第一章
アルフォンスが生きていた事でエドワードは変わった。前と同じでいられるわけがない。
アルフォンス。大事な弟で大事な恋人。自分の命よりも大切な。
なくしたと思って諦めていたのに。
今エドワードは幸せだ、とても幸せだ。
浮かれている自覚はあるエドワードはこれでも内心が漏れないように気を付けていたのに、ロイにはあっさり見破られてしまった。
そんなにオレは幸せオーラを垂れ流していたのかと、己を戒め気を引き締めて反省する。
確かに今まで幸せいっぱいな顔はしていなかったと思うが、決して不幸ではなかった。母も弟も生きていて望んだものが目の前にあった。鎧の弟を思えば幸せに浸る事はできないと自分に言い聞かせていたが、暗い顔は晒していなかった筈だ。
だが今と先日とでは顔がまるきり違うとロイは言う。
エドワードは自分の顔を触って何がそんなに違うのかと鏡を見たくなった。
「オレ、そんなに浮かれたバカヅラ晒してる?」
「バカヅラではないが満たされた顔だ。心に穴が空いて乾いていたのに、今では大地が潤って緑が芽生え始めたという所か。いい表情だ。いつもそういう顔をしていれば家族も安心するだろう」
「……うん」
「どういう事か詳しく聞いてもいいか?」
「駄目」
「知りたいな」
「好奇心か?」
「そうかもしれない。キミという人間は謎に満ちているから」
「……ふうん」
「怒ったか?」
「怒る理由がない。確かにオレはアンタに何も教えてこなかったし」
「自覚しているなら少しは自分の事を話せ」
「必要な事は話しているぜ」
「自分の事は殆ど話さないだろうが。それで理解できるわけないだろ」
「理解されようなんて思ってないし。大佐だって自分の事は何も話さないだろ。お互い様じゃないか」
「子供相手には話せる事と話せない事がある」
「大人の事情ってやつ?」
「そうだ。人の内側を知りたかったら自分も曝け出す覚悟がいる」
「その言葉そっくりそのままアンタに返す。オレの事が知りたかったら大佐の内側も見せろよ」
「私が話さなくてもキミは知っているんだろ? どうやって調べたものか、キミは私の事を知っている」
「……まあね」
「ならキミも内側を見せろ」
「大佐は自発的にオレに見せたわけじゃないだろ」
「だがキミは私を知っているのに、私はキミを知らない。それはズルくないか?」
「ズルくない。大人のズルさでオレを振り回したのはアンタだ」
「私がいつキミを振り回した?」
言い掛かりだとロイが声を尖らせる。
「アンタが知らないアンタがだよ。大佐は知らないだろうが、オレは大佐に散々振り回されて手駒にされてきたんだ。お返しだよ」
ロイが過去を知らなくてもエドワードは覚えている。世話になったが、振り回された記憶も鮮明に残っている。同じロイ・マスタングだ。今度はこちらが振り回してもバチは当たるまいとエドワードは思っている。
つーか、リベンジチャンス?
濡れ衣を着せられたロイは当然のように腹を立てる。
「だからいつもキミの言葉はちっとも意味が判らないと言ってる。いい加減私にも判る言葉で話せ。身の覚えのない事で言い掛かりをつけられるのは不愉快だ。私がいつキミを手駒にした? 簡単に私に使われる鋼のではないだろう。逆に私を利用しているくせに」
「アンタに不利益になる事はしてないだろ。手柄だって大佐に譲ってやってるじゃないか」
「それはそれ、これはこれだ。私はキミの事が知りたいだけだ」
「女口説くような言い方すんなよ、気持ちが悪い」
「他にどんな言い方をしろというのだ。キミが同性愛者だからといって私までがそうだと思うなよ」
「オレは同性愛者じゃねえよ」
エドワードは酷いレッテルだと憤慨する。
しかしロイも譲らない。
「同性を恋人にしているんだから、言葉は間違っていない」
「アル以外の男なんて考えられねえよ。男と付き合うくらいなら羊のメスを真剣に口説くぞ。一緒に寝るとあったかいし」
「変な例えをするな」
「アンタだって同性愛者だって決めつけられたら断固として反論するだろうが」
「私は男と付き合った事はない」
「威張るんじゃねえよ。マジな恋愛した事ないくせに女が好きだなんて笑わせる。身体に反応するだけなら右手代わりと同じじゃねえか」
「酷い言い方をするな。それは女性に失礼だ」
「どっちが失礼だか。相手の本気を知りながら適当に流して次から次へと相手を変えるアンタは酷くないっていうのか? それは恋愛じゃなくてただの遊びだ」
「そんな風に言われてしまうと耳が痛いのだが」
「痛いのは自覚があるからだろ。自分で判っているならなら反省しろよ」
「本当に耳が痛い。……しかし大人には大人のつき合い方というものがあるのだよ。子供の頃のように打算なしには付き合えない」
「大人の付き合い? ふざけんな。表面とりつくろった関係重ねたって経験値にゃならねえぞ。体当たりで誰かとぶつからなきゃ人間関係築いたって言わねえからな」
乱暴な言い方だが、言い当てられた真実にロイは苦い顔になる。子供は遠慮なく大人に真実を突き付ける。
だがエドワードはただの子供ではなく、恋は子供のそれとは一線を画している。
ロイはエドワードに言われなくても判っていた。
この子の方がよほど勇敢だ。傷付く事を恐れずに、いや恐れながらも逃げずにまっすぐに恋をしている。傷ついて打ちのめされて泣きながら一つの真実にしがみついている。恋という名の情熱に。
対してロイはどうだ? 女好きと見せかけながら誰にも本気になっていない。不誠実というより、エドワードの目には臆病者に映っているのかもしれない。
なりは子供でもエドワードの方がある意味大人だ。想いは真剣そのもので、彼の恋は軽く口にできる雰囲気はない。
ハボックやロイの語る恋愛の方がよほど軽かった。
大地に根を張る強靱さで相手を想うエドワードの心を大人の常識で計れば軽蔑されるだけ。いや、自身を理解しているなら恥じるしかない。
だからロイは自分の事を話したくない。比較すれば分が悪いのはロイの方だ。
「キミの言葉にはいつも真実という刃がいているから怖いんだ。判っていても言われたくない言葉もある」
「その場を誤魔化しても自分に嘘はつけないぜ。アンタもいい加減マジに人間に向き合えよ。恋愛しろって言ってんじゃない。ただその場限りの付き合いばかりするなって言うんだ」
「子供に諭されるとはね……」
「オレを十五歳だと思うから素直に聞けねえんだろ。外見に惑わされるのは愚かな事だって知ってるくせに」
「キミは子供以外の何者でもないよ。天才でも経験豊富でも十五歳である事には変わりない」
「変わりあるんだけど」
エドワードは本当の事が言えない故の意志疎通を阻む壁に言葉を濁す。
「私の事より、キミの事を話せ。どうしてキミの恋人が生きていると分ったんだ? 偶然再会したのか? 相手は行方不明になっていたのか? 生きていたというのは過去にその相手の死体を見ていなかったから信じられたんだろ?」
「まあ……そんなようなものか」
エドワードの声は明瞭さとはほど遠い。
「生きているのを知って、よりを戻したという事か。……相手はリゼンブールに住んでいるのか?」
「いや」
「じゃあイーストシティか?」
「……ノーコメント」
「隠すな。会うわけじゃないんだから。……できれば会ってみたいとは思うが」
同性の恋人など見たいとは思わないが、エドワードがここまで真剣に思う相手だ。興味がある、というか知りたい。
「一度会わせろ。すぐにでなくていいから、こっちに来る機会があったら教えろ」
「やだよ。勿体無い。誰にも見せたくないんだ」
「ケチくさい事を言うな。……確か身体は二メートルを越す長身じゃなかったか? どういう趣味しているのかと思うが自分にないものを持っている相手に惹かれるというのはよくある事だ」
「誰が二尺しかないマメ小僧だ!」
「相変わらず身長の話になると冷静さを崩すな。デコボコカップルならそう言われても仕方がないぞ」
「うるせー。誰がデコボコカップルだ。オレとアルはベストカップルなんだよっ!」
「アル? …そういえば恋人は弟と同じ名前だったか。恋人が弟と同名では呼びにくくないか?」
「まあ、それなりに。けどアイツはアイツだし、弟は弟だ。同じ名前でも呼ぶ時の意味はまるで違う。同じくらい愛していても全然違うんだ。違いが大きいから戸惑う事はないな」
しっかりと答えるエドワードに、ロイは『思春期の激しい恋は思い込みもあるのだよ』と言いかけた自分を止める。何が本物で何が偽物で何が重くて何が軽いかなど、それを決めるのは当人達だけだ。主観と客観は価値感が異なる。
物事は大抵主観よりも客観が正しいのだが、ロイの目に映るエドワードは恋に恋し平常心なくした若者ではない。映るのは恋の重みと亡くす事を知った苦悩を抱えつつ、それでも捨て切る事ができない己の心情をありのまま受け止めて経験を積んだ人間の顔だ。
子供の浮つきなど何処にもなくて、それがかえって痛々しい。
苦しみながら相手を思うエドワードのまっすぐさを、ロイは間違いだと決めつけられない。
長かった夜がやっと明けたエドワードは明るい明日への希望を抱いていた。家族でさえ知らないエドワードの幸福を祝福してやりたいと思うが、相手を知らないから素直にそう言えない。
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