#27



「うーーん」
「なんだ、エド。トイレに行きたいなら行って来いよ」
「別にトイレには行きたくないけど」
「じゃあ何で唸ってんだ?」
「……思い出せなくて」
「何を?」
「三月後半って……何があったけなあ?」
「なにって?」
「新聞ちゃんと読んでたんだけど……」
 六年前の三月に何かあったような気がする。東部ではほぼ毎月テロ事件が起こっていたのでいちいち覚えていられなかったが、確か新聞に大きく取り上げられる事件があった、ような気がした。……何だっけ?
「駄目だ、思い出せない」
「エドは新聞読んでんだ。偉いなあ。オレも兄弟達も本は最低限しか読まなかったし、新聞なんて見たのは大人になってからだ」
「田舎に住んでたら新聞くらい読まないと何が起こってるのかちっとも判らない。世の流れを把握しとかないと、世間から取り残される」
「それもそうか。リゼンブールて本当に田舎だからな」
「外に出なきゃ別にンな事知らなくても生活できるんだけどね」
「そうだな。戦争でもしない限り、医者だろうが農夫だろうが生活に問題はないよな」
「いくらテロや犯罪が多発しているイーストエリアでも、リゼンブールに爆弾しかけようってテロ組織はないからな。銀行強盗しようにも銀行自体がない」
「盗む物もないから犯罪者もいない、か。いいなあそういうのも」
「隣の芝生は青いってね。何もない事を羨ましがられてもなあ。金持ちほど金なんかいらないと言うみたいな感じだ。端から見ればむかつく発言」
「だからそういう言いぐさが九歳のガキっぽくないんだって」
 エドワードは六年前の春に何があったのか思い出そうとしたが、思い出せなかった。
 思い出さなくても支障はないのだが、咽に魚の骨がつっかえている気分だ。気持ちが悪くて仕方がない。
 あーーうーー、六年前の三月〜〜?
 何があった?
 エドワードが唸っている時だ。
「ローンド橋、落ちたー落ちたー」と舌足らずの声が背後から聞こえてきた。椅子の上に膝をついて後ろを見ると、女の子が堂々と歌っていた。エドワードより更に小さな少女だ。
 
動かない列車に子供も大人も退屈しているのだろう。隣の母親はうたた寝をしていた。
「ローンド橋、落ちたー落ちたー落ちたー落ちたー」
 ああ、ロンドン橋落ちたか……と歌詞とメロディーが頭の中で廻る。身も蓋もない歌詞だ。何で橋は落ちたんだ? ロンドンって何所だ? ガキの頃って意味もなく歌ってたんだよなあ。
 ガタンッ。隣の列車がのろのろと動き出し始めた。
「あれっ?」
「お、線路が復旧したか?」
 ハボックがエドに被さるように窓の外を見た。
「あれもイーストシティ行き?」
「あっちが先に出るんだろ。この列車もそのうち動き出すだろ。順番に出さなきゃ駅が混乱するからな」
「ふーん。まあ動けば何でもいいや。……なあ、線路が壊されたって聞いたけど、どんな感じだったの? 結構早く復旧したね。そんなに壊れてなかったのか?」
「被害は小規模だったらしい。小さな爆弾で橋手前の線路が破壊されてた。橋自体が壊されなくてホント良かったぜ。もし壊されてたら復旧に何十日もかかったぞ」
「橋? 直すのってそんなに時間掛かるのか?」
「エドは見た事ないから知らんのか。この先の渓谷に掛かる陸橋は崖の上を通っているんだ。イーストシティに行く列車は全てそこを通らなきゃならないからな。谷の上に丈夫な橋が掛かっている。あれ壊されてたら立ち往生だ。迂回するにも馬車しかないから、イーストシティに戻るまでに何日も掛かっちまう」
「そうなんだ」
 エドワードが初めてイーストシティに行った十二歳の時には、列車はツェルマーでの乗り換えも橋を通る事もなかった。三年後には路線が変更されたらしい。
「ローンド橋、落ちたー落ちたー」
 頭の後ろで子供が針の引っ掛かったレコードのように同じフレーズを繰り返している。続きは?
「……なんで路線が変更されたんだ?」
 なくなったツェルマーでの乗り換え。
 ……橋?
「ローンド橋、落ちたー落ちたー」
「……橋が…………落ちた」
 バッと勢いつけてエドワードは立ち上がった。
「どうした、エド?」
「列車は……動き出した……」
「そうだよ。座れ。もうじきこの列車も動くって」
「動いちゃ駄目なんだ」
「はあ?」
「思い出した。六年前…ツェルマー橋は崩落したんだ」
 オレは小さかったし、自身に関係ない事なのですっかり忘れていた。
『ツェルマー陸橋崩落事件』
 テロリストによる犯行声明が後に出された。橋が破壊され、列車が谷底に落ち、多数の死者が出た。
 もしかして今日だったのか? 橋が爆破されるのか? ……クソッ! どうだったのか覚えていない。
 橋が列車がもろとも谷底に落ち、大惨事を引き起こした。その事故がの後、路線が変更され、新しい線路は谷を通らない安全な道筋になった。
「ヤバい……。列車が動いちまった……」
 エドワードは立ち上がると人をかき分け、走り出した。
「おい、エド! 何所に行くんだ!」
「橋!」
 追い掛ける列車の尻が見える。
 あの列車か? あれが落ちるのか? 違っているのならいい。だがもしエドワードの危惧が的中していたら。
 沢山の人達が乗っていた。普段なら満席になる事はないが、足止めされた人達が乗り換えて、乗車率は百バーセントになっている。何百という人間が乗った列車が谷に落ちる。
「おい、エド! 何所に行くんだ! もうすぐ列車が発車するっていうのに!」
 列車を降りて走り出したエドワードを追い掛けてきたハボックが、エドワードの肩を掴んだ。
「ハボック准尉。橋が落ちる!」
「何だ?」
「あの列車が……落ちるんだ!」
 エドワードは前方に見える列車を指した。安全の為か微速で動いているから、距離はそう離れていない。
「なんだあ? なに言ってるんだ?」
「テロだ。小さい線路一つ破壊して嫌がらせするテロリストが何所にいる? 狙いはもっと別の所にあるんだ。爆弾を仕掛けるなら人の集まった駅か、橋だ。だけど駅には軍人が徘徊している。……テロリスト達の狙いは……軍の前で橋を落とす事だ」
「……考えすぎじゃねえか? 物語の筋書きじゃねえんだぞ? 第一、軍だってそれくらい考えて橋に爆弾が仕掛けられていないかちゃんと調べている」
「そっちこそ何で考えない? 線路を破壊すれば軍が来る事くらい判るはずだ。見える所に爆弾を仕掛けるわけないだろ」
「じゃあ何所に仕掛けられてるっていうんだ?」
「判らない。けど、犯人のもくろみは判る」
「どんなもくろみだ?」
「軍の目の前でテロが成功する。大勢の軍人達の目の前で橋が破壊され、人が乗った列車が谷に落ちる。大惨事だ。軍は面目を失う。テロリストが来ている事を判っていながら、みすみす目の前で大勢の人達が死ぬのを止められなかった。始めに爆破された線路は軍を呼び込む為の単なる囮だ」
「おい……想像だろ? 理屈は判るが……」
「想像じゃねえ。何で判らないんだ? 考えろよ。テロリストがたかが線路一つ壊しただけで、満足すると思うか? そんなちゃちな嫌がらせをする集団の為に中佐が自ら出て来ると思うか? ハクロ准将の出迎えっていうのは本当だろうが、出迎えるだけならイーストシティで待てばいい。中佐はここを危険だと思ったから出てきて自分で指揮をとっているんだ」
「まさか」
「オレの言う事が信じられなくてもいいから、とにかく中佐にこの事を伝えろ。橋の破壊の可能性がまだ残っているから列車を動かすなって。先に行った列車を止めるんだ」
「……判った。一応中佐に言ってくるからエドは車内で待ってろ」
「んな暇ねえ。まずはあの汽車を止める。でないと間に合わない!」
「んな事言ったって」
 ラチがあかないのでハボック准尉の手を振り切って走り出す。
「エド!」
「あの汽車を止めるんだ!」