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ハボックはリゼンブールの宿屋に一泊した。
「マスタング中佐。明日そっちに戻ります」
宿の電話を借りて再び上官に報告するハボック。
「そうか。……母親は説得できたのか?」
「納得するしかないでしょう。息子が必死なのに止められませんよ。放っておけば自分が死ぬんスから。僅かでも可能性があればそれに縋りたいでしょうね」
「オマエはその母親に会ったんだな?」
「ええ」
「どんな女だ?」
「美しい人スね。子供にとったら優しいおかあさんってとこですかね。清楚系の可愛い感じの人でした」
「そういう事を聞いているのではない。軍と何らかの関係がありそうかと聞いているのだ」
「そうは見えませんでした。もしそうだとしたらすごい演技ですね。どこからどう見ても素人ですよ。……失踪中の父親はどうだか判りませんが」
「父親は帰ってくる気配はないのか?」
「念のために村人にもそれとなく聞きましたけれど、父親のホーエンハイムは七年前に出ていったきり一度も戻っていないそうです。まず間違いはないでしょう。ついでにエドワードの事も聞きましたけれど、エドワードが錬金術師だというのは本当みたいですね。よろず壊しもの修理屋をやってますよ。ちっさい頃からの特技みたいでガキが錬金術を使えるのを誰も疑問に思ってません。住人は普通に善良な感じです。あれが演技だとしてたらよほど訓練されていますね。オレには見破れません」
「錬金術師か。エドワードの錬成をハボックは見たのか?」
「いいえ。今日は話し合いで終わりました。錬金術の事は聞いてもオレには全く判らないんで詳しい事は聞きませんでしたが聞いておきましょうか?」
「いや、いい。どうせろくな報告書にはならんだろうから、会った時に私が直接聞こう。ところでエドワードの錬金術の師匠には会ったのか?」
「エドの錬金術は独学だそうですよ。村には錬金術師は他にいません。あ、エドの弟も錬金術師だそうです」
「独学? そんな筈ないだろう。錬金術は独学で学べるほど易くない分野だ」
「けど本当に村には錬金術師はいないんです。父親のホーエンハイムも錬金術師だそうですけど、失踪して七年じゃあエドには錬金術は教えられないでしょう。エドはオヤジさんの残した書籍から錬金術を学んだそうです。嘘か本当か判りませんが」
「だとしたら恐るべき子供だな。それも後で私が聞こう。……弟には会ったのか?」
「いえ、まだです」
「他に気が付いた事は?」
「そういや中佐は焔の錬金術師って呼ばれてるんスよね。あだ名は知ってましたけど、どんな錬金術を使うか知らなかったスけど、エドに教えてもらいました。中佐は錬金術師の中じゃ有名なんですか?」
「……エドワードが私の錬金術を?」
「はい。発火布っていう手袋で擦って空気を弄って引火っていうのだけ教えてもらいました。聞いても手品としか思えなかったんスけどね。でも新参とはいえ部下のオレが知らないのに会った事もない、つーエドワードが知っていたんで、面目ないというか驚いたというか……。今度ちゃんと教えて下さい」
「…………そうか」
「中佐?」
「色々と聞かねばならない事が増えたようだな。ハボック」
声は変わらないのに変わった雰囲気に(電話越しに判るってどうよ?)ハボックはマズったかな? と思ったがまあいいかと流す。錬金術の話は錬金術師同士ですればいい。
「はい中佐」
「そのエドワードっていうガキから目を離すなよ。何だか裏がありそうだ」
「裏……スか?」
そうは見えないと声音で言う。母親を涙一杯に見上げたエドワードは、中身がどうあれ一途さと純粋さに嘘はなかった。あれが嘘だったら世の中の全てが嘘になる。
エドワードの心の琴線は母の命という世の中から見たらちっぽけでエドワードにしたら世界の全てに等しい事柄に触れて揺れて、風の中の穂のようだった。
意志は岩でも心は麦穂か。たとえ裏があったとしても根底にあるのは『愛』という使い古されても尚渾然と輝く名詞一つ。それが全てでエドワードは国家錬金術師になろうとしている。アーメン。
大きすぎる試練にも子供は負けていない。『裏があるかもしれない』の一言でどうして否定できようか。
ハボックはこういうのは苦手なのだ。
死へのカウントダウンが始まってしまった母親。幼い子供は母を助けようと必死で……。
生意気でその言動に立腹しても、オマエ何モンだ、いい気になってんじゃねえぞクソガキ……とはとても言えない。
見掛けどおり子供らしくあれというのは、母の死を前にしてただ泣きわめいて具体的な事は何もするな親の死ぬのを黙って見てろ、というのに等しい。
そう明言しなくてもエドワードをガキらしくないと非難するのは言っているのと同じ。だから言わない。
……にしても、まだ一桁の年齢のガキの何所に裏があるというのだろう。まあ母親の前での可愛コちゃんぶりにはビックリしたが。その辺は確かにガキらしくないが、そんなのエドワードの勝手だし、ガキだって色々いる。個人差だ。
それにしてもあの母親はエドワードの不遜な中身を本当に知らないのだろうか?
「中佐はエドワードの何をお疑いで?」
事情が判らない上司ではないだろうに。
「阿呆。怪しさだけならこれ以上ないだろうが。一面識もない軍内部の人間に接触してきた相手だぞ。私の錬金術は軍では有名でも一般人にはあまり知られてはいない。同じ東方司令部所属のハボックだとて私の錬金術の事は殆ど知らないのだろう? なのに何故情報を得る事のできない田舎のガキが私の事をよく知っている? それだけとっても充分怪しい。見た目に騙されるな。怪しい人間が怪しい格好をしているわけがないだろう。カモフラージュされているに決まっている」
言っている事は正しいがあのガキんちょの何所がどうカモフラージュされているのかさっぱり判らなくて、ハボックは首を傾げた。
カモフラージュ?……擬装?
一・職業詐称……未成年でまだ働いていないし。
二・年齢詐称……戸籍はいじれないようなあ。
三・性別詐称……どうみても男の子だが、たとえ女の子だとしても特に問題無し。
四・出身地詐称……どうやって?
だってエドワードはまだたった九歳なのだ。
生意気でも病気の母親を助けようと必死の子供。裏があると言われてもひっくり返しても表しか見えないようなガキだ。もし裏があるとすればもっとうまくやるのではないだろうか? 見た目はすこぶる可愛いのだ。愛想の一つでも振りまき健気を演じれば、大抵の大人は騙される。
「考えすぎのような気もしますけど……」
「だから貴様は考えが足りんというのだ。そんなんだから無能な上官にあっさり騙されて牢に入るハメになったのだ。少しは学べ」
「それをおっしゃられると耳が痛いです」
「耳より懐を心配しろ。こんな簡単な仕事にすら失敗するようなら減棒だ」
「そんな殺生な。ただでさえ安月給なんスよ? 下士官の給料知らないんスか?」
「知らん。私は始めから高級取りだ」
「シード権持っている国家錬金術師と一緒にしないで下さいよ」
「なら貴様も国家錬金術師資格でもとったらどうだ?一足飛びで少佐様だぞ」
「できないと分かっていて言わないで下さい。そんなの百年掛かっても無理っス」
「そうだ。凡人が百年掛かってもできないと思う事をそのガキは九歳でやろうとしている。それを何故おかしいと思わない?」
「思いますけど……」
表面張力の限界まで盛り上がった雫はそれでも溢れずに瞳に溜まって、エドワードの心のありようを示していた。泣いても現実は変わらない。ならば泣く力さえ前に進む力に変えようと唇を引き結んでいた子供。
疑う心は涙の一滴で霧散した。甘いと言わば言え。ハボックは弟思いの長男なのだ。
「中佐はエドを見てないからそう思うんスよ……」
「見たら健気な子供だとほだされるとでも? 甘いなハボック。九歳のガキでも銃を握らせれば立派なテロリストだ。テロも戦争も大人が勝手に始めるものだが、ガキ参加しないという道理はない」
「病気の母親を助ける為に動いているガキのどこをどうとったらそんなキナ臭い想像ができるんだか、そっちを知りたいんスけど」
「ふん、まあいい。私が会って直接判断する。貴様はせいぜいそのガキに篭絡されんように気をつけろ。使えないと判断したら貴様も廃棄するからな」
「廃棄って……」
「イシュヴァール戦は終わっても北や西では戦闘が続いている。前線送りにされたくなければ私の期待を外すなよ。北は寒いぞ」
「イ、イエッサー。明日そっちに連れてきます。早朝出ますが、乗り換えのツェルマーで待ち時間がありますので到着は夕刻になるかもしれません」
「ツェルマーか……」
「なにか?」
「いや、何でもない。…子供連れだから気をつけろ」
「イエッサー」
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