モラトリアム
第四幕


第一章

#04



「ヘイ、大佐。ヒューズ中佐とラブラブコールだったんだって?」
 トレードマークの赤いコートと三つ編みという三年前から代わらない姿のエドワードの第一声に、ロイは顔を顰めた。
 外では大人びた態度を一貫して通しているくせに、東方司令部に来るとガキ臭さを隠さないエドワードに、ロイは言いたくもない小言を言いたくなる。
「鋼の。キミは何時になったら礼儀というものを学ぶんだ? キミの親は挨拶というものを教えなかったのか?」
「中尉とか他のメンバーにはちゃんと挨拶したぞ。ついでに差し入れも。アップルパイ買ってきたからアンタも食えば? 好きだろ?」
「大佐、入りますよ」
 ノックの音と共にドアが開いてホークアイがコーヒーとパイの乗った皿を運んできた。
「エドワード君からの差し入れです。休憩にしましょうか。……エドワード君、ごちそうさま」
「いいえ、どういたしまして。司令部の皆には世話になってるし。ささやかなものだけど」
「エドワード君は年齢に似合わず気配り上手ね。気持ちはありがたいけれど、そんなに気を遣わなくていいのよ」
「いやいや、大した事じゃないし」
「あ、大佐のおやつはその書類を終わらせた後ですよ」
「中尉……」
 フォークに手を伸ばしたロイにホークアイの無情な声が告げられる。
「どっちが上司なんだか……」
 ロイは恨めしそうにパイとホークアイを見比べた。
 格好悪いので外では甘いモノを食べないようにしているロイだが、実はデザート類は大好物だった。とくに疲れた時には体が糖分を欲する。
 だがホークアイは東方司令部の法だった。
 仕方なしにフォークを置いてペンを手にするロイだ。
「エドワード君。キミ、セントラルに行くんですって? 殺人犯が潜んでいるからってセントラルから帰ってきたのに、どうしてまた行くの? 今あちらが危険なのは知っているでしょ。ヒューズ中佐も来るなっておっしゃってるわ。セントラルは今大変な状況なの。殺人やら誘拐事件でみんな休日返上で働いている。エドワード君が行けば、それだけで気を遣わせるし人手も割かなければならない。エドワード君は状況が読めない子じゃないわね?」
 ホークアイの柔らかいが有無を言わせない口調に、エドワードだけではなくロイまでが体を固くする。
 ロイが言うべき事をホークアイが代わりに言っているだけなのだが、ロイはありがたいと思うよりホークアイの圧力を受けているエドワードに心中同情した。
 あれで「ノー」といえる男がいたら見てみたいものだ。
「あー、中尉。鋼のはバカじゃないから判断を誤るような事はしないと思うぞ。東部でおとなしくしているさ。……ついでにおやつを解禁してくれるとありがたいのだが……」
「大佐。おやつは仕事の後です。……エドワード君、言う事を聞いてくれるわね?」
 ホークアイの圧力にエドワードは肩を竦めた。
「中尉達が心配してくれてるのは判ってる。判断が正しい事も。だけどオレはセントラルに行くよ」
 エドワードは「ノー」と言える男だった。
「なぜ? 査定なら東方司令部で充分でしょう?」
「中尉達が心配してくれるのは判っている。判断が正しいのも。だけどセントラルには行くから

「何故? 査定なら東方司令部で充分でしょう?」
「査定って言うのは口実。実はセントラルの中央図書館に用があるんだ。今研究しているものの研究資料が中央図書館にしかないのが判ったんだ。国家錬金術師殺害犯が捕まるまで待とうと思ったんだけど、いくら待っても犯人逮捕のメドがつきそうもない。しょうがないから行くだけ行って調べものをしたら帰ってくるよ」
「そんな事の為にわざわざセントラルまで行くの? 本を送ってもらうわけにはいかないの?」
「持ち出し禁止の禁書だから。国家錬金術師の肩書きがあるから閲覧できるけど、一般人は見られない資料なんだ。貸し出しは無理だ」
「でも……セントラルは本当に危険なのよ? 状況を侮っちゃ駄目。それだけの為に命をかける気なの? エドワード君が危険に近付けば親御さんだって心配するわ」
「勿論母さんには内緒だ。危険な事はないよ。行くのは図書館だけだ。あとヒューズ中佐の家くらいかな。エリシアとグレイシアさんの顔を見てくる。何も心配いらない。今のところ犯人はセントラルにいる錬金術師ばかり狙っているんだろ。それはセントラル在住の国家錬金術師の情報しか持ってないって事だと思う。内緒でセントラルに行って帰ってくるだけなら心配ない。銀時計がなければオレはただのガキだし。鋼の錬金術師だなんて、名乗らなきゃ誰も信じないよ」
「それはそうだけど……」
 ホークアイは納得できないという顔だ。
「それに、どうしても必要なんだ」
 エドワードが単なる我侭で言っているのならホークアイももっと強く反対できるのだが、エドワードの中のどこにも子供はいなくて、自分の行動の意味をちゃんと判っている大人の顔をしていたから、ホークアイも窮した。
 年長者として諌めようとしていたホークアイは対等な顔をしたエドワードに戸惑う。
 チラとホークアイがロイに助けを求めると、ロイは頷いて机の上に置いてあった封筒を手にした。こういう時、部下と上司は阿吽の呼吸だ。
「鋼の。忙しい所を悪いのだが、一件仕事を任せる」
「仕事?」
 ロイはA4サイズの封筒をエドワードに渡す。
「視察だ。詳しくは中の資料を見ろ」
「視察? 急ぎなのか?」
「至急というわけではないが、いずれ行かなければならないと思っていた件だ。手が空いた者に頼もうと思っていたのだが、部下は誰も手が空かん。ズルズル引き延ばしてしまったので鋼のに行ってもらいたい。なあに、難しい仕事ではない。見学してレポートを書くだけの簡単かつ安全な仕事だ。やってくれるな?」
 下手に出ているようでも中味は命令だ。エドワードはムッと内心苛立ちを顔に出した。
「ていのいい厄介払いって事か。仕事を押し付け、かつオレを中央から遠ざける。一石二鳥だな」
「人聞きの悪い事を言うな。忙しい私達が比較的暇なキミに仕事を依頼する。仕事は難易度が低く子供のキミでも問題ない。国家錬金術師としての能力を発揮する機会はないだろうが、仕事は仕事だ。やれ」
 やはり命令かとエドワードは腹立たしさを隠しもせずに乱暴に封筒の中味を出した。
「……ユースウェル炭鉱?」
「東の終わりの町と呼ばれる場所だ。東の最果てにあり、その名の通り炭鉱中心の町だ。小さいながらも軍の駐在所もあるが、何せ遠いので実情は送られてくる報告書でしか判らない。目の届き難い場所なので一度視察をしてどんな感じか把握しておきたいと思っていた」
「へえ、ユースウェルか……懐かしい」
 エドワードの言葉を聞き咎めてロイは聞く。
「鋼のはユースウェルに行った事があるのか?」
「いや、ない」
「だが今……」
「ユースウェル炭鉱………支部の責任者はヨキ中尉か。…………はは……もうそんな季節になったんだな。時間が経つのは早い」
「鋼の?」
 エドワードは顔を上げ、穏やかに承諾した。
「分った。行ってくる。……だが視察が終わったら大佐が何を言おうがセントラルに行くぞ。危険だと思ったらすぐに引き返すさ。オレだって自分が可愛い」
 あっさり仕事を受けたエドワードに逆に不審感が湧くロイだった。
 エドワードは優秀で使える人間だが、ロイからの仕事を素直に受諾した事は一度もない。なんだかんだと文句を並べるのが常だ。子供らしい我侭はエドワードらしくてロイも気にせず冗談で対応してきた。
 幼く見えてエドワードは責任感が強い。受けた仕事はきっちりこなす。だからエドワードの仕事ぶりに文句をつける事は少ないのだが、今回は何かが引っ掛かった。