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「これは何だい?」
「読んで。オレが書いたんだ」
差し出した十数枚のレポートをばっちゃんはいぶかしみながらも目を通した。ばっちゃんの目が文字を追ううちに段々と厳しく真剣になる。
オレはこれを昨日から今日にかけて書いた。眠ったアルフォンスを起こさないように部屋を抜け出て、オヤジの部屋でこっそり書き上げた。目に入った鎧に涙が出たね。
かあさんの病気の治療法。ちゃんと覚えている。必要な薬の成分も細部まで明記してある。軍の研究者がこれから開発する筈の治療法を、オレは覚えている限り書き綴った。
コレがあればかあさんは助かる。かあさんだけじゃない。同じ病気の人達も助かるだろう。
「エド……あんた、これをどうしたんだい?」
ばっちゃんの声は厳しかった。ばっちゃんも医者の端くれなので書いてある中身の重用性が判るのだ。
未だ無いはずの治療法。何故オレがこんなモノを持っているのか訝しんでいる。
「何故と聞かれても理由は答えられない。けど……これがあればかあさんは助かる筈だ。この治療法でちゃんとした病院で治療を受ければ、かあさんは死なない」
確信を持って言うオレにばっちゃんは難しい顔のまま言った。
「……確かに。これは秀逸だ。理屈でいえば……トリシャは助かるかもしれない」
「理屈じゃない。かあさんを助けるんだ。だから……協力して欲しい」
「協力?」
「ばっちゃんの力がいるんだ。これを……同じ物を大量に複写する。手伝って欲しい」
細かくビッシリと書き込んだレポートを指した。
とにかく時間が無い。かあさんの病気は一日一日と進んでいる。一刻だって無駄にはできない。
そして現実問題として。オレは国家錬金術師じゃない。ただの田舎の子供だ。こんな子供が難病の薬の開発をしたって誰も注目しない。軍にレポートを見せても一蹴されるのがオチだ。だけど軍や病院だってこの病気の研究はしている。見る者が見ればこれが正解だと気がつく。そうすればかあさんは直せる。
ここにはロクな設備がない。設備さえあればオレが薬を作ってしまってもいい。だが子供に研究室や材料を貸し出す大人はいない。オレには権力も金もないのだから。いざとなったら黄金でも錬成するが、バレる確立も高いのでそれはとりあえず保留する。
ばっちゃんに手伝ってもらってオレはレポートを何枚も写した。二人で頑張っても三日かかった。数にして二十九通。
それをばっちゃんとオレの名前で大総統府に一通、五つあるセントラルの軍の研究所それぞれと十の大きな病院と五つの大学の研究所とマース・ヒューズとイーストシティの病院三つと大学一つと東方司令部ロイ・マスタング宛、リザ・ホークアイとジャン・ハボック宛に速達で出す事にした。
ばっちゃんの名前を出したのはオレの名前だけではとりあってもらえないからだ。
十歳の子供が書いたレポートを誰が読んでくれるだろうか。未決の箱にしまわれるならまだしも、ゴミ箱に放り込まれるのがオチだ。
速達といっても田舎からでは日数が掛かるのでいつ返事がくるか判らない。可能性のある所全てに提出した。
ロイ・マスタングやホークアイ中尉、ハボック少尉にまで出したのは保険だ。あの人達は優秀だから突然訳の判らない手紙がきても悪戯だとは思わずに一応上司に報告するだろう。
ロイ本人には期待できない。多望な大佐(今はまだ中佐か?)は捨てはしなくても、見知らぬ手紙はとりあえず未決の箱に放りこんでしまうかもしれない。
なのでホークアイ中尉の手から直接このレポートがロイの手に渡る事を期待している。
ロイならこれを見たら何が書いてあるか判る筈だ。その重要性も。
ただしロイは多忙だ。正体不明の注目しても雑事に追われて後回しにされるかもしれない。
他人任せにするだけでは駄目だ。かあさんの為に自分ができる全ての事をしなければならない。
応急処置として、ばっちゃんに頼んでかあさんの為の薬を集めてもらう事にした。完璧なものは作れなくても病気の進行を遅らせる事はできる。
薬を精製する為の必要な機材なんかは高価なので錬成する事にした。素材さえあれば錬金術でたいていの物は作れる。しかしそういった材料だけでも相当な出費になるので、こっそり黄金を錬成した。
差し出した物を見てばっちゃんは顔を顰めたけれど、オレは押し切った。金はいくらあってもいい。全てはかあさんの為だ。そう言うとばっちゃんは渋々と受け取った。
正規ルートだと金の取り引きは厳しいが、黄金の換金は実は村で簡単にできる。平和な田舎の村が実は結構な犯罪者のたまり場だと知ったのはごく最近で。あくまで裏のルートだが。
リゼンブールは東の国境の砂漠近くにあり、密入国者や怪しいキャラバンの通過場所なのだ(……というのを最近シン国の皇子様(フケ顔)に聞いて吃驚した)
密入国のコーディネータだの怪し気な商売をやっている人間もいる。
その手の人間が集まる居酒屋が村にある(全然気がつかなかったが)そこに行けば金をセンズに替えてくれる。足元を見られるかもしれないが、黄金なんか錬成一発で何トンだって作れるのでかまいはしない。
作った黄金はシン国に流れるので、アメストリス内で問題になる事はない。
村のアンダーグラウンド集会所には危険な人間もいるが、怪しい商売をまっとうにやっている非常識中の常識商売人が顔を効かせているので、トラブルになる事はまずない。皆真っ当に商売をしている犯罪者達だ。金を惜しまず仁義を通せば大抵の無理はきく。
ただし一般の村人が、ヘイ実はちょっとそこらで聞いたんだけどアンタら密入国コーディネータなんだってちょっくらオイラをシンにこっそり密入国させて欲しいんだが、なんて交渉しても駄目だ。こういう所には紹介者が必要となる。誰某から聞いたけど、という前置詞がなければ話は通じない。「ナンノコト? ワタシ知ラナイネ」ととぼけられて某犯罪コーディネーター達は逃げちまう。皆後ろ暗いところ一杯だから用心深い。
オレ達が交渉しなければならないのは換金コーディネーターだ。このオジサンは未来の世界で会った事がある。ひとすじ縄ではいかないオヤジだが、どうすればいいか交渉ルートは一応知っているのでまあ問題はない。
しかし齢十歳のオレが交渉する訳にもいかんので、ばっちゃんに頼むしかない。
国家錬金術師だった時の記憶と経験がありがたい。
三年の経験は無駄ではない。一般の人が知らない事をオレは数多く学んだ。世の中には色々知っておくと便利な事が沢山ある。
世間は裏を知らないと渡っていけないと小学校で教えなければいけないと思う。しかし何故か本当に必要な事は大人は子供に教えない。知らない事を無知だと蔑むくせに、知ろうとすると途端に口を噤むのは如何なものか。大人は子供が思う程賢くないので、賢い子供に追い抜かれるのがイヤな大人の悪あがきと理解すると哀れみ半分。
それはともかく。黄金はばっちゃんに換金してもらうとして、どうしてオレがそんな怪しいアンダーグラウンドの事情通なのかを説明する方が問題だ。
ああ、ばっちゃんの目が恐い。
オレだってアルフォンスがある日突然『必要だから黄金を作ったんだ。村の居酒屋にシン国の裏の換金コーディネーターがいるのでその人にセンズに換金してもらって』と言われたら楽しい想像だね、と笑い飛ばすだろう。まともに取り合わない。
だって普通に生きている善良なリゼンブールの住人は、まさかそんな犯罪者がナチュラルに居酒屋に滞在しているなんて夢にも思っていないのだから。
何十年も住んでいるばっちゃんが知らないでいる事を子供のオレが言っても信じない。
リゼンブールはなにげに人の流通が多い。村で見知らぬ人を見掛けても「ああ旅の人だね」と自然に受け止めるのが普通だ。何にもない田舎だが何処かへの通過道の途中にあると皆は思っている。旅人は多くても大抵なんの問題も起こさないので、見知らぬ人間がいても誰も問題にしない。
問題を起こさないはずだ。普通の人も多いけど犯罪者様も多数なので目立つ事を嫌い静かになあなあで身を潜めていらっしゃるのだ。のどかで平和の村の裏事情がこれだなんて住人が知ったらどうなるか。
裏の事情を知ると結構スリリングだ。その辺の居酒屋で酒を飲んでいる平和ボケしてそうなおっちゃんがその筋の人間だなんて誰が思うだろうか。
そういう事情をばっちゃんに説明しなきゃいけないのは面倒だ。だけどやはり子供一人の力ではできる事は限られている。オレは他に力になってくれそうな大人を知らない。
ああ口惜しい。オレが大人だったら事はもっと簡単に運ぶのに。
オレはばっちゃんの家に転がっている鉄屑の破片でさくっと黄金を作り、ばっちゃんに差し出して、センズに替えられるルートを教えた。
ばっちゃんは予想に違わずオレの話を冗談だと笑い飛ばしたが、笑わないオレの目を見て笑いは窄んで消えた。
気まずい空気が流れる。
「エド。あんた何でそんな事、知ってるんだい?」
ばっちゃんの声にあるのは厳しさと当惑。
信じ難い言葉を信じるべきか、まさかと疑い、だが嘘の臭いのない言葉に、何故どうしてと疑問が渦巻く。孫と同じ年の子供に突然見えない違和感を覚えて。
そんなばっちゃんの葛藤が全部判るのでオレは苦く笑った。この人に全部説明してしまいたい気持ちを押さえる。でもまだだ。まだ言えない。
「今は……何も説明できない。いつか本当の事を話す時がくるかもしれないけれど、それは今じゃない。オレを信じなくてもいい。けどかあさんの為だと思ってオレの言う通りにして。かあさんには本当に時間がないんだ。協力して。オレ達からかあさんを奪わないで。頼むから言う事を聞いて。オレだけじゃできる事が限られている。ばっちゃんの力が必要なんだ」
「エドワード」
ばっちゃんは複製されたレポートの束と、オレの顔と、作られた黄金を見てしばらく何かを考え込んだ。
オレは錬金術を使うのに錬成陣を描かなかった。
いずれバレる事だし、ばっちゃんには初めから知っておいてもらった方がいいだろうと思ったのだ。
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