第一章
「やだね、大人は細かい所ばかりに目がいって。……腕が鳴るってぇのは、勿論オヤジをぶっとばす為だ。病気の母さんを放っておいたツケを全部支払わせてやる」
フフフと無気味に笑うエドワードにロイは不思議そうに聞いた。
「キミの父親は十年も音信不通だったのに、どうして居場所が分かった? 探し出したのか?」
「まあね。アイツがこれから会う予定の人間が分ったんだ。というわけで、親子の再会とか恋人との逢瀬とか色々私用で忙しいから、掴まらない事があるかもしれない。……あ、受けた仕事はちゃんとやるから」
「キミが仕事に責任を持つことは知っているが、プライベートの方も忙しそうだな。大丈夫か?」
「問題なし。忙しくても充実しているし」
なるほどエドワードの顔は公私ともに充実している人間のそれだ。ロイは羨ましく思った。
「鋼のはいいな。そこまで愛せる相手がいて。相手が男というのは全然羨ましくないが、私もそのくらい愛せる相手が欲しいものだ」
心からそうロイは言い、エドワードは「それはどうかな」と賛同しなかった。
「どうしてだ? キミは幸福なのだろう? てっきり幸せ惚けして惚気るのかと思ったのに」
「幸福だけど……幸せが大きいから、無くした時の事を考えると心が凍る。何度もアイツを無くした。もう一度無くしたら……オレは今度こそ……駄目になる」
「何度も無くしたって? 一度だけじゃないのか?」
「一度だけじゃないんだよ。……その度に愚かな事をして……。オレは過ちを続ける。そうしてアイツはオレの為に不幸になる」
「そんなに別れたり再会を繰り返したのか?」
エドワードの漏らした新事実にロイが驚く。
「ああ。全部オレのせいだ。オレの負った業は重い。それを一生背負い続ける事がオレの贖罪であり幸福であり人生なんだ」
「ガキが人生とか語るな。二十年早い」
達観したエドワードの様子はとても子供の戯言には聞こえなくて、ロイはこのわけの分からないガキにいつまで振り回されるのだろうとうんざりした。
エドワードが『もうすぐ何もかも判る』と断言したのでもう少しだけ待とうと思ったが、それにしても子供の妄言につき合う自分は随分酔狂だとロイは笑う。
ロイは暇ではない上、ガキの妄想に付き合うのは嫌だしロクな事にはならないだろうと思うのだが、さりとてエドワードの事情とやらの蚊帳の外に置かれるのも嫌なのだ。
ここまで引張られたのだ。事情の全てを知りたいと思う。知ってしまった事で後戻りできなくなるかもしれないが、その時はその時だ。
「鋼の。『その時』はいったい何時来るんだね?」
「もうすぐだ。あともう少しだけ待てよ。アンタはいつでも忙しいし、待つのに退屈する事はないだろ」
「焦らされるのは女性限定だ」
「じゃあ男は初体験か。良かったな」
「イヤな言い方するな」
「はは……ガキの戯言なんか大人の対応で適当に流せばいいじゃないか」
「都合のいい時だけ子供ぶるな」
「大人だって自分達の都合で人をガキ扱いしたり、大人扱いするじゃねえか。お互い様だ」
「これだから知恵の回るガキは嫌いなんだ」
ロイの素直な意見をエドワードを打ち返す。
「バカなガキも嫌いなくせに。バカでも優秀でも嫌われるんじゃどうしろって? 常に適度に平凡でいればいいのか? それって大人にとって都合のいいガキでいろって事だろ? バカみてえ。そう言われて素直に言う事聞くガキがどこにいるんだよ」
「確かにそうだが…」
エドワードの言葉はどこまでも正論で、都合のいい大人のロイはたじろぐ。
「自分が十五歳だった時の事を思い返してみろよ。恥ずかしくて枕の下に頭を突っ込みたくなるだろ。そういう甘酸っぱくもこっぱずかしい愚かさを晒してるのがガキっていうんだよ。オレがそのこっぱずかしいガキじゃないからって責められる筋合いはねえよ」
「こっぱずかしい……人の過去を見てきたように言わないでくれ」
「見なくても判るって。背伸びして大人ぶって周りを見下して未来を信じて、傲慢で素直で自由で。アンタは未来を無邪気に信じていたんだろ? そういう十五歳だったんだろ?」
「……ああそうだ。キミとはまるで違う」
「うん。オレは違うよ。信じる未来なんて持ってないし。だからこそ……」
「だからこそ?」
「未来を切り開こうと努力できるのかもしれない」
信じない事が反対に努力の理由になるとエドワードは言う。
自分の未来にあるものが輝かしい明日ではなく困難な今日の続きだと知っているから、覚悟を決めて未来に立ち向かえるのだと、エドワードはすでに大人の目を持ってロイに語った。
「キミは全く……時々十五歳というのが詐欺に思えるのだが。本当はあと十歳くらい上ではないのか? ああ、にしては背が足りないか」
いつものパターンというか条件反射で沸騰するエドワードだった。
「あんぎゃーっ! 誰が十歳くらいのチビにしか見えないって?」
「キミは身長の話題限定で耳も遠いのか。早く大人になりなさい。身長ごときで冷静さを崩すな。そういうところが可愛いと思えるのは女性やハボックのような長男体質の男だけだ」
「オレが冷静沈着な男になったらそれはそれで面白くないと思うくせに」
エドワードの反論は的を射ていたがロイは聞き流した。都合の悪い事は聞かなかった事にするのが大人の処世術だ。
そろそろホークアイの気配が気になるロイは話を切り上げた。
「……そういう事だから、大人しくユースウェル炭鉱の視察に行き、何事もなく戻ってきてレポートを提出するように。仕事が終わったとばかりにセントラルに行く事は許さんからな」
「何がそういう事だ。前後の脈絡なく話を仕事に戻しやがって。……とりあえず仕事はするよ。あそこに行くのは予定のうちなんで異論はない」
「予定のうち?」
「これからの予定の中に組み込んだって事だ」
うそぶくエドワードにロイはまあいいと視線でエドワードの退場を促した。
ロイの仕事は溜まっていて、残業は決定しているので仕事に戻りたいのだ。副官も怖い。
「鋼の?」
席を立たないエドワードにロイはどうしたのかと聞くと。
「今更聞くけど、この部屋って盗聴大丈夫だよな?」
「ああ。この部屋は毎日盗聴器が仕掛けられていないか調べている。……というかまだ何かあるのか?」
「ある」
「ヤバイ話か?」
「それなりにヤバイ」
「聞こうか。中尉が隣の部屋で待っているので手早く頼む」
ロイは目を鋭くして何を言うのかとエドワードを見た。
エドワードは自分の思い付きにニヤリと口元を歪めて言った。
「オレがセントラルに行く事に関して……一つカケをしないか?」
少年らしい悪戯好きな顔…というより人を陥れるのが大好きな悪魔のごとき笑顔を前に、ロイはなぜか蟻地獄にハマった蟻を想像した。
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