第四章
「エド、オマエは国家錬金術師だ。スカーはオマエを狙うぞ」
「だろうね」
「ガキだからって見逃してくれるとは思えない」
「ああ」
「ああ……って簡単に返事すんなよ。簡単に考えているようだが実際命の危険があるんだぞ」
「分ってるよ。簡単に返事したわけじゃねえ。全部……分ってる」
「分ってるって……」
本当かよ、とヒューズは心の内で思った。エドワードは優秀でそれなりに世間ずれしてとても十五歳だとは思えないふてぶてしさを持っているが、それでもヒューズの言いたい事が分っているとは思えなかった。
スカーの事は軍部内での権謀術数とは違う。相手は殺意しか持たない復讐者だ。
エドワードは命を狙われる恐怖を知らない。弾が肉体を抉り、刃が四肢を切断し、友が隣で絶命する痛みを恐怖を感じた事がない。戦争とはそういう事で、エドワードは幸福なまでに無知だった。
「エド。オマエが強く賢い子供だって事は分ってるけど、違うんだ。スカーはその辺の悪党の比じゃない。スカーはエドの存在を知れば間違いなく狙うだろう。鋼の錬金術師は名が売れているし、全ての国家錬金術師の殺害を望むスカーは、命ある限り復讐をやめない。エドは当分姿を隠してろ。マジでヤバいから」
「それも分ってるよ。オレがセントラルにいる事は今のところ大佐と中佐と、あとロス少尉くらいしか知らない。当分は軍にも行かないでおとなしくしてる。スカーが逮捕されるまではイーストシティに帰らない」
「そうしろ」
「だから中佐もグレイシアさんに言っといて。オレはセントラルの研究所にこもって仕事をしてるって。グレイシアさんは母さんと電話で話してるみたいだから、心配させたくない」
「そうだな。……いっそしばらく故郷に戻るってぇのは?」
「そっちの方が危ない。どっかからオレの情報が漏れたら、家族まで危険に巻き込んじまう」
「そっか」
ヒューズとエドワードは手分けして食事の後片付けを終わらせた。グレイシアが普段からこまめに手入れをしているからキッチンは清潔で、皿を洗ってしまうともうやる事はない。
「中佐は今日は一日休み?」
エドワードが手を拭きながら聞く。
「そうしたいが、無理だ。夜になったら軍に顔を出さなきゃならん。スカーの報告もしなきゃいけねえし、それに誘拐の捜査の方が気になる。どこまで捜査が進んでるんだか……」
ヒューズは表情を険しくする。
家人の前ではなるべく犯人への憎しみを表に出さないように気を付けていた。
怒りを露にしたさまを妻や娘に見られたくなかった。
エリシアは何の恐怖も感じていないようだが本当にそうか分からないし、グレイシアも恐怖を思い出すだろう。
グレイシアは娘から目を離した事で自分を責めていた。ヒューズは気にするなオマエのせいじゃないと慰めたが、グレイシアは落ち込んだままだ。
妻の気持ちが分かるのでヒューズは怒りたくても怒れない。怒ったヒューズを見てグレイシアが更に落ち込むからだ。
ヒューズの心は煮えたぎっていたが、家族への思いやりが優先した。
「大変だね、中佐」
「つーわけだからできるならまだエドにはこの家にいて欲しいんだが。ロス中尉を残していくが、エドもなるべくグレイシアの側にいてやって欲しい」
「分かった、いいよ。今日は泊まってく」
「悪いな」
「いいって。いつも世話になってるんだし。それに今はやる事もないしね」
エドワードは安心させるように笑った。
「そういやエドがセントラルに来たのは査定の為だっけ? 査定に行かなくていいのか?」
「はは、それは口実。実は中央図書館に用があったんだけど、オレがこっちに来てるのがバレるとうまくないんで、後回しにした。事情が事情だから大佐も戻ってこいとは言わないし、時間だけはたっぷりある。しばらくこっちでのんびりさせてもらう。査定は東方司令部に出してきた」
「ふうん。じゃあこっちにいる間はオレんちに泊まるといい。エリシアも喜ぶし、グレイシアも安心する」
ヒューズの申し出をエドワードは残念そうに断った。
「そうしたいけど、やめとく。中央司令部にはオレがこっちにいる事は知らせたくないし、中佐んとこにいると誰かに見つかっちまうだろ? 軍には馴染みも多いし」
「そうか。残念だな」
「その代わり今日は泊まってくけど」
「じゃあ、今日はエリシア成長記を説明してやろう。千枚の写真付きで豪華版だぞ」
「はは…………千枚…………遠慮しとく」
「遠慮すんな。ロイの奴に見せられなかった分、特別にエドに披露してやろう。軍の印刷機で刷った特別版だぞ」
「公私混同すんなよ。バレたらどうする」
「わはははは。オレの愛は減棒くらいでは揺るがないのだ」
「頼むから揺らげ。……つか中佐、ンな暇ないんじゃねえの?」
「暇? エリシア自慢をする時間なら睡眠削ってでも作るぞ」
「違うって」
エドワードは声を低めて言った。
「中佐は誘拐犯、自分の手で捕まえたいんだろ? 今すぐにでも動きたいんじゃないのか?」
「エド……」
「だってそうだろ。ヒューズ中佐がエリシアを攫った犯人をそのままにしとく訳ないじゃん。すぐにでも軍に帰って捜査したいんだろ?」
「したいのはやまやまだが、捜査本部の指揮はロックハート准将が担当している。調査部のオレが口出しできねえ」
「それは建前だろ。中佐の事だから秘密裏に動くつもりでいるんだろ。違う?」
「まいったな。正解だ」
「考えなくても分かるって。何年付き合ってると思ってるんだよ」
エドワードはソファーに深く座ってヒューズと対峙した。
表情は私ではなく完全に公に切り替わっている。
「中佐は今回の……いや今までの誘拐事件の事はどれくらい知ってる?」
「ある程度はな。報告書は手に入るし、一応全部目は通している」
「オレも報告書は読んだから内容は知ってる」
「おいおい。オレならともかく、何でエドがンなもん見られるんだよ。部外秘の資料だぜ」
「はん。部外秘ったって捜査官は全員資料を持ってるんだぜ。盗み見る事くらい簡単だ」
「はー……その年から盗みを覚えちまってどうすんだよ」
「年の事なら年中言われている。……じゃなくて、中佐の見解が聞きたい。こんなにも同一犯の誘拐が成功し続けてるなんてありえねえ。犯人の手際が良すぎる。もしかして情報ダダ漏れと違う?」
「滅多な事言うな。誰が聞いてるか分からんし身内を疑い始めればキリがない」
「んなの建前じゃん。中佐だって内部犯を疑ってるんだろ。それに中佐んちで誰が盗み聞きなんかするんだよ」
ヒューズは思考を切り替えるようにガシガシと自分の頭を掻いた。
「エドも内部犯だと思うか?」
「そうとしか思えない。でなければ協力者がいるか。こうも軍人の身内がキレイに攫われるのは、情報を漏らしている者がいるからだろ。それと誘拐された子供が全員無事で帰ってきてるのは、同僚の家族だから傷付けたくないと思っているのかもしれない。軍に恨みを持つ者の犯行だったら……言いたくないけど子供は殺されてたかもしれない」
「エドッ! んな風に…………そうだな。オマエの言う通りだ。その可能性は高い」
「中佐、言いたい事があるなら聞くよ。……ここには大佐はいない。今は電話もできない。……代わりにはなれないかもしれないけど、愚痴でも相談でもなんでものるぜ」
エドワードは全部分ってると言わんばかりにヒューズを見た。
子供が攫われた。ヒューズは心配は妻と分け合えるが、怒りと疑惑は分け合えない。やるせない本音は友にしか吐き出せない。ヒューズの怒りを受け止めるのはロイ・マスタングの役割だが、二人の間には実質的な距離がある。内容が内容なだけに電話では話せない。ロイは多忙ですぐには中央に来られない。だから自分に吐き出せとエドワードは言っているのだ。
ヒューズは改めてエドワードを見た。
いつまでも小さな子供だと思っていた。頭は切れるし子供らしくない面も多々あったが、それでもヒューズに向ける目は澄んでいて好感が持てた。ロイは警戒していたが、エドワードがヒューズに向ける目は暖かくどこか切なく愛情に満ち、警戒する要素はなかった。
この子はこんなに大人だったか? 小さくてもっとガキだと思い込んでいた。だが正面から見るエドワードの顔のどこにも幼さはない。
童顔で、小さくて、声変わりだって完全に済んでないのに。
「ガキに愚痴零すのか……」
「大佐の代役には不足かもしれないけど、一人で抱え込むよりいいだろ。……部下を巻き込む気なら彼女も一緒に話そうか?」
「彼女?」
「ロス少尉。中佐は調査に信頼できる部下を使う気だろ? 少尉は信頼できると思うぜ」
「少尉を巻き込むのか?」
「別に少尉じゃなくて他に適任者がいればそっちでもいいけど、オレはロス少尉とは知り合いだし、彼女のひととなりは知っている。適任だと思ったんだけど」
ヒューズはエドワードの申し出を考えた。
言っている事は筋が通っている。ヒューズが関われない仕事を探るのなら、部下を使うしかない。
ロスは優秀だし信頼がおける。ヒューズ家にも通い慣れているから、ヒューズと会話していてもあまり怪しまれない。直属の上官はアームストロング少佐だから話を通しておけば問題ない。
「ロス少尉に頼んでみるか。……後でアームストロング少佐に話を通しておく。……少尉を呼ぼう」
外で目立たないようにヒューズ家を護衛しているロスを呼びに、ヒューズは席を立った。
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