モラトリアム
第四幕


第二章

#12



 司令部から少し離れた場所にある公園は夕暮れ時で少し薄暗かった。ちらほらと人の姿があり、二人は適当に道沿いにあるベンチに腰掛けた。
「こんな場所で話をするのか?」
「周りに何もない方がいい。人に聞かれたくない話をする時は、遮るもののない場所で話すのが一番だ」
 エドワードの言葉になるほどとロイは思った。酒場でこそこそと内緒話をするより安全かもしれない。確かにこの方が盗み聞きされる心配がない。盲点だった。
「さて鋼の。軍の中でできない話というのは何だ? そんなにマズイ情報でも握っているのか?」
「マズイといえばマズイ。オレがその情報を知っている事をつっこまれると困る」
「キミは何を知っている?」
「国家錬金術師殺害犯の正体」
「なにっ?」
 さすがに驚いてロイはエドワードの横顔を凝視した。
「誰だ? どうして判った?」
「前者は答えられるが後者はノーコメント。……それでいいか?」
 よくはないがここで揉めても仕方ない。
「……いいだろう。キミは『どうして』とか『何故』とか聞かれると、途端に貝になるからな」
 エドワードは辺りを見回して再度人の有無を確認した。近くに誰かいると困る。ホムンクルスの中には自由に姿を変える者がいる。今彼らの目を引くわけにはいかない。
 エドワードはロイだけに聞こえる低い声で言った。
「国家錬金術師殺害犯の名前はオレも知らない」
「おい」
「でも顔は知っている。大柄で浅黒い肌。額には大きな傷がある。それゆえ『傷の男〈スカー〉』と呼ばれている。……そろそろ軍もスカーの特徴を掴んだ頃だと思う」
「スカー? 顔に傷があるのか。それは分かりやすいな」
 何故エドワードが殺人鬼の顔を知っているのか知りたいところだが、名前も知らないとなると知り合いというわけではないらしい。写真でも見たのだろうか。
「特徴はそれだけか? 髪の色は? 年齢はいくつくらいだ?」
「特徴は他にもある。スカーはつねにサングラスをかけている」
「サングラス?」
「目を隠す為だ」
「目が弱いのか? それとも目に特徴があるのか?」
「目の色が人とは違う」
「黒や青じゃないのか?」
「赤だ」
「あか?」
「スカーは……赤い目の色をしている」
「……あかいめ」
「そうだ」
 エドワードはロイを見た。
 ロイはエドワードが何を言いたいのか判った。
「まさか……」
「ああ」
「イシュヴァール人か……?」
「そうだ」
 ロイは思わず喉の奥で呻いた。
 右手の指の先が痺れる。
 ぐるりと視界が回った。
 脳が赤く塗りつぶされる。
 蓋をした記憶が溢れ出る。
 イシュヴァール。
 砂と岩の大地。
 曝炎、悲鳴、空気が灼けて産毛が溶けた。
 熱風、赤い焔、肉の焼ける臭い。臭い。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいたい助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて悪魔悪魔悪魔悪魔悪魔悪魔悪魔悪魔悪魔おまえは悪魔だ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ、ははをちちをこどもをともをおれたちの故郷を返せ返せ返せ返せ返せ返せ、もういやだ逃げたいいやだ死にたくないいやだ殺さないでいやだやだやだやだやだやだ…………)

「引きずりこまれんなよ、大佐」
 何もかも判っているような目のエドワードにポツリと言われ、ロイは我に返った。
 ここはイシュヴァールではない。かの地から遠く離れた平和なイーストシティの公園だ。隣にいるのはイシュヴァール人でも親友でもない。
「そいつの目的は……復讐か?」
「それしかないだろ。イシュヴァール人が国家錬金術師を殺してまわるのは」
「そうか」
 ロイは背を丸めて口元を手で押さえた。
 イシュヴァール。ロイの悪夢の元。全てはそこから始まった。
 ロイは動揺を隠せないままエドワードに聞いた。
「軍部は犯人がイシュヴァール人だと知っているのか?」
「まだ知らない。だがそのうち判る」
「生き残ったイシュヴァール人達が復讐の為に国家錬金術師を殺しているのか?」
「スカーは単独犯だ。他のイシュヴァール人達はどうだか知らないが、少なくとも殺人をおかしているのはスカーだけだ」
「単独犯。動機は復讐か」
「民族一つ滅ぼされたんだから恨みもするだろうよ」
 エドワードは忌々しげに言った。
 スカーに賛同はできないが、気持ちは理解できる。
 どれだけ恨んだろう。どれだけ怒り悲しんだだろう。想像もつかないくらい真っ暗なマイナスの感情に苛まされ、死を生む事でしか生きる術がなくなった男。
 理解できるが共感するわけにはいかない。
 エドがそう言うとロイも頷いた。
「その男の気持ちは判るが……むざむざ殺されるわけにはいかない」
「スカーは強いよ。あの男はオレ達と同じ錬金術師だ」
「錬金術師? そんなバカな」
 ロイはエドワードの言葉を全否定した。
「本当だ。スカーは錬金術だ。その上格闘技の達人でもある。オレより強い。悔しいがタイマンじゃ勝てねえ」
 エドワードの評価にロイは信じ難い顔だ。
「イシュヴァール人は錬金術を神に逆らう悪魔の力だと言って嫌っている。まさかイシュヴァール人が錬金術を使うわけがない」
 正論だがエドワードは緩く首を振る。
「スカーは力を得る為に忌み嫌っている錬金術に手を出した。復讐の為には手段を選ばない。錬金術によって滅ぼされたのだから、同じく錬金術で復讐しているのかもしれない。あの男の右手には錬成陣が彫られている。だから錬成に時間が掛からない。あの男の錬金術は作る為のものではない。壊す為のものだ」
「壊す? スカーという男の錬金術はなんだ? 爆破か?」
「スカーの武器は錬金術だ。殺害方法は単純に分解。錬金術の三原則を二段階で止めている」
「理解、分解、再構築……。分解か……。単純なカラクリだが人に使えば立派な破壊の手段だな。……だから爆発したような死に方になるのか」
「人間を内から分解する。一瞬でも触られたらアウトだ」
「しかし触られなければ大丈夫なのだろう。触る事が錬成の発動なら、その男は接近戦しかできないという事だ。ならば私は大丈夫だ」
「確かに大佐の錬金術は中間距離用だけど、雨の日は無能じゃねえか。雨の日に出会っちまったらどうすんだ?」
 エドワードの発言『雨の日は無能』ハンマーに殴られて撃沈するロイだ。子供の発言には容赦がない。
「そんなに危険な相手がいる場所にキミは行こうというのか?」
 ロイは責任云々というよりエドワードの身を心配した。
 イシュヴァール人の殺人鬼。エドワードは国家錬金術師だがイシュヴァール戦争には参加していない。スカーが狙うのは見当違いで意味のない事なのだが、殺人鬼に理性があるとは思えない。イシュヴァール人にとって国家錬金術師というだけで立派な殺害理由になるのだろう。
「言っただろ? スカーはもうすぐこっちに移動してくる。だからセントラルの方が安全なんだよ」
「スカーがセントラルからイーストシティに動くとどうして断言できる? 来ないかもしれないじゃないか。もしくはサウスエリアかウエストエリアに行くかもしれない」
「イシュヴァール人のスカーはイーストエリア以外の土地に行った事がない。移動するならまずは馴染みのあるイーストエリアだろう」
「なるほど。言われてみればそうか」
「それにこっちにはアンタとオレがいるからな。絶対に来る。特に大佐……焔の錬金術師はイシュヴァール人の憎悪の対象だ。スカーの殺しのリストの上位にいると思うぜ」
 脅しのような言葉だがロイは当然だと頷いた。
「恨まれるのは当然だ。だがむざと殺されるものか。何としてでも捕まえる」
「そういう事だからオレより大佐の方が心配なんだよ。オレは偽名で切符をとるし、なるべく銀時計は使わないで隠しておく。スカーがどこにいるか判らないうちは軍部への出入りもしない。ホテルも軍系列のものは使わない。オレの方はそうして静かにしていれば目立たずやり過ごせるけれど、大佐はここから動けないからな。スカーの標的になりやすい」
「私は大丈夫だ。これでもあの戦争から生きて帰ってきたんだ。キミに心配されるまでもない」
「でもスカーは強い」
「私は負けないよ」
 ジジ……という音がしてパッと公園内の電灯がついた。夜の帳に片足を踏み入れる時刻だ。