モラトリアム
第四幕


第一章

#03



「いや……。ただ帰って来なかっただけだ。そうしているうちに五度目の誘拐が起こった。前回誘拐された子供が戻らないうちにだ。前回の失敗があるから軍部も引き延ばし作戦は使えなかった。身代金を支払えば子供はすぐに戻るのに、軍がそれを止めた。 子供が戻らなかった親は半狂乱、原因の将軍閣下は怒り心頭だ。前に誘拐された子供がどうなったか判らないうちに五回目の身代金の引き渡しが行われた。代価はブリッグズ山脈産のレアメタルだ」
「レアメタル!」
 ロイの声がつい大きくなった。慌てて口を手で覆う。
「ロイ、秘匿事項なんだから声を潜めろよ。……オマエもその価値は知っているんだな」
「当然だ。科学者なら誰でも知っている。素人には判らないかもしれないが、その価値はダイヤモンドの何十倍だ。比較にならん。…………身代金は低価格ではなかったのか?」
「犯人側の言う事にゃ見せしめって事だ。人質二人分らしい。それで前回攫われた人質が生きている事が分った。レアメタルの価値は億単位だ。さすがの上層部も簡単には取り引きできないと渋ったが、被害者はマクドナルド少将の娘で奥方の実家は資産家だ。結局犯人の要求通りにレアメタルは用意された。軍の研究所の金庫の中から出すだけだから用意に時間はかからない。今度こそ奪われないように軍総出で配備したが……」
「……奪われたのか?」
「そうだ」
「どうやって?」
「こいつも内緒だから胸の中にしまっとけ。……取り引き場所に指示された場所はセントラルにある人形工場だ。持ち主はマクドナルド少将の奥方の実家。たぶん下調べがしてあったんだろう。レアメタルを人形の一つに入れ、工場を無人にしろと指示された。その通りにして工場の外で全員待機した。もちろん蟻の這い出る隙間もないくらいの警備網だ。全ての出入り口に何人もの人間が目を光らせていた。だが二時間経っても音沙汰ないのに痺れを切らした将軍の指示で工場に突入すると、レアメタルを入れた人形はなくなっていた」
「犯人に持ち去られたという事か?」
「オレも配備図を見たが、指揮したバークレー少将にミスはなかった。赤ん坊でも這い出る隙間は見つからないだろう警備網だ。……が、それでも人形は消え失せた。少将のメンツは丸つぶれだ。だが将軍を責めるのは酷だ。指示にミスはなかった。どうやってあの厳重な警備網をくぐり抜けたか、どんなに考えても判らない。工員や関係者達は軍に拘束されて徹底的に調べられた。秘密の抜け穴でもあるかと調べたがそんなものはないし、疑わしい人間すべてを締め上げても何も出てこなかった」
「レアメタルを入れた人形というのは、その工場の製品なのか?」
「ああ。玩具工場だから人形だらけだ。千体近くある人形全てが調べられたが、何も出てこなかった。レアメタルの大きさは一センチにも満たない。人形から取り出されたら探すのはますます困難になる。 どんなに探しても見つからなかった。……その後、人質はセントラル小学校の物置きで見つかった。犯人の姿は見ていないそうだ」
「二人同時に見つかったのか?」
「ああ。二人ともマットに転がされていた。前に攫われた子の方は一週間も監禁されていたからさぞや怯えていると思いきや、扱いは良かったらしく憔悴した様子もない。犯人の特徴は同じく布を被った大男だそうだ。態度は紳士的で、食事は缶詰めや携帯食料などが主だったそうだ。軟禁されていた場所は不明だ」
「何も判らないという事か」
「犯行の手口、身代金の強奪方法、人質の軟禁場所、全てが不明だ。九回連続の失態だぞ。関わった者達は声もない。周りは無責任に腑甲斐無いと責めるばかりだし、責任の所在の押し付けあいだ。一致団結協力すれば少しは打開策が見つかるかもしれないのに、縄張り争いと足の引張りあいと意地の張り合いで連係は遮断され協力はあってなきがごとし。犯人グループの方がよっぽどチームワークがいい」
「最悪だな」
「唯一の救いといえば、人質全員が無傷だって事だな。子供達は奇蹟的に傷一つない。乱暴だったり飢えさせたり脅かされたりってことはなかったようだ。犯罪者より軍の方が厄介だ。犯人達が人質を傷つける気がないからと、上層部の中には次の犯行が行われても要求を無視しろと言い出す者が出てきた。誘拐はこけおどしだと。誘拐グループに人質を殺す気はないから対応しなくていいという意見だ。確かにそう言われてみればそうかもしれないが、年はもいかない子供が誘拐されて軍部が名指しで脅迫を受けているのに無視できるわけがない。攫われた子の親の気持ちになってみろってんだ」
 ヒューズの声には親としての立場に立った私情が混じっていた。
「今の対策チームの責任者は誰だ?」
「バークレー少将の次はロックハート准将だ」
「ジェレミー・ロックハート准将か。……優秀だと聞いているが、犯人の裏をかかれてばかりでは噂も信憑性薄いな」
「軍が間抜けというより犯人が優秀すぎるのかもな。ここまで尻尾を掴ませないなんて、どんなヤツなんだか。よほど慎重で狡猾なヤツなんだろう。子供を傷つけてないのが唯一の救いだ」
「ヒューズも気をつけろよ。今の所狙われているのは七歳以下の子供ばかりなんだろ?」
「ああ。幼い子供のいるヤツはみんな戦々恐々としている。犯人が人質を傷付けないと判っていても我が子が攫われるのはたまらないからな。グレイシアにもエリシアから目を離すなと言ってある」
 他人事ではないと、ヒューズは言った。
「セントラルは物騒だから行かないのが賢明だな」
「こっちに来る予定でもあるのか?」
「私でなく鋼のが査定で中央に行くと言っている。国家錬金術師殺害犯がいるのだからやめろと言っているのだが、怖いもの知らずのガキは始末が悪い。迷惑だから来るなとヒューズからも言え」
 ヒューズは電話の向こうで顔を顰めた。
「なに、エドがこっちに来る予定があるのか? そりゃあいけねえな。今こっちにいる国家錬金術師には全員警護がつけられている状態だ。エドは名前が売れているから殺人犯の標的になりやすい。ただでさえゴタゴタして人手が足りないんだ。エドに警護の人間をつける余裕はないぞ。査定だけならそっちで済むんじゃねえのか?」
「ああ、そうだ。わざわざ鋼のが行く必要はない。東方司令部で充分だ。だが子供は我侭でな。『アンタの許可は必要ねえ』などとほざく。手が空き次第セントラルに行くと私に言ってきた」
「エドのヤツ〜〜」
 ロイとヒューズは見えなくても相手がどんな表情をしているのか分った。こういう時に大人が浮かべる顔は同じだ。
「こっちが危険だとエドは知っているだろうに。どうしてガキっていうのは自分を過信するんだ。いくら強くてもエドは子供なんだぞ。本物の殺人犯相手にタカをくくってどうする。ロイも保護者ならゲンコツ喰らわせてでも止めろよ」
「止めたさ。だが鋼のは『銀時計を隠しておけば大丈夫だろ』と呑気なもんだ。確かに銀時計を見せなければ鋼のは国家錬金術師には見えない。トレードマークの赤いコートを脱げば目立たないし軍の出入りを見られなければ大丈夫だとは思うが……」
「思う、だけじゃ駄目なんだよ。危ない場所に近付けさせないのも大人の仕事だぜ」
「判っている。私の言う事を聞かないから、ホークアイ中尉にも手伝ってもらう。鋼のは中尉の言う事は聞くからな」
「部下に頼るんじゃねえよ。自分でちゃんと管理しろ。男の子を教育するのはお姉様じゃなく大人の男だぜ」
「鋼のが大人しく管理されるタマだと思ってるのか。アイツは人の言う事なんか聞きやしない。なまじ優秀だから己を過信ばかりして困ったものだ。あのクソガキが。……確かに今まで怪我などした事はないが」
「大怪我してからじゃ遅いんだ」
「そう鋼のに言っているが聞きやしない。腕もたって肚も坐っているから他人の言う事を聞かなくて困る。親と同居していれば親を丸め込めるのだが、生憎家族は田舎暮しだからな。一般人の母親に下手な事は言えないし、正直持て余している状態だ。難しい年頃だな」
「エドのヤツにオレんとこに電話入れろと言っとけ。こっちから電話掛けても繋がらねえ」
「鋼のは家にいないのか?」
「本を読んでると集中して電話の音が聞こえないんだとさ。アイツ火事になったらまっ先に死ぬぞ」
「鋼のらしいが……。まあいい。また後で連絡する。とりあえずそういう事だから、何か新しい展開があったら連絡を頼む」
「判ってるさ、マスタング大佐。情報を握り潰している困った連中に見つからないように情報を送るから、そっちでも調べて情報をくれ。どうも今回の事件はキナ臭い。どこの犯罪組織がやってるんだか知らないが、妙すぎる。金銭目的以外に何か裏がありそうだ」
「ヒューズの勘は当たるからな。……動くのはいいがやりすぎて上の反感を買うなよ。世渡り上手なオマエの事だから大丈夫だと思うが、目立つのは不味いぞ」
「オレが目立ったらオレの可愛いエリシアちゃんの自慢のチャンスが……」
 ガチャン、と思わずロイは受話器を置いた。また家族自慢が始まるかと条件反射で手が動いた。
 大事な事は話し終わったので問題はないが。
「ようやく電話が終わったんですか」
 背後から呆れたとホークアイ中尉の声がした。
 ロイは振り返って言い掛かりだと反論する。
「私が話を引き延ばしたわけではないぞ。私だって無駄話に付き合う暇はないのだ。誰がアイツの自慢話など聞きたいものか」
「そう思うのならもっと早く電話を切って下さい。時間の無駄です」
「切れるものならそうしている。だがアイツのしつこさは学生時代からだ。アイツの気の済むまで話をさせないとまた電話が掛かってくるぞ」
「それは困りますね」
 ちっとも困っていない口調でサラリと流し、ホークアイは視線でさっさと仕事を終わらせろと上官に強要した。
 ロイはこの優秀な副官に弱い。彼女こそ東方司令部の影のルールであり秩序なのだ。
「……ヒューズからの資料が届いたらすぐに私のところに届けてくれ」
「かしこまりました。……それから、エドワード君がさっきから待っておりますが」
「鋼のが?」
「通して構いませんか?」
「ああ、私の部屋に通してくれ」
 ロイは溜まった書類の中から茶封筒の一つを手に取って自室に向った。