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「『あの上司』ねえ……。驚いた?」
「すっごくな。……すげえなボウズ」
素直に感心するハボック。ロイ・マスタングにどんな印象を抱いているのかモロ判りだ。六年前だとロイとハボックもまだ出会ったばかりだから。六年後の親密さと気安さはまだこの時間にはない。
イシュヴァールから帰ったばかりのロイ・マスタングはきっと初めて出会った十一歳の頃より青かったのかもしれない。今から二年後にはもっと練れて喰えない人間になっている事だろう。それはそれでイヤだが。
「それほどでも……あるけどさ」
これからロイとハボックは上司と部下になって互いに信頼を築いていって……。本当なら二年後にロイはリゼンブールに来る予定だった。
「さっき言ってたイシュヴァール戦争の英雄ってマスタング中佐の事だよな。指先一つで戦場を焔に変えたって何のことだ?」
ハボックはまだ知らない。ロイがどんな人間なのか。どうして飛び抜けて出世しているのか。
ばっちゃんに他の客がきたのでオレとハボック准尉は外に出た。
天気がいいので風が気持ちがいい。春の匂いだ。甘くって青臭い。くすぐったいようなちょっと気持ち悪いような。景色の気配が変わる瞬間だ。
「マスタング中佐の錬金術師を見た事ないのか?」
「ない。エドワードはあんのか?」
「ないけど錬成方法は知っている」
「どんな? 錬金術師同士だから知ってんのか? 焔の錬金術師って呼ばれるくらいだから火を使うんだろ?」
外のベンチに二人で並んで座る。
やっと吸えるとばかりにハボックがタバコを銜えた。
「マスタング中佐は発火布という特殊な布で作った手袋を携帯している。これは擦ると火花が散るんだ。それで火花を起こし周りの空気を化合して爆発や火炎を起こす」
「へえ……。それで焔の錬金術師か。なんか大道芸みたいだな」
「小さい火ならばね。それが何十メートルにも広がる巨大な焔なら? 燃やせる物がなくても空気は燃えて劫火になり爆発するんだ。沢山の敵の廻りにある空気が燃える。指を擦った瞬間に。人なんか一瞬で黒焦げになる」
「………エドワード」
「……高濃度の酸素や水素を広範囲に凝縮して火をつければ大爆発を起こす。火薬も爆弾もいらない。戦場で使用すればまさに人間兵器。硬直したイシュヴァール戦線に投入された国家錬金術師達。戦争が早く終わるわけだ。戦場にはイシュヴァール人達の死体が山となったと聞く」
「エドワード」
ハボックの声が別人のように固くなる。
穏やかな気候にはふさわしくない内容と声。
オレは淡々と言った。
「あんたがつこうとしている上官はそういう人間だ」
「……だから敬遠した方がいいと?」
違うと首を振る。
「いや。あの男は戦争の悲惨さを知っている。自分の手を汚してきた人間だ。そういう人間は強いが、その強さを部下にも求める。あの男の下で働くという事は辛いよ、きっと」
「……知らないと言ったくせに中佐をよく知っているような口ぶりだな。やっぱり何処かで会った事があるんじゃないのか?」
警戒する声。
「ないよ。オレはリゼンブールから出た事ないし、中佐はリゼンブールに来た事はない。オレ達に接点はない」
「ならどうしてエドは中佐のことに関してそんなに詳しいんだ?」
「まあ……色々と知るルートはあるんだよ」
「ルート?」
「アングラ系だから内緒」
口の前で人指し指を立てて誤魔化す。子供らしい顔でヘラと笑ったのでハボックの表情もやっと弛んだ。
ハボックは煙をふうと吐き出した。
周りを良く見るといい所だった。田舎だと聞いたけれど、まさにそのまま、自分の実家以上にのどかな僻地で、駅周辺は賑やかだが一歩奥に入ると山と畑とどこまでも続く草原。視界は緑、緑、緑ばかり。羊だのブタだの牛だのがいて、鋪装されておらず車もほとんど通らない道が続いている。軍も関わらない、争いももめ事もなさそうな平穏を絵に描いたような村だ。
だがこんな平和しかないような場所でも戦争の爪痕はあるらしい。あの気の強い老女の子供は医者でイシュバール戦に徴兵されたと聞いた。
子供を亡くしたとは気の毒にとしか言えない。孫娘が一人いるという事だが、今は学校に行っているそうだ。
いなくて良かったと思った。軍がその娘の両親を奪っていったというなら、ハボックに向けられる目はきっとトゲトゲしく冷たいだろう。子供の悲しい瞳に晒されるのは勘弁して欲しい。面と向かって罵られた方がマシだ。
ピナコはハボックの軍服を見ても感情を荒げるような真似はしなかったが本心はどうだろう? 歓迎されているとは思わない方がいい。
「エドワードは……」
「ん?」
「だから軍人が嫌いか?」
つい聞いてしまった。軍が好きだと言い切れるのは軍人の子供か軍の実体を知らない無知な者だけだ。
エドワードは無知とは程遠い。
「軍は嫌いだけど……」
ほらやっぱり。
「あんたは嫌いじゃないよ」
「気を使わなくていいぞ」
「別に。あんたの顔色窺ったって一文の得にもならないし。それにオレが国家錬金術師になったらあんたの上司になる訳だし」
「上司?」
「国家錬金術師には少佐相当の地位が約束される。知ってるだろ?」
「知っているけど…………プッ」
吹き出してしまった。想像すると面白い。九歳の少佐様か。
「冗談だと思っているらしいけど……実際にそうなった時にも笑えよ」
エドワードは金の髪を風になびかせて微笑んだ。
会った時から珍しい配色だと思った。金髪は自分もそうなので殊更珍しくもないが、金色の瞳は初めて見た。まるで野生の獣のようだ。
「笑って欲しいのか?」
「できればな」
「どうして?」
「あんたみたいな人に……錬金術師殿って敬礼されんのって……結構っていうか、かなり変だぜ。判るか? この滑稽な現実が。軍は……何を考えてんだろうな? イシュヴァール戦争といい国家錬金術師といい。錬金術を戦争の道具にするなんて。そんな軍が創る未来に希望を持っていいの? 信じていいの? 明るい、当り前の日常が普通の生活が続けられるって。なあ?」
「エドワード」
ああ信じろ。その一言が言えなくてハボックは咽が詰まった。
子供のたわい無い問いかけに何故返事ができないのだろう? 弟が妹が、兄が軍人になったのは正義を行う為だと信じるように、兄が弟達に軍人になったのはこの国の未来を守りたいからだと(実際はそんな綺麗事じゃないけど)言い切ったように、何故たった九歳の子供にそうだと言ってやれないのか。
エドワードの目だ。金色の濁りのない瞳。子供特有の汚れなさがあるのに同居する筈の無知が見えない。
賢く全てを見通し、大人の嘘と安易な言葉に騙されない。全ての嘘を見抜きながら嘲笑うでなく、ただどうして? と疑問だけを持つ瞳。
エドワードは知っているのだ。軍という場所のもつ愚かさを。現実が歪んでいるのだと。
ハボックや同僚達が感じる違和感をだがこんなものだろうと目を伏せてやり過ごす異常性を、エドワードは正面から見詰めて何故誰も間違いを指摘しないのだろうとその濁りのない瞳で見詰めて答えを欲している。
王様の耳はロバの耳だとどうして誰も指摘しないのか、王様は服など来ていない裸だとどうして誰も指摘しないのか、子供は不思議な顔をしている。いたたまれなくて大人は子供から目を逸らす。誰も子供を正面から見ない。
ハボックは「あーー」と唸りガシガシと頭を掻いた。
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