第三章
スカーを捕らえる作戦は七割方成功していた。
エドワードはロイにスカーとは接近戦でやり合うなと事前に忠告していた。
だが事態はその時その時で変わっていく。
ロイとスカーは偶然、街で遭遇してしまったのだ。
スカーはロイの顔は知らなかったが大佐を示す星の数は知っていた。そしてロイはスカーの顔を知っていた。
二人がお互いを認識したと同時に市中接近戦が始まった。
「錬金術師とは元来あるべき姿の物を異形の物へと変成する者。それすなわち万物の創造主たる神への冒涜。我は神の代行者として裁きをくだす者なり」
スカーの言い分にロイは何も知らないフリで聞いた。
「それがわからない。世の中に錬金術師は数多いるが、国家資格を持つ者ばかり狙うというのはどういう事だ?」
「……キサマは国家錬金術師のマスタングか。神の道に背きし者が裁きを受けに自ら出向いて来るとは、今日はなんと佳き日よ!」
スカーの膨れ上がった殺気にロイも応戦する。
「私を焔の錬金術師と知ってなお戦いを挑むか!」
「愚か者め!」
ロイは爆発を起こそうと指を擦ったが……火花は出なかった。
……雨だったのだ。
瞬間ロイの顔が青ざめる。
錬金術では無敵を誇るロイだが、雨の日ばかりは別だった。得意の焔の錬金術も雨では湿気って点火しない。町中で水素爆発は起こせないから、錬金術戦は困難になる。
ロイは焦って銃を抜く。
スカーはロイの射撃を難無く避けた。
(マズイ)とロイの本能が囁く。
スカーからは戦場の臭いがした。胃の腑が縮まる。
『雨の日は外に出るなよ』
エドワードの忠告が頭を掠める。
悔やんだが仕方がない。
ロイは危険に晒されたが、連絡を受けてすぐに援軍がやってきた。スカーを捕らえる包囲網は確実に二人を囲み、途中アームストロングが乱入したのを幸いとロイは身を引いた。
「なんてムチャをするんですか! 危ないから外には出ないで下さいって言ったでしょう」
副官が背にロイを庇いながら叱った。
「まさかいきなり会うとは思わなかったんだ。私の実力はキミも知ってるだろう」
「雨の日は無能なんですから、下がっててください大佐!」
「あ、そうか。湿ってちゃ火花出せないよな」
ホークアイとハボックに冷静に指摘されて、ロイはガンッ! とヘコむ。正論だが、正論だからこそ胸にグサリときた。
(無能……)
ロイの側近は有能かつ上官に対して遠慮がないのが特徴だが、容赦もなかった。
ロイが落ち込んでいる一方で、アームストロングとスカーは互いに体術と錬金術を組み合わせた激しい戦闘を繰り広げていた。
アームストロングが街を破壊しながらスカーに激しい攻撃を仕掛ける。スピードの乗った容赦のない錬金術の攻防。嵐のような石槍の攻撃をスカーはなんなく避けた。
「少佐! あんまり市街を破壊せんでください!」
ハボックが思わず怒鳴る。
アームストロングは街中だというのに遠慮なくあちこちを壊しながら攻撃するので、見ている方が焦る。これでは市街地で大砲や爆発物を使うのと変わらない。
しかし味方の制止を気にするアームストロングではない。その気になれば自分で元に戻せる錬金術師は破壊を躊躇わない。
「何を言う! 破壊の裏に想像あり! 想像の裏に破壊あり! 破壊と想像は表裏一体! 壊して創る! これすなわち大宇宙の法則なり!」
堂々と服を脱ぎ胸を張るアームストロングに、周りはこんな時に何を言っているのかと呆れ、緊迫感が薄れた。
「なぜ脱ぐ」とハボックが銃を構えたままうんざり呟いた。
「て言うかなんてムチャな錬金術……」
ホークアイも力技で押すアームストロングにもう少し冷静に戦って欲しいと思う。アームストロングの動きが良すぎてスカーを狙いにくいのだ。
しかしアームストロングは冷静だった。
「なぁに……同じ錬金術師ならムチャとは言わんさ。そうだろう? スカーよ」
ロイも頷きながら言う。
「やはりヤツも錬金術師か。錬金術の錬成課程は大きく分けて『理解』『分解』『再構築』の三つだ。……なるほど、つまりヤツは二番目の『分解』の課程で錬成を止めているという事だな」
「自分も錬金術師って……。じゃあヤツの言う神の道に自ら背いてるじゃないですか!」
ハボックが叫ぶ。
「ああ。しかも狙うのは決まって国家資格を持つ者というのはいったい……」
ロイはスカーの尋常でない殺気にイシュヴァールの民の怨念を視た。いっそ潔いくらい混じりけない憎悪をひしひしと感じる。
その男はイシュヴァール人だから気をつけろとアームストロングに言いたかったが、まだ言う事はできなかった。出せない焔にロイは一人内心で焦った。
スカーとアームストロングはよく戦った。二人の力は同等だったが、一対一で勝利する事が目的ではないので、後方から狙撃手のホークアイがスカーの身体を狙う。
アームストロングが下がった瞬間に放たれた弾丸はスカーの頭を掠った。
サングラスが落ち、スカーの頭から血が流れた。
「やったか!」
「速いですね。一発かすっただけです」
顔を上げたスカーを見て皆が驚く。
特に国家錬金術師であるアームストロングは顔色を変えた。
「褐色の肌に赤目の…!」
「イシュヴァールの民か……!」
ロイが呻くように言った。
心ある国家錬金術師にとってイシュヴァールの民の名はトラウマだ。戦争の名の下に無辜の民を虐殺した負い目が二人の目に浮かぶ。
その赤い目を見ていられなくてロイは一瞬顔を逸らした。
「…やはりこの人数では分が悪い」
銃に四方を囲まれたスカーが言った。
「この包囲から逃げられると思っているのかね」とロイが手を上げると、スカーは躊躇いなく地面に手を叩き付けた。
ゴバッと破壊音がして、スカーを中心に円を描くように地面が崩れ落ちた。近くにいたものは慌てて逃げる。足元のレンガがガラガラと一気に下に抜け、軍人達は全員その場から緊急退避した。
真下は地下水道だった。下に地下水道が走っている事を知っていたのだろう。スカーは破壊に乗じて姿を消した。
「あ、野郎、地下水道に!」
「追うなよ」
ロイは追尾を止める。普通の部下には手に負えない相手だ。
「追いませんよ。あんな危ないヤツ」
追撃を命じられなくて良かったと周りの部下が胸を撫で下ろす。アームストロングと互角に戦う錬金術師を一般の兵がどうこうできるわけがない。
スカーの姿が消え、やれやれとロイがようやく緊張を解くと。
「お? 終わったか?」
ヒョイとヒューズが顔を出した。
「ヒューズ中佐。今までどこに?」
そういえば一緒に来たはずなのにいなかったとアームストロングは首を傾げた。
「物陰に隠れてた!」
堂々言うヒューズにロイが呆れる。
「おまえなぁ。援護とかしろよ」
「うるせぇ! オレみたいな一般人をオマエらでたらめ人間の万国ビックリショーに巻き込むんじゃねぇ!」
「デタ……」
何故かヒューズの言い分が正しいようでロイは負けた気持ちになる。
「オラ! 戦い終わったら終わったでやる事沢山あるだろ! 市内緊急配備。人相書き回せよ!」
戦闘には参加しないがヒューズは事後処理には長けていた。
いつのまにか雨が激しくなっていた。
雨が痕跡を洗い流していく。
びしょ濡れになりながらそれぞれが厳しい顔で思いにふける。
「やっかいなヤツに狙われたもんだな」
ヒューズが親友の心中を思いやって言う。
「イシュヴァールの民か……」
ロイは男の怒りの瞳に胸が重くなった。
あの男は全ての国家錬金術師を殺しつくすまで諦めないだろう。己が命よりも憎悪の方が勝っていた。
ただの私怨ではない。一つの民族、何十万という命と怨嗟を背負った復讐鬼。己の全て……命愛未来家族故郷家……肉体以外の全てを失い絶望し、生き続ける理由はもう憎悪をバネにした復讐以外ない。本当に何一つ持たない男なのだ。
「まだまだ荒れそうだ」
荒れる天の気を見上げながらロイは呟いた。
|