第二章
「しかし本当にその〈傷の男〉とやらがイーストシティに来るのか?」
エドワードが当然のように言うので信じかけたロイだが、発言には何の根拠もない。エドワードの言葉はあくまで推測でしかない。
「スカーは来る」
「どうしてそう断言できるんだ。そういう情報を掴んだのか?」
「いや」
「なら何故? その男と知り合いというのではないだろ?」
「面識はないよ。あっちもオレを知らない」
「だがキミはその男の顔を知っている。何故だ?」
「………………」
「それもキミの謎か?」
「話せない事が多くてこっちも困ってる。だけど今事情を説明するわけにはいかない。だから……悪い」
「……鋼のがそういう言い方をするという事は、スカーがこちらに来るのは確実という事か?」
「イエス」
「絶対に来るのか?」
「オフコース」
「……まいったな」
ロイは天を仰いで嘆息した。
エドワードの言う事はすぐには信じられない。
情報源を明かさない不確かな情報。だがエドワードはでまかせや不安定な発言でロイに失敗を与えた事は一度もない。わけの判らないやりとりで翻弄させられる事はあっても、騙されたり足を引張られたことはないのだ。
エドワードは秘密主義だが、少なくともロイに敵対する気はないらしい。
そういえばこの子は初めて会った時からロイに好意的だ……。
「スカーがこちらに来るならセントラル行きは理由になるな。キミがセントラルに行きたがっているのはそういう訳か?」
「それもあるけど、別の理由だ」
「聞いてもいいか?」
「うーん……」
「何か危ない事でも企んでいるのか?」
「一身上の都合。…………実はオヤジがセントラルに現れる予定だ」
「君の父上が? そういえば先週そんな事を言ってたな。来週なのか?」
「そうだ」
「……その情報は確かなのか?」
「母さんにはまだ内緒だけど」
「……それはそれは」
複雑そうな顔のエドワードにロイはようやく嘘ではないと納得した。
だからか。エドワードがセントラル行きを強く希望したのは。ならそう言えばいいのに。失踪した父親に会えるかもしれないチャンスだと言うのなら、ロイもなんとか方法を考えるのに。
それともその事を知られたくなかったのだろうか。だが、どうして。
「どうして母親には内緒なんだ? すぐに知らせてやればいいのに」
「会ってもオヤジはすぐには家に帰れないかもしれない。ぬか喜びで母さんをガッカリさせたくないんだ」
「首に縄をつけてでも故郷に引張って行くんじゃないのか?」
「オレは今故郷に帰るわけにはいかない。やる事がある」
「父親との再会以外にもする事があるのか」
「十五歳の少年だぞ。仕事と家族しかない人生だと思ってるのか?」
「キミはそれ以外の顔を私に見せてないじゃないか」
「それもそうか」
「恋人にでも会う予定があるのか?」
「……そうだと言ったら?」
「本当にそうなのか?」
「嘘ではないな」
虚をつかれたがエドワードの顔を見てロイは納得した。
「そういう事か。…若いというのはいい事だ。なら仕方がないか。せいぜい楽しんできなさい。けれど浮かれすぎて用心を怠らないようにしろ。過信もするな。セントラルは今大変な状況なのだから」
「あっちの人間には迷惑かけないように行動するよ。……オレがセントラルにいる事はなるべく内緒にしといて。聞かれれば答えてかまわないけど」
「いいのか?」
「ヒューズ中佐の所に顔出すし、アンタに嘘つかせるのもマズイからな」
飄々としているエドワードにはそれ以上質問させない雰囲気があって、ロイは会話の続きを口の中で失う。
父親の事、恋人の事、聞きたい事は山程あるのに。
「大佐。スカーがイーストシティに現れてアンタと接触した後、何かが起こるかもしれないけど……イーストシティから出ないでくれないか? 上層部に呼び出されたりしたら従うしかないけど、私情では動かないでくれ」
エドワードの願いにロイはまたかという顔になる。
エドワードの訳の分からないお願いにはいつも振り回される。だが意味のない事をエドワードは言わない。不可解に思えてもそこには必ず何かがあるのだ。
「私が私情で動きたくなるような事でも起こるのか?」
「かもしれない」
「詳しく話せ」
「話せない。今はまだ」
「いつなら話せるというのだ。キミは毎回『もうすぐ』というばかりだ」
「必ず話す。だからオレの言う事を聞いてくれ」
「いつなら話せるんだ? 『もうすぐ』は聞き飽きた」
「二ヶ月……いや、三ヶ月以内には」
「三ヶ月では遅い。二ヶ月以内に全てを話せ。キミの秘密、謎、情報源。私に隠している事全てだ」
「ちゃんと話すさ。……どうせいつかは全部話さなきゃならない事なんだ。大佐も当事者なんだから」
「当事者とはなんだ?」
「その時になったら話すさ」
「絶対か?」
「絶対だ。大佐はこの国に必要な人間だから。アンタは知らなきゃならない」
エドワードは立ち上がってロイの前に立った。
ロイは座ったままなので自然見上げる形になる。見下ろすばかりだったエドワードは見る角度を変えると幼さが消える。
「だから頼む。しばらくはイーストシティから出ないでくれ。つかセントラルには来るな」
ロイに来て欲しくないのは中央か。
「何故セントラルに行ってはいけないんだ?」
「アンタが来ると色々面倒だ」
「私が来ると面倒な事が起きるのか、それともキミが起こすのか?」
「ノーコメント」
否定しないという事は肯定か。
このガキは一体何をするつもりだと思ったが、ロイはとりあえず了承する。セントラルに行く用も暇もないからだ。
ただでさえ忙しいというのに、中央を騒がせている国家錬金術師殺しの犯人が来るのだ。ロイの多忙は頂点を極めるだろう。どこかに移動する余裕などなくなる。
それにしてもロイがセントラルに行きたくなるような事とは、なんだろう。
エドワードの言う事は予測がつきにくい。
無駄話なら無視するのに、エドワードの話は意味不明なのに後で必ず意味が出てくるから厄介だ。
難しい顔のロイに「それより」とエドワードは会話を無理矢理方向転換するように言った。
「中央に勤務する国家錬金術師達が多くが殺された。大佐より上の階級の人間ばかりだ」
「そうだな」
「これみよがしに銀時計をぶら下げているヤツらだが、それなりに力があった。アンタがいずれ排除しようと考えていた人間達だ」
「おいおい。物騒な発言だな。……キミに隠しても仕方がないか。鋼のは私の考えが読めるようだからな……。実力はともかく人脈と権力はある連中だった。……もう関係ないがな」
ロイは顔を顰め、酷薄に嗤った。
「良かったな……と言ったら不謹慎か」
「何が良いんだ?」
「大佐が排除する前にスカーが片付けてくれた」
「……不謹慎だな。事実だが」
「判らないか?」
「何が?」
「今セントラルは大佐辺りの階級が抜けた状態で人手が足りない。それなりに有能な人間が消えたから仕事がまわらず業務に支障が出ている」
「そう言われてみればそうだな。短期間で何人もいなくなったんだ。部下は大変だろう」
「上もな」
「鋼の?」
「疲れてる? 頭のめぐりが悪いね、大佐」
「なんだと?」
「中央司令部で空いた穴……どこかで埋めなきゃならない」
「そうだが……それは中央の人間が考える事だ」
「大佐が東部に飛ばされたのは大佐の事がめざわりな連中がいたからだ。難癖つけられ、セントラルからイーストシティまで栄転という名で左遷させられた」
「懐かしい……というほど昔ではないが、過去の事だ。だが結果として左遷も悪くなかった。ここは中央の目が届きにくい。将軍が権限を預けてくれたので、やりたい事がやれる。東方司令部を意のままに動かせる。中央にいたらできない貴重な体験だ。おかげで経験値が上がった」
「アンタを疎んでいた連中の多くが消えたんだ。大佐……近いうちに呼ばれるよ、セントラルに」
「……まさか」
「ロイ・マスタング大佐の招聘の声が高い。実現する」
「確かに今中央司令部は穴が空いている。だが私を疎んじる面々はまだ残っている。私を支持する声があっても、特にバスク・グラン准将辺りが声高に反対するだろう。私はあのオヤジには嫌われまくってるから」
ロイは苦笑した。
傲慢で生え抜きの軍人のバスク・グランは年若いロイを警戒している。背後から追ってくるロイが目障りで仕方がないのだ。同じ国家錬金術師という立場だから、より反発しているのだろう。
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