第四章
「中佐。グレイシアさん、エリシア……おかえり」
「エド? なんでオマエがうちにいるんだ?」
「アナタ。言い忘れてたわ。昨日、エドワード君が来てくれたの。私がエリシアに付き添って戻れない間、お留守番を頼んだの」
「そうなのか」
ヒューズが家族を伴い家に帰ると、エドワードが中にいたのでヒューズは驚いた。
エドワードが駆け寄り、ヒューズ一家の無事な姿に笑顔を見せた。
「エリシアが無事帰ってきたんだって? 元気なんだよな? 良かった……」
「エド。……そうか、来てくれてたのか」
「中佐と入れ違いにね。……でもまさかこんな事になってるとは思わなくて……」
エドワードはヒューズに抱かれているエリシアの顔を覗き込む。
「ホントに無事なんだな?」
「ああ」
「良かった」
少年のホッと気の抜けた表情に、ヒューズも改めてもう安全なのだと実感する。
昨日から興奮し続けて疲れたのか、エリシアは父の腕の中で眠っていた。
「エリシアを寝かせてくる」
「アナタ……。エリシアを一人にするのは心配だわ」
「そうだな。じゃあずっと一緒にいよう」
「ええ」
例え自宅でも安心できないと、グレイシアは片時もエリシアから目を離さない。
エリシアが攫われたのは昨日の昼頃。その時から一瞬たりとも緊張を解かずグレイシアは娘の身を案じていた。
一応外には護衛の人間が待機しているが、安全なはずの場所で子供を誘拐された事で、グレイシアはまだ怯えていた。
「グレイシアさんも休めば? 顔色悪いよ」
「いいの。大丈夫よ。ありがとう、エドワード君。コーヒーでも入れましょうか? そうだ。食事がまだでしょう? 何か作るわ」
「いいから。オレよりグレイシアさんの方が心配だよ。オレはもう帰るからゆっくり休んで。エリシアの顔を見たら安心した。中佐もいるし、もう大丈夫だろ? エリシアと一緒に休みなよ。エリシアが起きた時にグレイシアさんの具合が悪かったりしたらきっと心配する」
「そうだぞグレイシア。エドの言う通りだ。オマエは今日は一日休んでいろ。何もしなくていい」
「エドワード君、アナタ……」
大丈夫だと言おうとしたグレイシアだが、身体が自分のものではないように重く感じて、強がるのをやめた。昨日から張り詰め続けた糸が弛んだ途端、反動がきたのだ。
「じゃあ……お言葉に甘えて少しだけ休ませてもらおうかしら」
「そうしろ」
夫は優しく妻の頬に手を当てて、軽いキスをした。
一番疲れているのはグレイシアだとヒューズは分っていた。よりによって夫がいない時にこんな事が起きて、グレイシアの神経は相当参っている。
ヒューズは優しく妻を抱き締めた。
「エリシアはオレが部屋に連れていくから」
夫を見上げて、グレイシアは身体を預けながら頷いた。
グレイシアとエリシアが寝室に篭ると、ヒューズは「エド、今なにか作ってやるからな、待ってろ」と言って上着を脱いで袖をまくった。
「中佐……。中佐も疲れてるんだから休めよ。オレ、もう帰るから。エリシアの顔を見るまで安心できないんで待ってただけだから」
エドワードは遠慮したが、ヒューズはエドワードの肩を押して「座ってろ」と言った。
「オレも昨日から何も食ってないんだ。一人分作るも二人分も変わらねえ。一緒に食おうぜ」
「でも中佐、一人になりたいんじゃないのか? 中佐も昨日は寝てないんだろ?」
娘が攫われた父親は生きた心地がしなかっただろう。仕事で遠く離れて側にいられなかったヒューズがどんなに焦燥していたかエドワードにだって分る。安心した反動で疲労困憊しているはずと察し、エドワードは遠慮したのだが。
「とても休んでられねえよ。悪いが付き合ってくれ」
「中佐……」
笑った顔の中に色々な感情を見つけてしまい、エドワードはおとなしくソファーに座った。
「中佐って料理できるの?」
「オレは奥さんだけに家事やらせる男じゃないぞぅ」
「……はは、愛妻家だもんな」
自然に台所に立つヒューズに安心して、エドワードは食事ができるのを待った。
「何か手伝おうか?」
「じゃあ皿を出してくれ」
「どこにあるんだ?」
「そっちの棚の下だ」
「こっち?」
「そう。左の皿を出してくれ」
「分った」
「ほら、できたぞ」
「うわ、うまそう」
ヒューズの作ってくれたのは簡単な焼飯とスープだったが、牛乳以外は何でも食べるエドワードは、勢い良く食べ物を胃袋に流し込んだ。
ガツガツと食べるエドワードに安心したのか、ヒューズも落着いて一日ぶりの食事をとった。昨日から殆ど何も食べていない。温かい食べ物が胃に染みた。
「御馳走さん。あーうまかった」
「うまかったか?」
「うん。中佐、料理うまいね」
「大事な人に作ってやるのに下手じゃ困るだろ?」
この場合の大事な人はエドワードではなくグレイシアの事だろう。
「グレイシアさんて愛されてるね」
エドワードは羨ましげに言った。
「ああ、オレの大事な妻だからな」
ヒューズの声は暗かった。
「……中佐?」
ヒューズは黙って残りを喉に流し込む。
「なのにオレは…こんな時に一緒にいてやれなかった」
「そんなの中佐のせいじゃないじゃん」
「それでもっ……側にいたかった。エリシアがこんな時にセントラルにいなかったなんて……!」
「中佐は何も悪くないよ。悪いのは誘拐犯達だ。……きっと誘拐犯は中佐が中央にいない事も調べていたんだ」
「だとすると、犯人は軍部内にいるって事か?」
途端にヒューズの目が光る。
「分からないけど、その可能性もなくはないよな。……だって今までの事を考えると明らかに情報が漏れてる」
「エドもそう考えるか?」
「つか、普通考えるだろ。ここまで犯人の影が見えないのは、もしかして身内の犯行じゃないかって」
「一応その線も洗ってはいる。金に困ってる者とか素行が良くない者とか。軍部ったって一枚岩じゃねえ。色んな事情を抱えた人間の集まりだ。……しかし今のところ、怪しい人間には全員アリバイがあるんだ」
「そうなんだ。空振りか。……他に情報は?」
「残念ながらない。だが……オレの娘に手を出したのが運の尽きだ。必ずとっ捕まえて締め上げてやるっ!」
ヒューズの本気の声にエドワードが言った。
「オレに何かできる事はない? オレにできる事があるなら手伝うよ」
「ああ。もし手を借りたくなったら頼む。……エドはまだ当分こっちにいるんだろ?」
「スカーが捕まるか、イーストシティを出るまではね」
「スカーか。…そういや、スカーの正体は聞いたか?」
ヒューズが意識を切り替える。
「いや…まだ」
「イシュヴァール人だったんだ」
「スカーが? イシュヴァール人っていうと、あの?」
「ああ。エドはイシュヴァール戦争の事はあまりよく知らないだろうが、酷い戦いだったからな。あれは戦争というより虐殺だった。だからイシュヴァール人達は国家錬金術師や軍に恨みを抱いている。今回の殺人は復讐が目的だ。それと殺人の手段は錬金術だ」
「錬金術を使って人を殺してるって言うのか? ……酷い。なんて奴だ」
同じ錬金術師として許せないと、エドワードが顔を歪める。
「なりふり構っちゃいられんのだろう。かなり手強い相手だから、エドは絶対に近付くなよ」
「でもイシュヴァール戦争の恨みが原因なら、オレは大丈夫なんじゃねえの? イシュヴァール戦争には参加してないし」
「オレもそう思うが、それがスカーに通じるかどうか分からない。スカーは全ての国家錬金術師を憎んでる。まともな理性は期待しない方がいい」
「イシュヴァール戦争か。……オレは小さかったからよく知らないけど、中佐達はその戦争に行ったんだよな?」
「ああ」
「大佐も」
「ロイとは同期だからな」
「大佐は昔の事を決して話さないけど……やっぱりその頃の事をまだ引き摺ってる?」
「気になるか?」
「ちょっとね。……大佐が聞いて欲しくなさそうなんで聞いてないけど。好奇心で聞いていい事じゃないって分ってる」
エドワードの聡明さにヒューズは「そうか」と言った。
イシュヴァール戦争の事はエドワードが知らなくていい事だが、国家錬金術師という立場ゆえに危険に晒されるのならば、ある程度の事は知っておいていた方がいいとヒューズは話した。
「あの頃の事は生き残った者にとって負い目になっている。オレも…ロイも、ホークアイ中尉も」
「中佐は……国家錬金術師殺人犯がイシュヴァール人だと知って、どう思った?」
「どうって?」
「当然だと思った? それとも同情した?」
「ああ。……半分くらいはそう思ったな。同情っていうより……共感か。戦争でイシュヴァール人は明らかに敵だったけれど……同じ場所で戦う者同士だった。あの男が抱えた痛みも怒りも絶望も当然だと理解できるくらい近い場所にいた。……エドには分かんねえかもしれないけど、スカーは敵だけど憎んでいない敵なんだ。イシュヴァール人をそうしたのはオレ達軍人なんだから」
子供だからといって適当に誤魔化したりしないヒューズに、エドワードは確かに分からないと思いながら「そうなんだ。……確かにオレにはまだ分かんねーな」と言った。
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