モラトリアム
第四幕


第二章

#11
◇計画発動◇



「今回の件でひとつ貸しができたね、大佐」
 エドワードのニヤリとした笑顔にロイは
「キミに借りをつくるのは気色が悪い」と諦めた表情を晒した。
 全てがエドワードの言ったとおりに動いていく。
 それについては腹立たしいというより、驚きと疑問の方が強い。
「いいだろう。何が望みだ?」
「さっすが話が早い。………………ちょっと顔貸してくん
ない?」
「今すぐかい? せっかちだな、まったく。久しぶりに会ったんだからお茶の一杯くらい付き合いたまえよ」
「野郎と茶ぁ飲んで何が楽しいんだよ。……じゃあ外で茶にしようぜ」
「軍部では話しにくい事か?」
「まあね」
 ロイはエドワードの言う事を聞かざるをえない。それがエドワードとの約束だった。
 ユースウェル炭鉱視察の帰りの列車で、エドワードは過激派による列車ジャックに遭遇した。
『偶然』ハクロ将軍とその家族も乗り合わせ、あわや惨事になるところで、エドワードとロイの配下が過激派を取り押さえ、計画は未遂に終わった。
「キミの言う通り、部下をニューオプティンから乗せていて正解だったな」
「だから言っただろ」
 エドワードは当然の事だとふふんと鼻で笑った。
 エドワードの進言通り、ロイは部下達数名に休暇を与えた。
 休み中のロイの部下が『たまたま偶然』ハクロ将軍と同じ列車に乗り『運良く』テロリストを取り押さえた。…というのが今回の過激派逮捕の顛末である。
 そうして、やはり『偶然』列車に乗り合わせた鋼の錬金術師が活躍し、自分の後見人であるハクロ将軍を助けた。
 過激派にすればあんまりな偶然の連続だが、今回は運が軍にあったという事で誰も何も疑わず、事態はすんなり収拾した。疑う要素は幾つもあれど、証拠は何もない。
 だがロイとエドワードだけはそれが偶然でもなんでもないという事を知っていた。
「キミは過激派の行動をどうやって知った? 鋼のに言われた通り、ハボック達に休暇をやり帰ってくる列車まで指示した。護身用の銃まで携帯させて」
 エドワードはヘラヘラ笑い、手を招き猫のように振った。
「いやあ、過激派も運がないよね。まさか東方司令部の腕利きの面々が『たまたま』同じ列車に乗っていたなんて。やっぱり悪い事はできないもんだね」
「しゃあしゃあと言うな、この策士が。軍人が乗ってるとバレないように軍服は着せるなと指示していたくせに。……おかげでハクロに恩は着せられたが、なんとなく面白くない。全部キミの思惑どおりに動かされただけだからな。……そういえばキミは普段からこそこそと動いているらしいな。大方そうやって集めた情報から今回の計画を知ったのだろうが、それだったらなぜそうだと言わない? どうして勿体ぶって遠回しな言い方をする?」
「いや、確信なかったし……」
「嘘つけ。キミが確信のない情報で私の部下を動かすものか。わざわざ休暇を取らせてカムフラージュして準備したんだぞ。私に指示したキミは確信百パーセントという顔をしていた」
 エドワードはそっぽを向く。
「人が誤魔化してんだから誤魔化されろよ。……大佐は手柄を立てて功績を一人占め、乗客は無傷、万々歳じゃねえか。何が問題だ?」
「疑問だらけで腑に落ちないことを、どう納得しろというんだ。キミは青の団の情報を何処から手に入れた? 今回捕えたバドルは情報が漏れるわけないと喚いていたぞ」
「情報なんか知らないよ。……つか、そうだったらハクロのオヤジに恨まれるじゃねえか。過激派の計画を事前に知っていたのに知らせなかったって」
 エドワードの言葉に一理あるとロイは一応頷く。
「そういえばそうだな。なぜキミはハクロに知らせなかったんだ? 私には知らせたのに」
「一身上の理由。オレは何も知らなかった。だからハクロ将軍に言う事なんか何もありゃしない。……そういう事にしておいてくれ。手柄は大佐の独り占めだ。それでいいじゃないか。アンタさえ細かい所に目をつぶれば全てが丸く収まるんだ。わざわざ角立てんな」
 エドワードの曲がった正論にロイは諦めの吐息を漏らした。
「キミは相変わらず秘密主義だな」
 エドワードは面倒臭そうに応えた。
「その秘密もじきに判る。……だが秘密を知る事が必ずしも幸福に繋がるとは限らない。いや、むしろ騙され続けていた方がはるかに幸福だろう。真実はただ残酷だ。過酷な本当より、生温い嘘の方が生きるに易い」
 淡々としたエドワードの声にロイは十五歳の発言じゃないなと思った。
 だがエドワードと初めて会った時も、この子の発言は九歳の子供が話す言葉ではないと思ったのだから、ロイはエドワードに対してずっと同じ事を毎年思っているという事になる。
 エドワードが二十歳を越えればこのギャップもなくなるのだろうが、何年もほとんど外見の変わらないエドワードの大人になった姿は想像できなかった。
「ずいぶん知ったような偉そうな口をきく。ガキの言う事かそれが。キミでなければ嘲笑ってやるのだが、鋼のの言葉には何かしら真実の片鱗というものが見えて一概には笑い飛ばせないのが困るな。だから面倒なんだキミは」
 ロイの本心にエドワードはヘラリと笑う。
「ははは、悪ぃな大佐。こんな十五歳で」
「全くだ。こんな十五歳見た事ない。誰かが背後にいてキミを操っていると考える方がまだ判りやすい」
「オレにバックはいねえよ。アンタ知ってるだろ?」
「叩いてもホコリ一つ出てこなかったしな」
「まあオレだっていつまでガキじゃないから、人に言えない過去の一つや二つはあるけど」
「なんだそれは?」
「まあ……いたいけな青少年の秘密って事で。大人の知らない世界だよ。十八歳以上お断り」
「誤魔化すな」
「誤魔化してるのは大佐の方だろ。……約束は?」
 ロイはエドワードと約束した事を今更悔やんだが、やっぱり今更だった。
 できる事ならエドワードをイーストシティから出したくない。いや、セントラル以外ならどこに行ってもいい。だがエドワードが希望しているのは中央行きだ。
 ロイは嘆息した。
「……仕方がないな」
 それがロイの譲歩だった。
 エドワードはニヤッとロイに笑顔を向けた。
「周りには適当に誤魔化しておいてくれ。家族に知られたら心配されるし、オレが中央にいるって情報が漏れたら殺人鬼に狙われる可能性があるから」
 自分の都合のいい事を言うエドワードをロイは咎める。
「わざわざ殺人鬼のいるセントラルに行こうとしているキミがそんな事を言うのかね。どうして大人しく東部で息を顰めていられない」
 ロイの正論にエドワードは持論をぶつける。
「ふん。……言っとくけどいつまでイーストシティが大丈夫だなんて思わない方がいい」
「どういう事だ?」
「セントラル在住の国家錬金術師は殺人鬼を恐れて身を潜めている。今まで姿を現わさなかったところをみても慎重で知性がある人間だというのが判る。……さて問題です。そういう人間が次に起こす行動は何でしょう?」
 クイズでも出すかのようにエドワードに問われて、ロイは咎めるよりふと考える。
(知性ある殺人鬼。目的は国家錬金術師。だが国家錬金術師は警戒して見つけにくくなっている。ならば……)
「情報を奪う為に軍人を襲う」
「ブー」
「でなければ…………場所を移す?」
「ピンポーン」
 正解です、とエドワードは拍手した。
 ロイは難しい顔になる。
「考えりゃ判る事だ。対象を探しにくくなったヤツは、セントラルに固執せずに他の地域に手を伸ばす事を考える。そう、例えば次は有名な焔の錬金術師と鋼の錬金術師がいるイーストシティにしよう、とか。列車に乗れば一日で移動できる距離だ。行動は簡単だな。アイツの顔はまだ知られていない。移動も難しくない。だから殺人犯がずっと中央にいると思わない方がいい」
 ロイはエドワードがセントラル行きを冗談で誤魔化そうとしているのではないと、ようやく気がついた。
 軽口で話しているがエドワードの目は笑っていない。
 どうやら今回のセントラル行きは表面上の理由の他に別に何かあるらしい。
「国家錬金術師殺しの犯人がイーストシティに来るとでも言うのか?」
「……オレが今まで大佐にテキトーなデマ言って振り回した事があった?」
 真面目な顔で言われてロイは言葉を無くす。
 エドワードの言葉が推論なのか確信なのかどちらなのだろうと、ロイは子供の顔を凝視する。
 エドワードは非常に勘が鋭い。
 エドワードの発言で事件が解決した事は今まで多々あった。エドワードは表舞台に立ちたがらないので全ての手柄はロイのものになったが、よくよく考えてみるとおかしな点が沢山ある。犯人しか知らないような情報を知っていたり、根拠もないのに正確に犯人を言い当てたり。
 怪んで詳しく聞き出そうとすると、エドワードは「じゃあもう協力しない」と口を噤む。
 エドワードが犯罪に加担している様子はないから怪しんでも謎は謎のままにしてある。が、おかしな事だらけだ。
「キミはまた何かの情報を握っているのか?」
「さあね」
 言葉を濁すというのはそういう事なのだろう。
 青の団の行動といい、国家錬金術師殺害犯の行動パターンの分析といい、エドワードしか知らない事実があるらしい。
 それをどうして知っているか、それが何なのか聞いても答えないのは長い付き合いで判っている。
 いい加減頭にくるが、エドワードなりの言えない理由があるらしい。 エドワードにはエドワードの都合と理屈と理由があるのだろう。
 言っていたではないか。
『知り過ぎれば殺される』と。
 ならば。
「私は何をすればいい?」
 ロイはエドワードの言う通りにしてみようと思った。
「オレの言う事、うのみにするんだ?」
「キミはデマは言わないのだろう? 私との縁を切る覚悟で私を振り回して失墜させようというのでなければ、乗る価値はありそうだ」
「十五歳の子供に使われる気あるの?」
「年齢は関係ない。キミは鋼の錬金術師だ」
 どうやらロイが本気らしいと判ったエドワードは安心したように少しリラックスした。
「ここじゃマズイ。……外行こうか」
 エドワードは立ち上がり、ロイも当然のようにそうした。