第三章

#13



 ハボックは困惑というより得体が知れないという表情で目の前の子供を見る。
 たった九歳のガキ。自分の弟より下なのに。
 高い声。小さな身体。棒みたいな手足。大人の目から見れば未成熟でとても対等に見る事はできない。
 なのに………言葉を交すとそれは子供の言葉ではなくて。金色の目は獣のようだ。
「無気味に思うのは当然だがオレがどんな人間なのか、なんて事はどうだって良い。判断を下すのはあんたの上司だ」
「……マスタング中佐は……まだオレの上官じゃない」
「だがそうなるべく動いている。戻った時にはもうあんたはロイ・マスタングの下に配属されている」
「見てきたように言うんだな」
「……そうかもな」
「……何故中佐がオレを引き抜く事が分かった?」
「ロイ・マスタングはイシュヴァールの英雄だ。焔の錬金術師。有能だが若い。ロイを煙たがる上層部はあいつを東方に飛ばした。だが飛ばされたからといってそれをマイナスだと思う男じゃない。中央の目が届かない利点をプラスに考えるやつだ。ロイは東で上に登る為の足場を作ろうとしている。必要なのは自分の手足になれる部下。優秀で忠誠心固くロイを理解するあいつの狗。あんたはロイに選ばれたんだ。それが幸運なのか不運なのか判断するのはあんただ、ハボック准尉。アイツの側では色々なものが見れ体験できるが危険も多い。平穏とは遠い生活になるだろうな」
「……本当に。おまえは何者だ?」
「エドワードだ。ただの九歳のガキで錬金術師」
「おまえが……ただのガキだって? 誰が信じるんだよ。そんな事」
 胸元を探る仕種。無意識にタバコを探している。行き場の無い手が下に落ちる。
「オレの周りの大人はそう信じている。錬金術が長けているけど、ちょっとだけ頭がいいけど、特別な事は何もなくてうるさい生意気な村の子供。躾けて可愛がる、村というコミュニティーの中で飼育している成長過程の小羊」
「小羊。……確かに見た目はそうだけどさあ……。中身は羊やウサギとは程遠いじゃねえか」
「オレの中身が『こんな人間』だって知っているのは……ばっちゃんとあんただけだ。かあさんだってオレが『こう』だっていうのを知らない。自分の病気の事をオレが知っているのを知らない。弟はかあさんが病気だという事すら知らない」
「本当にエドワードは何モンだ?」
「オレの正体なんてどうだっていい。ハボック准尉は自分の仕事だけしろよ」
「オレの仕事は……」
「ロイ・マスタングに言われたんだろ? オレに会って来いって。会ってどんな人物だか確かめて可能性があるならスカウトしてこいと。……あんたはオレをどう判断した? オレという存在を一笑してガキの戯言だ、関わるのは時間の無駄だと上官に報告するか? それとも可能性がありそうだと報告する? 報告するなら早くした方がいい。オレは同じレポートをセントラルの軍や病院にも送った。中に目端のきく人間がいたら同じく動く人間がいるかもしれない」
「セントラルに?」
「……でもまあオレみたいなガキをスカウトしようなんて酔狂はロイくらいだろうけど。中央の人間は多分駄目だろうな。大人は子供を信用しない。目で見たものより経験と常識を正しいと信じる」
「そういうところがガキらしくないっていうんだ」
「なら年相応に振る舞おうか? 今そうして何の得がある?」
「得って問題じゃなく……」
「そんなバケモンでも見るような目で見んなよ。とりつくろった表面だけ見せてれば良かったか? 後から素顔がバレるより、始めっから中身見せといた方がいいと思ったんだけど」
 ハボックは「うんまあ」と頭を掻いた。子供に主導権を握られてどうしていいか判らない。
 異例出世した童顔の上官にスカウトされたのも驚きだが、それに輪をかけてこの出会いには驚かされた。
 オレってこれからどうなっちゃうの? とハボックはありえない現実に判断に迷う。
 こんな事、軍のマニュアルにはねえよなあと困惑いっぱいだ。酒場で同僚に言っても信じてもらえそうもないキテレツさ。
「とにかく……オレじゃあ判断がつかないんで、上官に報告したいんスけど」
「わざわざ東方司令部に戻んのか?」
「そうじゃなくて、できれば電話を貸していただけるとありがたいんだけど」
「それはばっちゃんに頼んでくれ」
「あたしは別に構わないよ」とピナコが言う。
 ハボックはもう一度聞いた。
「本当に……あのレポートを書いたのはエドワードなんだよな? 誰か他のヤツが書いたのを写したんじゃないよな? もしそうなら今言っておいた方がいいぞ」
「信用ないな。……すぐに信用しろって言っても無理か。……ならオレが書いたレポートの説明でもする? 聞いてもハボック准尉じゃ判らないと思うけど」
「んなハッキリ言うなよ。ガキの科学くらい判るって」
「子供の理科じゃないんだ。……なら説明するが『突然性骨髄リンパ変異症候群』は骨髄からくる病気だ。骨髄……つまり骨の中に見られるスポンジ状の組織だが、胸骨、頭蓋骨、尻の骨、肋骨、脊椎などの中にある骨髄には幹細胞という身体の中の血球を造り出す細胞が入っていて、この病気にかかると幹細胞が正常に働かず欠陥のある赤血球が異常に増えたり逆に減ったりして正常な血球が造り出されなくなり他の組織を侵し始める。赤血球が増殖すると血液の流れが遅くなり酸素と栄養が臓器に行き届かなくなり機能障害が起きる。それだけじゃなく血流が途絶えることで血管内で血液凝固が起き血小板が使い尽され、血小板の減少と凝固因子の欠乏で出血の際に今度は血が止まらなくなる。恐いのはそういった出血もあるが本当に問題なのは……」
「あの……」とハボックが続けられる説明を途中で遮った。目が泳いでエドワードとピナコの顔を往復した。
「何だ?」
「聞いててもちっとも判らないんスけど。聞くだけ無駄かと……」
「無駄とはなんだ。折角説明してんのに。というかまだ治療法の説明にも入ってないぞ」
「いやだから。説明されてもそれが正しいのか間違っているのかさえ判断できません。……やっぱ判断は上に任せます」
 ハボックは授業で教師が何を言っているのかちっとも判らなかった子供時代を思い出した。
 頭のいい人間は苦手だ。
 エドワードはただ意味も判らず言葉を暗記しているのではなく、ちゃんと全部判って説明している。
 
ハボックは唸るしかない。
 マスタング中佐。あんたより訳判んないのがここにいます。……とハボックは簡単な仕事の筈だったのに何でこんな不思議ちゃんの相手をしてんだろうと、自分の不運を嘆いた。きつい訓練や無能な上司の尻拭いがいいわけじゃないが、こんな訳の判らない子供相手にソツなく仕事をしろと言われても、こんな事の為に軍人になった訳じゃないのにと声を大にして言いたい。
 祖母らしき(血は繋がっていないが)老女は子供の言動に口を挟む事無く隣で聞いている。
 自慢の孫なんスか? こういう子供ってよくいるんですか? こういう九歳っていうのもありなんですね?
 村の神童ってレベルじゃない気がするんスけど。という感想がぐるぐる頭に巡って、結果はハアと頭を垂れるしかない。
「んじゃ……ちょっくら電話を貸して下さい」
 ハボックはエドワードに言われた通り電話に向かった。ガキにいいように動かされている気がするのは気のせいか?