第三章
「スカーについては本当に何も判らないのか?」
「二日前に国家錬金術師殺害の現場を発見されて、そのまま逃走した。駅まで追ったんだが見失った。その後、東部行きの列車で見掛けたと情報があった」
「現場を見たのに武器が判らないのか?」
「殺した直後に見付かったんだ。武器らしい物は持っていなかったと現場にいた者は言っている」
「……ちょっと待て、二日前? 三日前じゃなく?」
「二日前だ。今度は東部がヤバいっていうんで直後に許可を取り付けて追尾隊を編成した。翌日準備してそのまま出てきた。オレ達は夜行列車に乗って強行軍だぞ」
バカな、という言葉をロイは飲み込んだ。
エドワードがスカーの情報をロイに伝えたのは三日前だ。ありえない。
ヒューズ達がスカーの事を知ったのが二日前だというなら、エドワードはスカーの情報をどこで手に入れたのだろう。
スカーが二日前に軍に見付からなければそのままセントラルに潜んでいたかもしれない。そうしたらエドワードは殺人犯のいるセントラルに、のこのこ行く事になったのかもしれないのだ。
だが運良く?スカーは軍に見付かり追われてイーストシティに来た。
偶然? ……を信じるほどロイは楽観主義者ではなかった。
エドワードはスカーと繋がっている? ……訳ないか。スカーの正体がイシュヴァール人だとすれば、国家錬金術師であるエドワードと手を組むわけがない。
エドワードだけは殺さないと約束しているとか?
だったらエドワードがスカーから逃げる必要はない。
訳がわからなくてロイは真面目な顔の下で唸った。
「とりあえず、ロイの警備を厳重にするのと見回りの強化だな。けどそれらしき人間がいても気付かれないようにしろよ。相手は人間兵器を簡単に殺るような凶悪犯だ。普通の兵士が相手にするにゃキツイ」
「ヒューズ中佐の言う通りです。〈傷の男〉の相手は我輩がいたしましょう」
ヒューズとアームストロングの申し出にロイは素直に頷いた。
「部下の休日は返上だな。スカーが見付かるまでおちおち外も歩けん。巡回の兵を増やそう。……ホークアイ中尉手配を頼む。スカーの特徴を知らせ、皆には決して手を出すなと伝えておけ。普通の兵士でどうにかなる相手じゃない。絶対に近付くなと通達しておけ」
「かしこまりました、大佐」
ホークアイに命令を伝えながらロイは『近付かなければ大丈夫だろう』と思った。エドワードの情報が確かなら、スカーは接近戦タイプの錬金術師だ。狙いはロイなのだから他の兵を危険に晒す事はない。
「それと……」
ロイはヒューズ達に聞こえないように、小さくこそりとホークアイの耳に告げた。
「鋼のがここを出たは三日前だが二人には言うな。鋼のは二日前の夜に出発したんだ」
「エドワード君がここを発ったのは三日前の夜です」
「だからその事を知られたくない。スカーの情報を知っている事も」
ロイはホークアイにのみ殺人犯がイシュヴァール人だと教えてある。情報源がエドワードというのはさすがに言わなかったが。
一緒に聞いていたホークアイはヒューズの言葉を聞いてどう思っただろう。軍も掴んでいないスカーの情報をロイが事前に知っていた。あちこちから情報を集めるのに余念がないロイだから怪しまないとは思うが、とりあえず口止めしておく。
それにしても不可解すぎる。エドワードは一体どこからこんなに詳しい情報を仕入れているのだ。
裏社会の情報屋にでも通じているのだろうか。そこまで腕ききの情報屋がいるなんて聞いた事がない。
葛藤はとりあえず横に置く。今は仕事だ。
「ヒューズ。オマエ達はこれからどうするつもりなんだ?」
「とりあえずこっちと連係だな。オレの部下を待機させておくからスカーの情報が入り次第動くぞ。早くに終わればいいんだが」
「手柄をごっそり持って帰るつもりか?」
「一応共同戦線という事だな。……手柄くらいくれてやるよ。けどこっちのメンツもあるから、その辺の匙加減はそれなりで頼むぜ。何せ中央では五人も殺られている。手ぶらではセントラルに帰れんよ」
「こちらも手柄より安全が欲しい。グラン准将さえ簡単に殺るようなヤツがイーストシティを徘徊しているのは落着かない。これではおちおちデートもできん」
「デートくらいなんだ。命に比べれば安いもんだ」
ロイはわざとらしく溜息を吐いた。
「私も鋼のと同じように逃げ出したいものだ」
「焔の錬金術師が何を言っている。オマエさんこそその気になれば返り打ちにできるだろう」
ロイの強さをヒューズはよく知っていた。
しかし相手もまた錬金術師だとヒューズは知らない。
知っているロイは警戒している。エドワードがガチンコでは適わないと素直に認めた相手だ。エドワードは決して弱くないのに。
「……それはどうかな?」
「今回は随分自信なさげだな。何かあったのか?」
「何もない。……ただグラン准将の事を考えると過信はできないと思っただけだ」
「それもそうか。あのオヤジは腕っぷしだけは頑丈だったからな。スカーは飛び道具でも使うのかな。殺し方は独特で銃とは違うようだが」
(あれは錬金術だ)ロイは頭の中だけで呟く。
ロイはスカーと会うのを恐れている。別に殺される事は怖くない。ただ復讐の瞳を見るのが怖いのだ。
イシュヴァール人に恨まれるのは当然だ。
当時はただ夢中で殺しまくった。こんな事間違っていると思いながら必死に指を擦った。ロイは錬金術で人を灼いたのだ。
当時戦場にいた者達は肉が喰えなかった。毎日灼ける肉の臭いを嗅いでいた。人肉の脂が溶け空気が粘つき、臭いが肌の中まで染み込んだ。絶え間ない嘔吐感に食欲など出るわけがない。
ロイはイシュバールの民から同じような目で見られ続けた。
『悪魔』
『人間兵器』
『バケモノ』
随分な代名詞だが、味方までもが影で似たようなあだ名で呼んでいた。つまり敵味方関係なくロイはそういう風に見えていたのだ。
ロイは軍人から見ても充分にバケモノだった。人ですらないと言われた。戦場で錬金術師は畏怖の代名詞だった。
「ロイ?」
「……なんでもない、ヒューズ」
七年前、心は擦り切れ精神は踏みつぶされた。
崩れ落ちかけたロイを救ったのはヒューズだ。親友はするべきではなかった殺しをして壊れかけた友の側にいた。ヒューズはロイに普通に接する唯一の味方だった。
二人は誓ったのだ。絶対にこの国を良くしようと。戦争のない国を作ろうと。
二人は誓いを忘れず、ロイは大佐になりヒューズは中佐になった。二人はまだ二十代だ。
異例の出世の芯にあるのが傷付き疲弊した国と、愛する者への忠誠心だと気付く者はいない。ヒューズとロイは憂国の士だった。
アームストロングもそうだ。アームストロングは途中耐えきれず戦線を離脱したが、戦う事を止めていない。
ロイは出世によって国を平和にしようとしているが、アームストロングは日々を懸命にこなす事で自身の正義を貫いていた。ロイの思いをなんとなく察しあれこれと手を貸してくれている。
ロイは味方が欲しい。自分の為に身を投げ打ってくれる部下が。その為にはまずロイ自身がそれに相応しい器量を身につけなければならない。
ロイは常に自信満々だが、初めのうちは演技だった。時間と共に演技が自然に馴染んで、ロイ自身のものになった。
イシュヴァール人の復讐鬼に怯えている場合ではない。怨嗟も唾棄も殺意も何もかも飲み込んで平気な顔で耐え続けなければならないのだ。
ロイが諦めればこの国は何も変わらない。好戦的な大総統の下で四方の国を刺激しながら更なる血を流し続けるだろう。大義が虐殺の理由になり、殺されなくていい女子供の死体の山が築かれる。軍部の力は増々増大し国は落着かず疲弊する。
ヒューズがロイの肩に手を置いた。
「ロイ?」
「なんでもない。……配備図を見てくれ」
ロイは一秒も休む事なくせわしなく指示を入れながら、イシュヴァール人の復讐鬼の事を思った。
男の復讐は当然だ。だがロイは男を捕らえなければならない。
捕まればスカーは間違いなく死刑だ。軍部に殺されるよりロイがひとおもいに殺してやった方が楽だろう。男が更に無念を募らせたとしても。
ロイに感傷する権利はない。痛みは踏みにじられた弱者達のものだ。ロイは彼らに憎まれ続けなければならないのだ。
エドワードにスカーの正体を聞いていて良かったと思った。突然知ったら部下達の前で動揺しただろう。
ロイ・マスタングはふてぶてしい傲慢な男でなければいけない。何があっても心を揺らしてはいけないのだ。
エドワードの言葉が正しければ、数日中にロイはスカーと対峙する。
僅かに緊張しながらロイはその時を待った。
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