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ハボックが開放されたのは日付けが変わる時刻で、男が話に飽きたのではなく男の妻が迎えに来たからだ。
アンタ飲み過ぎだよいつまでこんなとこで酒浸りになってんだい、と小さい身体で大きな夫を威嚇すると、隣で飲んでいたハボックを同じくジロリと睨んでボウヤもさっさとお帰りと言い、夫を連れて出て行った。
いい加減ボウヤと呼ばれる年齢ではないハボックだが孫のいる女性から見ればどんな男もボウヤなのだろう。
リゼンブールの物価はイーストシティより安く、出張費が浮いたのを小さく喜ぶと(小市民)フラフラと千鳥足で宿に帰る。
宿はすぐ近くだが、酔い覚ましとばかりに道を外れて散歩をきめこむ。道を外れると灯りがないので足元は見えづらくなる。千鳥足で転ばないように気をつけながら、ハボックは腰の銃をそろそろと触る。酒場を出た時からついてきている足音が一つ。素人ではないがプロでもなさそうだ。何だってこんな田舎で。
さて誰だ? 軍人を嫌っている人間は沢山いる。平穏な村にだって悲喜交々な人生ドラマがあるだろう。善良な村人だってピナコのように軍に子供をとられた人間はいて、それを恨みに思っていないとも限らない。
リゼンブールは初めてなのでハボック個人ではなく軍人に用があるのだろう。ただ気配に殺意や剣呑さがないので恨みではなくスリやかっぱらいの類いかもしれない。軍人を狙うとはいい度胸だ。
酔っぱらったフリでわざと細い路地に入る。
暗がりの中で壁に背をつけ、足音が追い付くのを待った。
「……動くな」
銃口を頭に当てれば追跡者が固まる。
ハボックより頭一つ小さい中年の痩せた男。夜なのにサングラスをしているところが怪しい。
「少しでも動いたら撃つ。両手を頭の上で組め」
男から目を離さずに背後から誰か来ないか確かめる。単独行動か。誰もいなさそうなので、意識を男に戻す。
「……貴様は誰だ? そして何の用だ?」
「何ノ事ネ? 兄さん、銃なんか向けたら危ないヨ?」
男の言葉には訛りがある。銃を向けられても平然としている。…演技かもしれないが素人ではなさそうだ。
「とぼけても無駄だ。酒場から熱い視線向けられてたから、つい応えちまったじゃないか。見た事がない顔だが軍人に何の用だ?」
「用なんて無いネ。兄さん突然ナニよ? 物騒ネ。ワタシ何も悪い事してない」
「これからするつもりだったんだろ?」
「そんな事しなイ。ワタシ善良な市民ネ。兄さんこそ、そんなモノ向けてとっても危険ヨ」
「発音が訛っているな。何所の出身だ? この辺の人間じゃないだろ?西か南か? どうしてオレをつけた?」
「ワタシつけてないヨ。兄さんの気のせい。兄さん酔っぱらってるから間違えた。被害妄想ネ」
「ほう。そうかもしれん。じゃあその申し開きを軍でしてもらおうか。叩いて埃の出ない身体なら軍の取り調べも恐くないだろ。軍は善良な市民は丁重に扱うからな。……善良じゃない市民の扱いは口には出せないけど。あんたは善良な市民なんだろ?」
「OH! 困るね。拘束されたら仕事に差し支える。それは困るね。アナタが」
「どうしてオレが困る?」
「ワタシの仕事、軍にも関わりアル。兄さん、見たところ下っ端。ワタシの仕事相手、上の人。意味判るでしょう?」
「……おっさんの仕事って何だよ?」
「形のない売り物。でもみんなお金出す。軍もそうでない人間も。ワタシの商売、ヒト選ばない」
「形のない? もしかして情報屋か?」
喰えない男の態度に合点がいく。
「兄さん察しがいいネ」
「その情報屋が何故オレをつけた?」
「兄さんが軍人だから」
「オレが軍人だとどうして後をつけるんだ?」
「それは言えないネ」
「やっぱり軍で話を聞くか?」
「NO。駄目ね。情報屋、軍に入ったのを見られたらもう商売やってけない。ワタシ失業。最悪殺られるネ。私の商売相手沢山いるから。口に出しては言えないけど、軍の偉いさんも犯罪者も同じ人間。間違いは犯すし酸いも甘いも噛みわけるのが大人ネ。バレて悪い事沢山ある。ワタシ口固いけど、それ信じない人いっぱいいる」
「……言ってんじゃないか。……オレだって仕事中だし面倒は嫌いなんで放っておきたいが、つけられてハイそうですかと言えるわけないだろ。だけど話によっちゃ見逃さない事も無い。悪い事してないんならさっさと喋れ。オレだっておっさんの顔なんか見ていたくねえよ。どうしてオレをつけた?」
「そうね。けど……」
「けど?」
「ワタシにもよく判らないネ」
「判らない? んな理由で納得できる訳ないだろ」
「そうネ。実は判らないから兄さんつけタ」
「何が判らないって? 適格に話せ」
「ワタシ情報屋。世の流れ、金の流れ、人の流れ、情報の流れを把握して商売するヨ。ワタシ優秀だからこの辺の事全部知っているつもりだった。けど、最近判らない事を聞いタ。それ調べてル」
「情報屋にも判らない事? ってなんだ?」
「言えない。情報は商品、金と同じ」
「じゃあ軍でその商品を買ってもらえ。オレは商売相手のところに連れて行くだけだ」
「NO。困る。……じゃあ商品交換するネ。ワタシ情報与えル、兄さんもワタシに情報をくれル。交換ネ」
「オレの仕事に差し支えなければな。軍人が機密をベラベラと喋るわけないだろ」
「判ってる。まあ聞いて。……この先はオフレコヨ」
「約束はできない」
「でなきゃ話はできなイ」
「判ったよ。テロや人殺し関係でないなら目をつぶる」
「絶対ヨ」
男は辺りを見回して、声をひそめた。
「どんな世界にも裏のルートはあるネ。金の洗浄や宝石の換金、ワタシはやってないけど」
「言い訳しなくていい。……それで?」
「正規でないゴールドの換金ルートがあるネ。これは軍も知ってル。他国と政治的な絡みがあるので見逃してル。表に出すと大事だから。アメストリス内じゃなく別の国にゴールドが流れるから、黙認されてル。公然の秘密」
「へえ。……ありえそうな話だけど」
「その裏のルートに、最近知らない人間が介入シタ。こういう商売、信用が第一。新参者なかなか入れない決まりだけど、ソイツは平気で入ってきてゴールドを売っタ」
「どうやって? 入れないルートなんだろ?」
「裏の取り決めがアル。暗号やら合図やら。ソイツ全部知ってて商売シタ。合図を知ってるヤツ、商売の場から外せナイ。そういう取り決め。裏には裏のルールがあるネ。裏流の公式。ソイツの持っていたゴールド、質が良い。混じりけなし二十四金、インゴット。高値で売れる。ソイツ足元見ない。相場を崩さない程度の安価で売る。買い手は喜ぶ」
「……それがどうした? ソイツっていうのは誰だ? それとオレとどう関係があるんだ? その金は盗品なのか?」
話が判らなくてハボックは先を促す。
「盗品なら話が簡単。誰が何所から盗んだ、情報が入ル。けど違う。そのゴールド、出自が判らない。金山も特定ができない。けど質がイイ。商売には問題ないので取り引きはスル。噂が出れば買い手が増える。けど、ソイツ取り引きしたの一回だけネ。しかも人を何人も仲介させたので正体が掴めない。ワタシ不思議に思ってソイツの正体調べたネ」
「誰か判ったのか?」
男は口籠った。知っているらしい。
「言え」
「どうして判ったか、そっちヲ説明するネ」
「どうして判った?」
「他のルートで珍しいもの買い付けてるヤツいたネ。シンの薬とか植物とか名前も聞いた事のないモノ。欲しがる人間あまりいないんで、普段市場にはあんまり流れなイ。勿論輸入禁止のモノも含まれてル。麻薬とかじゃないんで需要がなくて、あんまり市場に出ないものばかりなので、目を引いタ。需要がない、すなわち高価。けど買ったヤツ即金で金払っタ。お大尽ネ。調べたら根っこはゴールドを売ったヤツと一緒。繋がっタ。ソイツゴールドを売って、そういうモノ買ったネ」
「へえ。そうだったのか。……それで?」
「ソイツが買ったモノが何所に流れたが調べたネ。そしたら……此処だった」
「ここ? リゼンブールか?」
「YES。でも珍しくない。リゼンブール、旅人が多イ。裏の人間も多イ。だから品物が流れても珍しくナイ。けど……」
「けど?」
「品物リゼンブールから出なかった。つまり最終地点が此処。ソイツも此処の住人ネ」
「へえ。そんな裏取り引きをしている人間がリゼンブールにいるとは、田舎も侮れないな。……もしかしてオレがソイツを捕まえにきたのかと思った?」
「ソウ。思ったけど違うみたい。だから判らない」
「オレは別に犯罪の摘発に来たわけじゃない。仕事は仕事だが、キナ臭い事じゃないんでね。見当違いだ」
「じゃあ何の仕事ネ?」
「軍人が命令を市民にベラベラと喋れるかよ」
「さっき酒場で喋ってたネ。子供スカウトに来た」
言い当てられてハボックは小さく呻く。聞かれていたのかよ。上司に知られたら減棒確実なので口の軽さを後悔する。
「それは……聞かなかった事にしろ。上司の単なる気紛れだ。ガキをスカウトしたなんて知れたら笑い者だ」
「それじゃあホントにスカウトだけなのカ? 捕まえにきたんじゃないのカ?」
「そうだって言っただろ? ……なんだそういう事か。それでオレの後をつけたのか」
「YES。リゼンンブールで軍人珍しい。とても目立つ。兄さん注目の的。義肢装具屋に行った事、みんな知ってル」
「別に悪い事してんじゃないんだから、医者に行こうが酒場に行こうが義肢装具屋に行こうが、咎められる筋合いはない。こちらとら普通の下っ端軍人なんだ。単なる上司のお使いだ。犯罪者摘発なんて他の人間がやるだろ」
理由が判ったのでハボックは銃を下ろした。男は胡散臭いが害意はなさそうだ。
男は奇妙な顔をした。
「どうした?」
「兄さん、エドワード・エルリックってガキをスカウトしに来たのカ?」
「そうだけど……。それも聞かなかった事にしろ。軍に関わりがあるなんて知られたら体裁悪いだろ。……単なる神童なだけのガキだ。頭の中身が飛び抜けているんで上司が話を聞くだけだ」
「ホントに?」
「どうして疑う? もしかしてアイツと知り合いなのか?」
「知り合いじゃない。ワタシの商売、ガキとは無縁ヨ」
「そうだろうな……」
「けどエドワード、ワタシを知ってるネ」
「は?」
「あのガキ、東の裏のルート、沢山知ってるみたイ。正体不明の人間の事調べた時に、余計な事を知りたがるなと釘刺された。あのガキ素人違う。修羅場くぐった目してた。銃もナイフも扱える。いつの間にかワタシの後ろにいた。エドワード、お互いに裏に関わるのだから、余計な事は知らない方がいいと忠告に来たネ。夜中なのに一人だった。ガキなのに気配がなかった。アレ素人違う。訓練された人間ネ」
「おい……」
「ワタシが調べたソイツの名前、エドワードって言う。……兄さん、本当にアイツを捕まえに来たのと違うのカ? でなきゃ軍と組んで裏のルートの摘発カ? それ困るネ」
男の問いかけにハボックは口からタバコを落とした。
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