に荷物が置かれています。内部の様子は写真をとってあります。床に接着剤が塗られていたのはこちらからこちらくらいまでです。入口からは見えにくいですが、荷物の向こう側にまんべんなく塗られていたので突入した者達は皆動けなくなりました」
「突入した経緯は? むやみに突っ込んだわけじゃないだろう」
「始めは規定通りに数人が確認の為に入りました。報告では内部に人影らしき者が映ったので突入部隊を投入したそうです」
「人影? 誰もいなかったんだろ?」
「荷物を人の姿と誤視したそうです」
「接着剤の事は誰も気付かなかったのか?」
「爆発物や障害物などには気を付けていましたが、倉庫の床には注意を払わなかったそうです。倉庫内は電気をつけても薄暗く、接着剤が塗られている事を誰も気付けませんでした」
「接着剤ならかなり臭うと思うんだが……」
「倉庫の周辺で塗装工事をしているところがあり、シンナーの臭いを異常と思わなかったそうです。その塗装業者も調べていますが、たぶんシロでしょう」
「犯人はその事も分って準備したのかな」
「おそらくは」
「そこまで用意周到なのか。……
通信機と車のパンクの件は?」
「突入した者達の悲鳴を聞き、ちょうど前方に注意が向いた時でした。ガスの缶のようなものが足元に投げ込まれて煙が一気に充満し視界が遮断され、その混乱に乗じて通信機が壊されたようです。呼吸をする為に皆持ち場を離れざるをえませんでした。犯人らしき姿を見た者はおりません」
「犯人は堂々軍人達の中を突っ切って通信機を壊したって事か? ……大胆だな」
「ええ。タイヤも何か鋭いもので裂かれていました。気がついた時には既に…という感じだったそうです」
「慎重に見えて犯人達の行動は思い切ってる」
「はい。大勢の軍人達の中に堂々入り込んで来るくらいですから。それだけ自信があるのかもしれません。すぐ近くにいたのに犯人達の存在に気付かず、現場にいた者達は歯噛みしております」
「兵に見咎められなかったという事は、犯人は軍服を着用していた可能性があるな」
「その線は濃いですね。チームは皆顔見知りなので知らない顔があったらすぐに分かると思いますが、煙幕があったら誤魔化されるかもしれません」
「軍人に化けていたら犯人を見つけるのは難しいか……」
「中央の軍人は多いですから、たとえ知らない者がいても軍服を着用していれば咄嗟には怪しみません。冷静ならば疑問に思った時点で誰何するでしょうが、混乱時は冷静さを欠きます」
 難しい顔のロスにヒューズも頷いた。
「これだけ回数を重ねているのに漏れてくる情報があまりに少ないのもおかしい。大きな組織が動いていれば必ず裏で噂が流れる。なのに、それらしい組織の名前が上がってこない。どういう事だ?」
「できたばかりの寄せ集めの組織なのかもしれません」
「しかしこれだけの事をしたのなら、それなりに裏に名前が上がってくるはずだ。裏の連中だって注目してる。誰がやったか調べているはずだ。なのに誰がやってるのか欠片も情報が漏れてこない」
 ロスは自信なさげに言った。
「もしかして、素人……という可能性があるのでは?」
 しかしヒューズは可能性を否定した。
「素人にしては手際が良すぎる。軍の裏をかくには相当の準備と情報が必要だ」
「そうですね」
「それにしても身代金の奪取の方法が分からないな。毎回霧のように物が消えてしまうんだろ」
「はい。郵送したり置き去りにしたり、一旦『物』から離れますが、目は離していません。なのに品物はいつのまにか消え失せます。どうやって犯人は品物を盗っていくのでしょうか。それらしい人影はないのに。不思議です」
「エドはどう思う?」
 ヒューズに問われてエドは顎の下を触って考え込む。
「やっぱり内部に内通者がいるんじゃねえか? そいつが手引きしたとか?」
「そういう疑いもあるから現場に配置する者は毎回変えている。それに現場ではお互いを監視したりして見張りあっている」
「じゃなかったら、現場はおろか全ての関係者がグルだとか。上層部の計画だったらありえるよな。全部が自作自演なんだ」
「だったらオレの娘はどうなる? 自作自演ならオレの子供が巻き込まれる理由はない!」
「怒るなよ。可能性の話だ。今回の事では沢山の人間が動いている。全員がグルだっていうのは考えにくい。だけど内通者の線は捨てがたい」
「そうだな。……それよりオレが気になるのは子供の攫い方だ。そっちの手際も良すぎる。ガキっていうのは不用心だが、知らない相手に全員がついて行くとは考えにくい。よっぽど警戒しない相手なのか、それとも……」
「それとも?」
「人間じゃないとか」
 何言ってるんだという顔でエドワードとロスはヒューズを見た。
「中佐? 何か考え付いたのか?」
「報告書のどの回にも出てくる単語がある。こいつが引っ掛かる」
「単語って?」
「『人形』だ」
「あ……」
「どの子供も人形について行ったと言っている。もしくは人形の国に招待されたとか。ガキの言う事だからまともにとりあわなかったが、エリシアの話を聞いて確信した。子供達は全員『人形』を見たんだ。どうやって動かしているのか分からないが、ガキは人間には警戒しても物には警戒しないからな。そこが大人と違う所だ」
「エリシアは何て言ったんだ?」
「人形が歩いてきて『一緒に遊ぼう』と誘ったそうだ。それでフラフラついて行って家の外に出たらしい。信じられないがエリシアは本当にそう信じているようだ。暗示をかけられたのでなければ、それが真実だ」
「なんか信じられねえな。動く人形か……」
「人形ならば子供は用心しないだろう。盲点だった」
 三人はしばし言葉を失いそれぞれ考えた。
「とりあえずは街のオモチャ屋をあたって怪しい人間が来なかったか聞こう。それから子供達にもう一度人形の形状を詳しく聞かなければならないな。形が分ったらそれもオモチャ屋に問い合わせだ。セントラルにオモチャ屋はいくつあるんだ?」
 ヒューズの指示にロスは頷いた。
 エドは『人形』とメモしながら言った。
「中佐、信じてるの? 人形が子供を攫ったって」
「裏にいるのは人間だろうが、子供達を誘導したのは間違いなく人形だろう。……エド、そういう仕掛けのある人形を見た事があるか?」
「オレも男だからなあ。人形には興味ないからあまりよく知らない。……からくり仕掛けの人形か。ウィンリィの家にあった気がする。でも前方にカタカタ進むだけの、オモチャ屋で買える程度の物だったぜ。ガキの誘導ができるような高度なのは聞いた事がない。一流の職人が作ってるような物だろうな。マリオネットみたいに上から人が操っているとか?」
「それじゃあ子供はそう言うだろう。子供達は人形が一人で歩いてきたと言ってる。そして喋ったと。……子供達の口が重いのは人形に口止めされたかららしい。『大人に喋ったら二度とお話しできなくなるよ』と言われたそうだ。子供の一人は、大人に喋ったからもう人形と遊べなくなったと半ベソかいてた。エリシアは眠っていたから口止めされなかったようだが」
「寝てて良かったんだよ。何も覚えてないに越した事はない。エリシアはなんで大人達が騒いでるのか本人分ってないんじゃないのか?」
「そうだな。それが救いだ。エリシアが傷ついてないのならそれが一番いい。知らないのなら、それに越した事はない」
「今回は身代金も取られなかったし、犯人は何がしたいんだろうな。軍をからかっているのか?」
「からかうにしちゃ事件が大きすぎる。毎回、犯人側から感じる雰囲気は気軽だが、捕まったら冗談でしたでは済まないんだぞ。コケにされ続けた軍は見せしめも兼ねて重い刑を下すだろうし、遊びのつもりだったら一、二回で終わらせてる。こんなに長く続けない」
「どこか深刻さに欠け、計画はズボラ。だけど失敗はなし、足取りをまったく掴ませない犯人像か。……犯人の中によっぽど頭の良いヤツがいるか、リーダーにカリスマ性があって一糸乱れぬ統率力なのか。自動式人形を使っているところを見ると、それなりの技術者が協力してるんだろう。今までに例を見ない犯罪の形だな」
「ああ。前例がないんで周りも戸惑っている。心理学者を呼んで検討させているが成果ははかばかしくない」
「学者はなんて言ってるんだ?」
「『子供心に精通した同じ視線を持てる、幼い精神のまま大人になったアダルトチルドレン。もしくはそのまま子供。頭が回る優秀な子供が計画した遊び』だとさ。まるでエドみたいだな」
「ははは。ガキで悪かったな。誰がアダルトチルドレンだよ。じゃあオレも疑われてんのか?」
「エドはずっとイーストシティにいたじゃねえか。こっちに来たのは三日前だろ」
「うん……」
「それにエドだったらエリシアは攫わねえだろ。グレイシアを泣かせたりしない」
「オレがそんな犯罪するわけねえだろ。知ったら母さんが泣くし、第一やる理由がねえ」
「だよな。……心理学者なんてあてにならないと軍は相手にしなかった。エドの意見の方が的確だな。犯人は統率された、高度な技術者を含む集団。子供を傷付けない所をみると家族持ちなのかもしれない」
「犯罪者だけど良識ある人間達なのかもしれないな」
「良識ある犯罪者だって? そんなのいるか?」
「軍の中にだって犯罪者に近い下衆は沢山いるだろ。逆に、法はおかしていても、良心に従って生きてるヤツもいる。金は盗んでも女子供は傷付けないと決めてるとか。正義と良心の在り方は人それぞれだ」
「じゃあ犯人達は普段は善良と思われている隣人なのかもしれないって?」
「凶悪なテロリストよりそっちの方が犯人像は近いんじゃねえの? まとを犯罪者に絞るより、素人だと考えた方がいいと思う。犯罪者じゃねえから、盗られた品物は裏には流れない」
「じゃあどこに流れるっていうんだ?」
「技術者がいるって言っただろ。機械工学だけじゃなく彫金とかやってる人間も中にはいるかもしれない。金は溶かせば原形が残らないし、宝石はもったいないけど割ってネックレスだのブローチに加工しちまえば、鑑定不可だ。石の産地なんかどうにでも偽装できるし、裸石でもカット次第でいくらでも別物にできる。ほとぼりが冷めたら堂々鑑定書つけて、表に出せばいい」
「エドの言う事聞いてたら何も見付からない気になってくるな。……エドは犯罪者になるなよ。あまりにうまくいきすぎて調子に乗りそうだ」
「国家錬金術師の給金は破格だから今のところ金には困ってない。つーかそれくらい誰にだって考えつくだろ。デタラメ人間万国ビックリショーにとっちゃ、物の形を変えるなんて二秒で済む事だし。丸い物が丸いままでいるなんて考えてたら何も見付からないよ」
「ロイに聞いたのか、それ。いつのまに連絡とったんだ。……子供は頭が柔らかいなぁ。軍部のやつらに聞かせてやりたいぜ」
 ヒューズとロスが関心するが、エドワードは口を曲げて「ガキ扱いすんな」と文句を言った。
「オレは仕事に行くとスカーの件の事後処理でしばらく動けなくなる。ロス少尉も忙しいと思うが、手助けしてくれ」
「言われずとも。子供を狙った誘拐犯など許せませんから」
「エドはこれからどうする?」
「中佐に協力するよ。けどまだ銀時計をふりかざすわけにはいかないから、協力ったってたかが知れてるけど。中佐の代わりにエリシアを守るくらいしかできないな」
「上等だ」
 ヒューズは力強くエドワードの肩を叩いた。
 ヒューズはどうしても仕事を休めない。だが家族は心配だ。誘拐犯は二度同じ子供を狙った事はないが、今後もそうだとは限らない。部下を配置させても、常識外の手法で子供を誘惑する魔の手に対応しきれないかもしれない。誰かが家族の側にいれば安心だった。
「エドは迷惑じゃねえのか?」
「迷惑なんて思うわけないだろ。グレイシアさんもエリシアも大事な人間だ。……もちろん中佐も」
「ありがとな、エド」
 エドワードの少年らしい澄んだ強い瞳に、ヒューズは心から礼を言った。
「いや……」
 エドワードは言葉を濁しながら視線を伏せた。
 エドワードは我は強いが正面からの好意を照れてうまく受止められない所があり、ヒューズはエドワードの態度を不思議に思わなかった。
 言葉の裏に二重の意味があるとはさすがのヒューズも分からない。
 エドワードの言葉に嘘は欠片もなく、だからヒューズはそれ以上の意味を考えなかったのだ。