#10



 オレの錬金術を見てばっちゃんは驚いた。元々錬金術には長けていたけれどこんなに滑らかではなかった。まだまだ子供の工作レベルだった錬金術を一流と言われる所まで引き上げて見せたのだ。
 両手を合わせた錬成にばっちゃんは目を見張り、差し出した黄金をシン国のコーディネーターに換金させればいいと言い出したオレを、ばっちゃんは信じられないものを見るかのような目付きで
見た。
 そうだ、これがオレだ。十五歳のエドワード・エルリックだ。オレは九歳の無邪気なガキじゃない。かあさんを助けられる力を持っている。
「エドワード。あんた何があったんだい? あんたはあたしの知っているエドワードなのかい?」
 探るように不信感いっぱいに見られてオレは自嘲する。バケモノでも見るような視線じゃないだけマシか。
「……一応ね」
「一応っていうのはどういう意味だい?」
「この肉体も魂も紛れも無くエドワード・エルリックだ。けどオレの中身は見せた通り、今までとはちょっと違うんだ」
「何所がどんな風に?」
「人の知らない事を知っている。これから起こる事を知っている。小さな事をいくつか。誰も知らない事。オレだけが知っている事実」
「エドワード、何を言っているんだい? あんたは何を知っているんだい?」
「色々。もうすぐかあさんが死ぬ事。そうしてオレ達がそれを知らずに突然のかあさんの死に嘆き、ある事を決意するだろう未来を知っている。そうならない為にオレは今できる事をする」
「あたしゃあんたが何を言ってるのかちっとも判らないよ」
「うん。そうだね。けど今は説明できない。……したくないんだ。説明するのは容易いけど受け入れるのは容易く無い。ばっちゃんには受け入れられない。だから言えない」
「説明もしないでどうせ判らないからと省くのはよくないよ。ちゃんと言いな」
「言えない」
「どうして?」
「言ったら正気を疑われる。誰に嘘だと言われても平気だけど、家族に、ばっちゃんに否定されるのは堪える」
「あたしはあんたの言葉を否定したりなんかしない」
「否定する。なぜなら、オレがそんな事を言われたら絶対に信じないからだ。オレの抱えてる事情は荒唐無稽で現実味薄くて、でも全部本当の事だ。今はそれしか言えない」
「エド……話してみなきゃ判らないよ」
「それでも……言いたくないんだ」
「言えない理由はあたしが信じないからってだけかい?」
「それと………言いたくないって理由もあるな」
「エドは何を言いたくないんだい?」
「言えない」
 鎧の姿にしてしまった未来の弟が死んでしまった事実など、どうしてばっちゃんに言えようか。ばっちゃんの口から妄想や作り話だなどと言われたら耐えられない。
 苦しむ事さえ自業自得だとしても。
 幸福の過去にいるからこそ幸福になってはいけない自分に痛みが増す。
(アル、アルフォンス。オマエに会いたい。オマエの声が聞きたいよ。あの鎧の中で響く声が。その声を聞く為だったら何でもするのに、もうあのアルフォンスは何所にもいない)
 自業自得だ。
 身体を引き裂かれて右腕と左足を持っていかれても悔いはないからアルフォンスと会いたい。あの鎧に。アルの魂を定着させてしまいたい。……ああ。
 痛みを堪えてオレはばっちゃんを見た。
「今は何も言えないけど……かあさんを助けたい。だからばっちゃんの協力が必要なんだ。オレ一人の力じゃ限界がある。口惜しいけどオレは世間からみたら半人前だ。どんなに知識があっても力を示しても一人前とはみなされない。誰もオレの言う事をまともに取り合わない。当然と言えば当然だけど今はそれじゃ困る。だからばっちゃんの名前も貸してもらった。オレには力があるのに、ただ子供だというだけでかあさんを助けられない。口惜しい。……お願い。かあさんが良くなったら全部話す。それまで待ってくれ」
「エドワード。あんたは昔から言い出したら頑固だからね。絶対に折れなくて……」
 ばっちゃんは諦めたようにキセルに火をつけた。

 ピナコの目に写るエドワードはエドワードであってそうではない。小さな身体が痛々しく見えた。
 この子はこんな目をする子供じゃなかった。世の辛酸など舐めた事のない暖かい家庭で育ち、未来を疑わない子供だった。確かに昨日までは傲慢で愚かで無知で純粋でキラキラした子供だった。
 ……なのに何だい、この目は。辛い事全部知ってます経験しましたと瞳に描いてあるじゃないか。いつの間にか母親の病気の事も知って……それにこの治療法。
 ピナコにも判らない事がびっしり書き綴ってある。こんな知識を何所で貯えたんだか。その辺の医学生が書けるような付け焼き刃の内容じゃない。これは専門の研究者が書いたもんだ。これをあの子は自分で書き上げたと言った。そんな事がある筈がない。そんな知識はこの子にはない。
 だがエドワードじゃなければ誰だというのだ? これが父親が残した物ならばそう言うだろう。手柄を自分のものだと言い張る愚かな子ではない。相当深い知識がこの子にはある。そして自分が子供でしかない事を充分承知している聡明さと客観性。今までのエドワードじゃない。何で突然変容してしまったのか。
 錬金術に長けているのは知っているがここまで医療に詳しい子じゃなかった。そして突然変わった錬金術。両手を合わせただけで金が錬成されてしまった。まるで手品だ。
 構築式を必要としない錬金術など聞いた事がない。エドワードが言うには自分の中に式があるということだが、それがどんな事なのかちっとも判らない。何もかも判らないことだらけだ。
 目の前に置かれた黄金を見る。元が鉄屑だなんて誰が思うだろうか。金の錬成は違法だ。国では金の流通が厳しく管理されている。
 シン国の裏の換金コーディネーターだって? 裏の通貨の洗浄や換金の仲介所がリゼンブールにあるなんて、数十年住んでいてちっとも知らなかった。……エドワードの言う事を信じるならば。
 なぜこんな子供が長く住んでいる住人さえ知らない事を知っているのだろう? どこでこんな知識を手に入れたんだ? 誰が教えた?
 そして更に不思議なのはレポートの送付先だ。
 病院や大学は判るが何故軍がその中に入っているのだろう? しかも中には個人宛まである。
 エドワードに軍人の知り合いはいない。両親だって軍に知り合いはいないと思う。(父親の方は行方不明なのでどうか知らないが)なのにエドワードはそらで住所と名前を封筒に書いた。当然のごとく。
 この子は一体どうしちゃったんだろうねと、ピナコは突然変容してしまった孫同然の子供に戸惑いを隠せない。
 突然現れたエドワードの別人の顔。表皮がめくれて下にあるものが突然現れ出た気分だ。子供の皮を被った異邦人。ピナコもそして多分母親も弟も知らないエドワード。本当のこの子の顔はこうなのかもしれない。だが何故それが突然見え出した?
 ただ一つ判るのはエドワードが真剣で張り詰めているという事だ。
 母親の事でエドワードは必死だ。トリシャを助ける為にエドワードは自分にできる事全てを提示して助けてくれと言っている。ピナコでさえ不治の病だと諦めていた病気なのに、エドワードは助けられると、思い込みだけではなく現実を示した。
 エドワードが変わったというならそれは良い事なのだろう。
 エドワードが喋らない限り何も判らないが、少なくともエドワードの家族に対する愛情は以前と変わらず、いや今まで以上に深く家族を愛しているのが伝わってくる。
 母親を失うまいと必死の子供。手伝わないわけにはいかない。例えエドワードの正体が見えなくて恐怖を感じたとしても。
 エドワードの不思議はとりあえず棚上げするしかない。トリシャの命が掛かっている。
 助からない病気の筈だった。だが息子のエドワードが光明を持ってきた。難しい薬と困難な治療法。どうして調べたのか、どうやって研究したのか。判らなくてもいい。トリシャが、この子の母親が助かれば。エドワードは小さな背に全部背負おうつもりで、それでも背負いきれなくてピナコに助けを求めている。どうして助けずにいられようか。
「エド、安心しな。トリシャを一緒に助けるよ」
 言ってやるとエドはほうっと息を吐いた。
 心から安堵したと、重たい物を全部背負っているのだと溜息一つで判るのが痛々しい。
「ありがとう。ばっちゃん」
 泣いているような笑顔でエドワードが言う。
 それがあまりに哀しいのでピナコは疑わずにはいられない。
(エド。あんたどうしちゃったんだい? ガキがそんな顔するなんてよっぽどの事だよ?)
 人の死を知らない子供がする顔ではないと思った。
 本当にトリシャが助かるか判らないが、僅かでも光明が見えた今できる事をやっておかなければ後悔する。エドワードの熱意と希望を無駄にはできない。母を慕う子供の心を助けてやらねば。
「ところでエド。アルはこの事知ってるのかい? 母親の病気の事とか」
「アルは一切知らない。かあさんも気付かれている事を知らない」
「なのにエドはトリシャの事をどうやって知ったんだい?」
「……それも内緒」
「いつか、話してっくれるんだろうね」
「いつか……ね」
 傾いた日で柿色に染まったエドワードの顔が浮かべた表情は酸いも甘いも噛み分けた大人の顔だった。