モラトリアム
第四幕


第二章

#14



「バスク・グラン准将は昨日殉職された」
「……嘘だろ?」
 エドワードがあまりに簡単に言ったのでロイは信じられなかった。
「本当だ」
「あのグランが? 何故? テロか、それとも事故か?」
「国家錬金術師殺人犯、スカーの犠牲者だ」
「バスク・グラン准将は軍隊格闘の達人だぞ?」
「事実だ。鉄血の錬金術師バスク・グラン准将は死んだ」
「……悪い冗談だ」
「情報は中央が隠しているが本当だ。バスク・グラン准将は国家錬金術師殺害犯に殺された」
「……グランが……」
 ロイはにわかには信じられなかったが、エドワードの言った事が本当だとすると、とんでもない話だ。
 グランさえ適わないイシュヴァール人がイーストシティに来るという事か。復讐に燃えた赤い目を持って。
「中央は情報を隠しているのか?」
「国家錬金術師は軍のエリートだ。殺人鬼の手にかかって殺されたなど、外聞が悪いし面目丸潰れだ」
「鋼のはどうやって知った?」
「……オレだって情報源くらいあるよ」
 ロイはエドワードを睨み上げた。
「まさかグラン准将を〈傷の男〉が狙っていたのを知っていたのではないだろうな?」
「知っていたとしたら?」
「おい……」
「スカーの標的は全ての国家錬金術師だ。例外はないし、グラン准将は自分が謎の殺人鬼に狙われるかもしれないと判っていた。自分なら倒せると思っていたんだろう。腕に自信があったから過信した」
 鉄血と呼ばれるだけあってグラン准将は容赦のない人間だった。力で全てを押し通す強引さ傲慢さが彼の性情で人としては最低だったが、軍人としては優秀だった。自信と過信の区別もつかないところがあったのも本当だ。たとえ殺人犯の標的にされていると判っても怯まなかっただろうし、注意を促しても一蹴しただろう。
 エドワードが、グランが殺されるかもしれないと知っていてそれをグランに知らせなかったとしても、一概に責めにくい。
 どうせ知らせても「それがどうした返り打ちにしてくれるわ」と高笑いされるのがオチだ。バスク・グラン准将というのはそういう人間だった。
「鋼の。……グラン准将が亡くなれば私の敵が一人減ると分っていたのか?」
「ああ」
「だから見殺しにしたのか?」
 エドワードの顔が歪んだ。
 ロイの想像通り、エドワードは知っていたのだ。
 エドワードが処世術に長けていたら、すぐに否定しただろう。そうしないのがエドワードの不器用さだ。
 子供っぽいというかエドワードらしいというか、ロイがエドワードを嫌いになれない理由の一つだ。その気になれば表面とりつくろう事は簡単だろうに、そうしない。
 軍において素直さは美徳ではない。それは隙だ。だがエドワードが隙を見せるのはロイやヒューズにだけだ。
「責めているんじゃない。グラン准将は他人の言う事を聞かない方だった。鋼のが何を言ってもまともに取り合わなかっただろう。結果が同じなら言っても言わなくても同じだ。同じではないと言うのならそれは個人の心の問題であって、心の中で処理すればいいだけの事だ。私が引っ掛かるのは………物事がキミによって動かされている気がするという事だ。そんな筈はないのに」
「オレは何も動かしてはいない。物事は成るべくして動いていく」
 エドワードの言葉に嘘はなさそうだが。
「だが私がセントラルに栄転する為にはグラン准将が邪魔だ。キミはその事を知っていて、あえて動かなかったのではないか?」
「だとしたらどうする?」
「別にどうもしない。言っただろう。グラン准将は他人の言う事を聞かない人だ。鋼のや私が忠告したところでまともに取り合うものか。逆に不快に思うだろう。それに私はあのオヤジが大嫌いだった」
 ロイはフンと言い捨てた。
 頑固で狭心なグランと、柔軟で処世術に長けたロイはソリが合わなかった。ロイだってグランが殺人犯に狙われていると知っていたとして、はたしてまともに忠告したかどうか判らない。
 ただエドワードの態度が不自然だった。
 エドワードにとって人の死は重いものだ。狡猾に動きまわっても性根はまともで、普通の子供らしく殺人を忌避している。自分のせいで人が死ぬ事を由としないだろうし、敵であろうと殺人は侵さない。
 そんな人間が顔見知りのグランを平気で見殺しにするだろうか?
 何かグランとエドワードの間にあるのだろうか?
「グラン准将と何かあったのかって? 何もないよ。こっちに来てからあまり会ってないし、あっちはオレを嫌っているし。目の敵にするっていうより、視野に入ってなかったみたいだ」
「まあ、キミはまだ子供だからな。まともに取り合わなかったんだろう」
 幸か不幸かエドワードは幼かったので、グランの警戒相手としては不十分だったのだろう。つまり相手にされていなかった。
「あのオヤジが死んだとなると……私の中央司令部行きは眉唾ではなくなりそうだな」
「かわりに東方司令部にはハクロ将軍が来る」
 なぜそこまで知っていると、ロイはもう呆れるしかない。
 エドワードの情報源とは誰だろう。そこまで確かな予定が判るなんて、ありえない。
 情報部と繋がっているのだろうか。それとも上層部か? エドワードは上層部のスパイなのだろうか。
 エドワードは上層部の秘密を知ると消されると言っていた。スパイとは違うのなら何なのだろう。
「じゃあ鋼のはハクロ将軍の元に戻るという事か」
「いいや」
「どこかに行くのか?」
「そんなようなものだ」
「ハッキリしないな」
「帰ろうか」とエドワードは返事をせずに歩き出した。
 その背を追ってロイは隣を歩く。影になってエドワードの表情はよく分からなかった。
「私は仕事に戻るがキミはもう家に帰るのか?」
「明日セントラルに行こうと思ったけど、早い方がいいからな。今晩発つ」
「これから? 性急だな」
「入れ違いでスカーが来る。気をつけろよ」
「随分ハッキリ言い切るな」
「……信じられないなら信じなくてもいいけど」
「信じるよ。……鋼のの言う事は常に正しかった。タッカーの時も……」
「ああ」
「もっと早く鋼のを信じれば良かったのかもしれない……」
「仕方がない。オレは胡散臭いガキだし、発言は突飛な事が多いから。……大佐は柔軟な方だよ」